ウェルカム・トゥ・ニュートーキョー(前編)
——それは、なんだか奇妙な目覚めだった。
「う……ん……?」
全身が痛む。頭痛も酷い。指を動かすのも辛いほどの強烈な倦怠感と、ぼんやりと靄がかかったような思考回路。
一体、どうしてこんなに酷い状態にあるのか。思い出そうとしても、頭痛のせいで上手く頭が回らない。
「うっ……うぅっ……」
なんとか立ち上がって周囲を見渡す。どこか、暗い路地にいるようだ。見下ろせば、まるで入院患者のような白い外套を着せられている。
(ここは……どこ……?)
路地の壁に手をつき、一歩、また一歩と、ゆっくりと歩を進める。足を動かすたび、激しい……筋肉痛のような痛みが襲うが、そんなものは無視して、ひたすらに歩き続けた。
そうして、長いようで短い、暗い路地の終点が見えてくる。やけに眩しい明かりが、暗闇に慣れ切った目にツンと突き刺さる。
「……こ、これは……」
路地を抜け、ソレが視界に飛び込んでくる。七色に光る鮮やかな電灯と、機械で装飾された建物。無数の情報が瞬時に切り替わる奇妙な看板と、町を走る不思議な形の車。それから……そこら中を歩き回る、体の一部が機械のような見た目をした人々。
思わず目を疑った。まだ夢の中にいるのかもと、眠ったままなのでないかと、目を擦った。けれど、何度擦ったところで、眼前に広がる光景は変わらない。こちらからすれば世界の方が異常なのに、世界から見れば、こちらの方が異常なのだ。それくらい、この町の中で、私一人だけの存在が浮いていた。
「……私、なんでこんなところに……」
まるで話に聞く未来世界のようだった。何故こんな場所に自分が立っているのか、それが、全く分からない。
いや、それどころか——、
(……私は……誰だ……?)
——私は、自分の名前すら、思い出せなかった。
自分が一体何者なのか。ここは一体どこで、私はどうしてこんなところに立っているのか。その全てが思い出せない。ただ、不思議と、生きていくために必要なことや、『ここが私が元いた場所ではない』ということだけは、頭が理解してくれた。
部分的な記憶喪失というものだろうか。全身が痛むのも、なにか、大きな事故に巻き込まれたからなのかもしれない。何度思い出そうとしても、その度に頭痛に阻まれて思い出すことはできない。
(……いや、今は自分のことより、こっち、か……)
私は、私が誰であるかを知らない。だが、自分がここにいることは普通ではない、ということは理解している。
ひとまず、私は『私』であるという認識だけを頭に叩き込み、飲み込んだ。今向き合うべきは、目の前に広がる、記憶が無くとも見覚えがないと断定できるこの場所についてだ。
どう見ても、現代——私の言う現代がいつなのかは忘れてしまっているが——の町並みではない。だが、こういった世界観は幼い頃から何度か触れてきている。ここは、現代から何百年と先の未来、科学が高度に発展しすぎた世界に、よく似ている。
(なんだっけ、ああいうの……サイボーグとアンドロイドって、どっちがどっちだっけ……? サイボーグが機械化した人間だったっけ……?)
町を行く人々は、一見すれば人間に見える。だが、ある者は機械の腕を持ち、ある者は背中にムカデのような光る配線を埋め込んでいる。またある者は、頭部が人間のそれではなく、大きな銃器の形をしていた。
一目見て、『生身の人間ではない』ということは理解できる。サイボーグ、というものだろう。体の一部を機械化した人間たち。ここが撮影スタジオのような場所でもなければ、町を行き交う彼らのほぼ全員が、サイボーグだ。
「うっ……」
思わず後退り、生唾を飲む。誰かに何かを聞こうとしても、誰に、何を、聞けばいいのかが分からない。ましてや、私は生身の人間だ。このまま街に出たとして、なんの問題も起きないのか。そんな疑念が、頭によぎる。
——ええい、ままよ!
