ノスタルジア
ここ一週間ほどで実に色々なことが起こった気がするが、僕は風邪から回復してからも順調に勉強を続け、そうして特に問題なく、大学生活初の試験を受験することが出来た。それで無事に単位を取得することができているかどうかは夏休みが明けるまで分からないが、ジョーズとともに勉強したのだから恐らく大丈夫だろう。
夏休み前の試験が終わると、多くの大学一年生たちは帰省をした。順は「やることがあるから」というわけで例外的に大学にとどまり続けることにしたようだが、ジョーズも僕も、試験を終えて早々に帰省することにした。アユミには十日間ほどで戻って来ると伝えたが、彼女は彼女で夏休み中に家族で韓国に旅行に行くらしい。僕はそれを聞いて、何となく彼女らしいなぁと思った。
ほんの四ヶ月前にそうしたように、今度はその逆を辿って僕は地元へ向かう夜行列車に乗った。すっかり大学生活に慣れ、自由気ままな生活を楽しんでいたから、ひと夏とはいえ親元に戻ることはそれはそれで面倒にも思えたが、拓実からもいつ帰ってくるのかという催促のメールが来ていたので、僕はやはり帰省することにしたのだ。
夜行列車を降りてローカル線を2駅乗り継いで実家の最寄りの駅に到着して改札を出ると、既にそこには父親と母親、そして拓実が待ち構えていた。片田舎の小さな駅だからすぐに家族の姿が分かった。
「日曜日の朝からすまないね」
僕は両親に向けてそう言った。両親は四ヶ月前よりも何だか柔和になった感じがした。
「お前こそよく帰ってきたね。さあ、食事にでも行こうか。腹も減っているだろう?」
時々訪れたことのある食事処へ着くと、僕は久しく口にしていなかった種類のご馳走とも思える食事をオーダーした。家族のもとにいた頃には当たり前だと思っていた外食は、貧乏学生になって初めてそれが恵まれたものであるのだと理解した。僕は大学生になる以前の僕だった頃と同様にごく自然にそのご馳走をたいらげ、ごく自然に水を二杯飲んだ。
食事の席ではもちろん、僕の学生生活についてが話題となった。拓実も興味津々という面持ちだった。
大学では多くのものが共用で、それはなかなかにサバイバルな環境であること、大学の講義はひどく難しいが、真面目に授業に出ていることで何とかなっていること、銀色の歯列矯正器の隣人についてや順という親しい友人ができたことについてを話した。僕のそのような話を聞き、両親は安心したようだった。事実、僕の大学生活は入学後の四ヶ月で知らぬ間に望まない五キログラムのダイエットをしてしまっていたことを除いては勉学も私生活も順調であり、両親の心配するようなことは何一つとして存在していなかった。
実家に着くとやはり懐かしい感じがした。ほんの四ヶ月前まではずっとここに住んでいたというのに、それはそれで僕は自身の新環境への順応性を自覚して驚いた。日中はぶらぶらと高校生時代に通ったゲームセンターや書店などで時間を潰したり、特に誰かを訪ねはしなかったが、母校まで行ってみた。高校生はまだ夏休み前であり、遠くからグラウンドでハードルの授業が行われている景色や窓を全開にして英語の授業が行われている様子をうかがうことが出来た。彼らは三年生であるだろうか。だとすれば受験の夏、勝負の夏だぞ、と思った。そして心の中で「がんばれよ」と思った。この夏を有意義な夏にすることができれば、きっと大学受験を無事に突破することができ、その後には楽しい大学生活が待ち受けているはずだからと。
夕食を終えると、拓実と僕の部屋で話をした。拓実は拓実で、相変わらず順調な中学生活を送っているらしかった。六月の全国模試では校内一位になり、両親も町中の人たちも期待する有名私立高校の合格判定もAと出ていた。そんな拓実は僕の大学生活の自由さに憧れを抱いたようだった。両親には黙っていたが、大学でアユミという彼女のような存在ができたことも拓実には話した。拓実にも最近彼女が出来たようで、二人で「女ってやつは」などという他愛もない会話もした。
久しぶりに会う拓実は連日よく喋った。僕が実家を離れていたのはわずか四ヶ月だけとはいえ、僕のような頼りがいのない兄であっても四ヶ月ぶりに話し相手が戻ったということは、拓実を饒舌家にする十分な理由になったのかも知れない。
「兄さんは覚えているかい?雪の降ったあの日のことを」
僕が再び大学に戻る日の二日前に、拓実はそう言った。
「雪の降った日?青森県でのあれのことか?」
拓実はにこりと笑って頷いた。
「そう、僕がまだ小学五年生だった頃」
拓実はその話を時々にした。特に兄弟喧嘩をした後で仲直りをした後などに。僕はそれもまた懐かしいなぁと思い、適切に相槌を打ちながら久しぶりに拓実から語られる思い出話に耳を傾けた。