線香花火
祭り囃子の音が聞こえる。
うだるような夏の夕方。
ドンドンピーヒャララ
ああ、今年もまた夏を迎える音がする。
貴方を失って、また、夏を迎える。
***
「ママっお祭り始まっちゃったよ」
光太郎が、急かすように私のエプロンを引っ張った。
祭り囃子が聞こえ出して、もう今すぐにでも駆け出したいって感じだ。
「うーん・・・光ちゃんごめんね。ママ一緒にいけないよ」
洗い物で濡れた手を拭いて、光太郎と視線を合わすために屈む。
光太郎の真ん丸の目にうっすら涙の膜が出来るのを見て、心が痛んだ。
「どうして?」
一生懸命涙を堪えたへの字の口で光太郎が言う。
どうして、かな。
私だって分からない。
愛する一人息子より、優先するそのことの意味など。
だけど・・・。
「よおし!こーたろっ。父さんといくぞっ」
泣き出しそうだった光太郎の両脇を後ろから持ち上げて、明朗に笑う顔。
「孝介さん・・・」
困ったように眉毛を下げた私に、光太郎を抱え上げながら優しく微笑む孝介さん。
「お母さんには、たくさんお土産買ってこよう。なっ。こーたろ」
途端に、さっきまで泣きそうだった光太郎の笑顔がはじける。
「うんっ!たくさんおみあげ取ってくるっ」
「・・・ありがとう」
二つの笑顔に励まされて私も微笑んで、そっと息をついた。
今年も、貴方との約束、守れるね・・・。
***
二人を見送って、誰もいなくなったリビング。
祭り囃子の音だけが、遠くに聞こえる。
私はそっとエプロンを外して、家を出た。
夏の夜は、何処か不思議な匂いを立ち込めて私を迎え入れる。
コンビニに立ち寄って、線香花火を買う。
店内の明るさに一瞬目がくらんだ。
誘われるように店を出て、夜道を歩いた。
途中、お祭りに向かう浴衣姿の家族を通り過ぎる。
彼らを視線で見送って、私は歩く。彼らとは逆の方向へ。
たどり着いたのは夜の公園。
勿論、誰もいない。
中央の水場に行って、持参のバケツに水を汲んだ。
毎年のことなので、手慣れたものだ。
ドンドンピーヒャララ・・・
お祭りの場所から結構離れた公園なのに、此処まで祭り囃子が届く。
光ちゃんと孝介さん、もう着いたかな?
そんなことを想いながら、ポケットからライターを取り出す。
所々傷のついた、古いライター。
K・Wとイニシャルが彫ってある。
カンっと開いて火を灯した。
「カズネ」
これは、私の中の儀式。
一年に一回だけ、貴方を思い出す。
カズネへの愛をもう一度呼び戻す。
一本、線香花火に火を付けて、その場に屈んだ。
丸い赤がジワジワ膨らんで、危うく揺れては火花を咲かす。
「カズネが居なくなって、何回目かな」
ポツリと語りかけるように独り言がもれた。
夜の公園で一人で、端から見たら相当怪しいだろうけど。
人目なんて無いから、構いはしない。
「カズネ。光太郎もう3歳だよ。私ちゃんとお母さんしてるの。すごいでしょ?」
パチリ、パチリと小さく爆ぜて。
迎え火・・・というには余りにお粗末すぎるかな。
カズネ、人混み嫌いだから、祭りの時は何時も二人で花火をしたね。
たくさん花火を買って、最後はおきまりの線香花火。
どっちが長く玉を落とさないで居られるか勝負して、何でか何時も私の勝ち。
そして、貴方はいつも言うの。
『来年は、負けないから』
カズネが死んで、孝介さんと出会って、結婚して、光太郎っていう宝物が出来た。
だけど、わたしは。
まだ、この意味のない勝負を止められない。
カズネが来ないと結局私の一人勝ち。
今年も・・・。
「あ」
ぽとりと落ちて、思わず声を出した。
もう、止めようか。
残った線香花火を見つめて、そう思ったとき。
「一本」
低い声に振り向いた。
いつの間にか人が・・・。
「ひょっとこ?」
ひょっとこのお面をかぶった、たぶん男性が、立っていた。
お祭り帰りの人だろうか。
ちょっと心臓が飛び出そうなくらい驚いた。
「一本ください」
「え、は」
ひょっとこがずいっと近づいて来る。
ちょっとパニックだ。
「線香花火」
「は、あ」
言われてやっと、左手に持った線香花火の束を見る。
私は、それをひょっとこに全て差し出した。
「・・・全部、差し上げます」
何となく不気味なひょっとこ男から早く離れたくて、私は手に持った全てを差し出した。
暫く、じっと差し出されたそれを見つめている(視線は定かでないけど)ひょっとこ男。
不信におもって思わず声を掛ける。
「あ、の?」
「勝負、しませんか?」
私の手の中から、一本だけ抜き取って、ひょっとこは言った。
『勝負しようよ、』
カズネ・・・!