うじうじと悩んでいても仕方がない。このまま、この暗い路地の奥で餓死するわけにもいかないので、私は意を決して、煌々と煌めく町へと躍り出た。行き交う人の流れに混ざると、行き先も分からず、ふらふらと、その流れに沿って歩いた。
(……うう、視線が痛い……)
人々の、私を見る目が、珍獣でも見るかのようなそれで……思わず俯いてしまった。やはり、ここでは私の姿が目立つようで何人かはひそひそと噂話を立てているように見えた。
そんな中に、一人、見覚えのあるカラーリングの服を着ている人がいた。カラーリングに見覚えがあるというだけで、その服自体は私の知るソレとは大きく異なるが……それは、一見すると警官の制服のように見えた。
(……こんな世界にも警察が?)
警戒を払うように周囲を観察している大柄の男。もし彼が本当に警察官、あるいはそれに類する公務員のようなものであれば、頼るべきは彼なのだろうか?
ほんの少し悩んだ私の心を見透かしたように、周囲を観察していた彼の視線が、私に向けられたまま固まる。そうして誰かと話すように口元を動かすと、ずんずんとこちらへ向けて歩いてきた。
「おい、そこの女」
「はひっ」
——自分から出たとは思えないくらい、情けない声だった。男は、気の抜けた返事をした私の手を掴み、人混みから引き上げる。まるでモノでも扱うかのように乱雑に、私は、大通りの端へと連れてこられた。
男は何やら手のひらサイズの丸い棒を取り出すと、慣れた手つきで操作する。すると、その棒から半透明の青い板が生えてきた。こちらからはただの板にしか見えないが……察するに、情報端末のようなものだろう。
「IDは?」
「え?」
突然そんなことを聞かれ、思わず聞き返した。男は呆れたように首を横に振り、先ほどよりも少しゆっくりと、言葉を発した。
「管理IDは、と聞いているんだ」
「か、管理IDって……」
「お前の【タグ】が不具合を起こしているからか、こちらから確認が取れないんだ。だから、管理IDを答えなさいと言っている」
何のことだか、分からない。口ぶりから察するに、やはり彼は警察官のような何かではあるようだが、こちらの知らない単語ばかりをまくしたてられ、理解が追いつかない。
「えっと、その……」
言葉を濁すと、男が、怪しむように目を細めた。よく見ると、眼球が、カメラのレンズのような、奇妙な動き方をしている。他の人間と同じように、この男もまた、体の一部を機械に置き換えたサイボーグなのだろう。
「……お前、タグは入っているか?」
「わ、私、生身の人間なので……入ってないと、思います……?」
「……自分が何を言っているのか、分かっているのか?」
「え? えっと……」
タグ、というのが一体何を指すものなのか分からない。一つ言えるのは、生身の人間である私に、そのような不思議なものは埋め込まれていない、ということだ。
だが、私はどうやら、答え方を間違ったらしい。男は棒状の端末を仕舞うと、代わりに、手のひらサイズの小さな輪っかを取り出した、私の知るソレとはかなり形状が異なるものの……それは確かに、手錠のように見えた。
「えっ!? ちょ、ちょっと、それは……」
「タグの導入は法律によって義務付けられている。それを嫌うのは、偏った思想を持つ異常者か、ある理由から個人を特定されることを嫌う者だ。テロリストのように、な」
男は鋭い目付きで私を睨みつけている。蛇に睨まれたように、私の体は、固まってしまった。
「署まで来てもらおう。両手を出せ」
署まで。その言葉を聞いた途端に、固まっていた私の体が動き出す。訳も分からないままこんな町に放り出され、その上、警察署にまで連れていかれたら、私はどうなってしまうのだろう。ここで両手を差し出せば、必ず、良くない方向へと展開が進む。
だから、そんなことを考えて、私の足はひとりでに動き出してしまっていた。それも、良くない方向へと。
(……逃げなきゃっ……!)