それは、鮮烈に、記憶のなかの彼と重なった。
理性より本能で、私は直感した。
「カズ「言ってはいけません」
私の口に、そっと人差し指を添えるひょっとこは、最後までその名前を呼ばしてはくれなかった。
「な、んで。だって、だって」
「知られないことが、前提条件なのです。お祭りに乗じて面を被り、人に紛れる。気づかれることのないように・・・。盆帰りとは、そういうものなのです」
カズネっカズネっ
思えば思うほど、ひょっとこがカズネに見えてくる。
今すぐそのお面をはがして、その顔が見たいのに!
顔も見れないなんて・・・!
「勝負をしませんか」
ひょっとこはもう一度その言葉を言う。
今すぐ、抱きしめたい衝動をぐっと堪えて、私は涙混じりに頷いた。
***
二人で、同時に火を付けて、そっと赤い玉を育てる。
「何を賭ます」
隣から、そっとひょっとこが話しかけて来た。
その言葉にまた確信する。
嗚呼、やっぱりカズネなのだと。
いつも、この勝負をするとき、私たちは小さな賭をした。
勝者は何時も私だったから、私は何時も帰りにジュースを奢って貰っていた。
カズネは?
カズネは何時も何を賭けていたのかな。
尋ねても、何時も教えてくれなかった。
「顔を、見せて」
赤い火玉を見つめながら呟く。
欲を言えば、顔を見て、抱きしめてキスがしたい。
カズネ。
ずっと私の側で・・・
「貴女はずいぶん幸せそうだ」
私の思考を遮るように、ひょっとこは言う。
「覚えていてくれてありがとう。毎年、嬉しかった。本当は毎年側にいた。触れられないことがもどかしかった。貴女を置いていってごめん。悲しい思いをさせてごめん」
ひょっとこが、息つく暇もなく話す。
その言葉を聞いているだけでもう、胸が一杯一杯になって。
「貴女が今、幸せでよかった」
「カズっ」
「あ」
絶えきれず、その名前を呼びそうになったとき、ひょっとこの「あ」と同時に私の線香花火がぽとりと落ちた。
初めての私の負け。
次いで、ひょっとこの火玉が落ちる。
「僕の勝ちです」
そう言って、ひょっとこは立ち上がる。
カチンと音がして、見上げると、いつの間にか彼の手に握られているライター。
「賭の品は、これで」
最後の。
カズネの最後の遺品を、彼自身が奪ってしまうのか。
思わず立ち上がって、追いすがるように手を伸ばす。
「勝負は今年で終わり」
サラリと私をかわして、ひょっとこが言う。
なんで
どうして
嬉しかったって言ったじゃない
一年に一度さえ、貴方を思い出してはいけないの?
ぼろぼろと涙がこぼれた。
カズネのためじゃない。
私が貴方を忘れたくないだけだったの。
愛してた。ううん。愛してる。
カズネカズネカズネカズネ
「もう、一人で花火をしないで」
錯乱状態で涙を流す私にひょっとこが言う。
一瞬私の頬に触れそうに挙げられた手が、直前で戸惑って下ろされた。
「貴女の隣の、生きた暖かさを、どうか大切にして」
涙が止まらない。
ゆっくりゆっくりとひょっとこは後退しながら遠ざかる。
行かないでカズネ。
嫌だよ。
「愛してた」
「っカズネっ」
伸ばした手は届くことなく、それは夢から覚めるように。
ひょっとこは、姿を消した。
真っ暗な公園に暫く立ち尽くす。
「ママ-」
聞き慣れた声にハッとする。
振り返ると、二つの見慣れた姿が公園の入り口に佇んでいた。
転がるように駆け寄る小さな存在を呆然としたまま抱きしめる。
そして、その後をゆっくり歩いてきた孝介さんに、困惑の眼差しを向けた。
「なんで」
なんでここが・・・。
孝介さんは困ったように笑う。
「毎年、君は此処で花火をするだろう?」
実は何時も心配でさ。こっそりついて行ってたんだ。と優しげに笑う彼。
知って・・・。
あまりに驚愕して、脳みそが追いつかない。
今日はたくさんの驚きがありすぎたんだ。
「ママ。おみあげ取って来たよ」
綿飴でしょ、ヨーヨーでしょ、イカ焼きにー。
私の腕の中の暖かさが、私に満面の笑顔を向けてお土産を差し出してくれる。
「でもね、僕ね」
もじもじ、と光太郎が続けた。でもね、と。
「来年は、ママも一緒がいい」
言葉にならなくて、胸が一杯になった。
--貴女の隣の、生きた暖かさを、どうか大切にして
光太郎をぎゅっと胸に抱き寄せて、微笑む孝介さんに視線を向ける。
涙が、暖かい涙が頬を伝う。
「うん・・・うん。約束」
うん。カズネ。
もう、一人で花火はしない。
ごめんね。
私も、ありがとう。
愛してた。
***
「ふー。やれやれ」
公園の茂みで、若い男が一人呟く。
その傍らには、ひょっとこのお面。
「お面着けて喋るの案外大変だな」
独り言のように呟いて、ポケットから出した眼鏡を掛ける。
中指で押し上げながら独りごちる姿は異様だが、存外様なっていた。
それというのも、男の人離れした美しさの所以だろう。
「はいよ」
おもむろに、右手に持ったそれを、第三者から見たら何も存在しない空間に投げる。
しかし銀色のライターは茂みに落ちることなく、何も無いはずの空間にポカリと浮かんだ。
「頼まれたことは全部言った。なかなかの演技力だろう?」
にやりと笑って、男は眼鏡を押し上げる。
しかしニヒルな笑顔は、浮かんだライターがカチリと鳴ると同時に何処か不機嫌そうな表情に変化する。
「言い方が雑?退散の仕方も甘いだ?・・・こちとら必死で茂みに飛び込んで演出したってのに」
見てただけの奴がよく言う・・・。とぶつぶつ呟く男。
どうやら、男は見えない誰かと会話している様子だった。
「はいはい。すいませんね。でもま、無事任務終了ということで」
うんざりしたように、一度顔の前で手を振って、伸びをしながら男が立ち上がる。
手にはひょっとこのお面。
浮かんだライターに背を向けて、肩先だけで振り返る。
「じゃ、ね。カズネさん」
カチンとライターが一度鳴る。
ニッと笑って、男は公園の広場に顔を向けた。
きゃっきゃとはしゃぎながら花火をする子供と、それを暖かい目で見つめながら寄り添う夫婦を見て、一瞬男は、暖かな微笑を浮かべる。
男の冷たい美貌とは裏腹の、ほどけるような柔らかな笑顔。
だがそれもほんの数秒のことで、男はまたニヒルににやりと笑うと眼鏡を中指で押し上げた。
「いやいや。やっぱり、お盆は商売時」
ああ忙しい。と肩に手を当て首を一回しすると、男は音もなく公園を後にした。
pipipipi
男のポケットから鳴るベル音。
優雅な動作で取り出し耳に当てる。
「はい、あなたの心残り代弁します。心霊相談所代表、佐久間です」
男はニヤリとニヒルに笑い、左手に持ったひょっとこを顔の前に翳して着けた。
ドンドンピーヒャララ・・・
祭り囃子の楽しげな音が、どこからとも無く夜闇に響いていた。