「っ、おい! 待てっ!」
私は駆け出した。逃げ切れる自信はない。どこまで改造しているかは分からないが、あちらは機械人間。土地勘もある。絶対に、逃げ出したのは正しい判断ではなかった。正しく捕まり、正しく主張をするのが最善手だった。
それでも、見知らぬ土地で、その土地の警察官に捕まってしまうという恐怖感から、私は逃げ出した。人混みに紛れて、走って走って、もっと走って、暗い路地へと辿り着いた。私が目覚めたのとは異なる場所だ。
息を切らし、肩で呼吸をしながら振り返ると、あの男はいなかった。人混みに紛れたのが功をそうしたのだろう人混みに紛れたのが功を奏したのだろう。見失ってくれている間に、距離を稼がなくては。
「……あァ? なんだぁ、こいつ」
——路地の奥から、しゃがれた声が聞こえた。
「っ!?」
咄嗟に振り返ると、路地の奥に、ぼんやりと人影が見える。徐々にこちらへと近づいてきて、ようやく姿を現したそれは、まるでギャングのような見た目をした三人の男たちだった。
タンクトップを着た男は、右肩から手の先までが機械の腕だった。別の男は、頭の左半分、頬から頭頂部にかけてがロボットのような形をしていた。最後の一人は、両腕が機械に置き換えられていて、しかもそれは人の腕を模したものではなく、モノを掴む子供用のおもちゃのような、二本指の形をしていた。
……ここは彼らの縄張りなのだろうか? 私は、踏み入れてはいけない場所に踏み入ってしまったのか。
「いや、あの、その……すみません、すぐに出ていくので……本当に、間違えて入っちゃっただけで……」
「あァ? 何言ってんだ。一歩でも踏み込んだんなら通行料だろ。田舎もんかぁ?」
「いや、その、お金持ってなくて……」
ギャング風の男たちが、じりじりと距離を詰めてくる。こんな状況でなければ、すぐにここから抜け出して、走り去ってしまうところだが、生憎、背後にはまた別の追っ手がいる。そちらの方が幾分かまともだとは言え、捕まることは避けたい。
すると、頭部の一部が機械の男が、何やら他の男たちに耳打ちをする。目を細めながら、彼らは、私を品定めするように、じろじろと見つめ始めた。
「……お前、まさか生身の人間か?」
「うぇっ!? あっ、はい……そうです、けど……」
直後、にたりと、三人の口角が吊り上がる。私はまた、答え方を間違えたようだ。
「……こりゃあいい。ニュートーキョーじゃ生身の女なんて滅多に見ねえからなぁ。コレクター共に高く売れるかもしれん」
「う、売る!?」
「おうよ。若い生身の女でしか興奮できねぇ変態コレクター共は、良い値を付けるだろうさ。こりゃあ良い臨時収入だ」
あまりにも唐突すぎる人身売買発言に、私は身構えた。警察が巡回をするような町だから、治安はそれなりに良いのかと思っていたが、どうやら、そうでもないらしい。少なくとも、こうした暗い路地などは、悪党の巣食う場所となっているようだ。
(どうする……どうする私っ……このままここにいたら間違いなく捕まるし、逃げたら今度は警察に……いやでも、知らない誰かに売られるくらいなら、警察に捕まった方が幾分かっ……!!)
見知らぬ町。見知らぬ人。見知らぬ自分。どちらの道を選べばより安全なのか、私には分からない。だが、少なくとも、この連中に捕まった先に、幸福な未来が待っているとは思えない。
「ほら、動くなよ。大丈夫だ、傷を付けるような真似はしねえからよぉ」
三人が、じりじりと距離を詰める。私は一歩、また一歩と後退り。
「——動かない方が良いのは、お前たちの方だ」
——そこに、機械仕掛けの天使が舞い降りた。
私と三人との間に、小さな雷が落ちる。その直後、ひらりと白いマントをはためかせた誰かが、舞い降りたのだ。
横顔から見えたのは、一〇代後半ほどの若い少女。彼女の手には私の知る拳銃とはかなり形状が異なる、けれども即座に『銃だ』と認識ができる武器が握られていた。
「……報告にあった逃亡者か」
彼女はこちらを一瞥すると、そんなことを呟いた。彼女が一体誰なのかは分からないが、少なくとも、今、この場で私を殺すという目的を有した人物ではないらしい。
「……えっ、と、その……」
「動かないように。逃げれば撃つ」
「は、はいっ……!」
明確化された脅しの言葉に、私は姿勢を正して直立した。そんな私の振る舞いを見て『逃げないだろう』という判断を下したのか、彼女は三人組の男たちへと視線を向ける。




