【ハンスとアイツ②】
なんとなく少し落ち着かなくて寮を出た。
出たのは良いが、宿直室に入るのはまだ早すぎる。
かと言って、外出の手続きをして外に遊びに行くには、時間的余裕は少ない。
あてもなく基地内をウロウロと歩いていると、いつの間にかハンスの居る歩兵科の寮の前まで来ていた。
どうせここまで来たのなら、いっそのことアイツの事をハンスに直接聞いてみようと思い寮の入り口のある裏に回ったとき、裏の駐車スペースにあるはずのハンスの車が無い事に気付いた。
ハンスの車はソウルレッドプレミアムメタリックに塗装されたMAZDA6。
女は載せない。
しかしそのときさっき見た、演習場からアイツを乗せてジープで戻って来るハンスの姿が脳裏に浮かんだ。
“あれはジープだったからだ!”
僕が自分の考えを慌てて否定した。
宿直室にアイツが来た。
どこで着替えたのかパンクロックみたいな服装から、少しチェックの模様の入ったグレーの上品なスーツを着ていた。
正直始めはアイツだとは思わなかった。
どこかのモデルか女優が撮影のために来たのだと思ったが、傍にハンスが居た事で気が付いた。
ハンスが連れて来たのだ。
しかし衣装ひとつでこれほど変わるとは、正直驚いた。
ハンスに聞くと、実技試験をクリアしたアイツは、この宿直室の一部屋を宿としながら1週間のスケジュールで筆記試験を受けるらしい。
つまり難問を次々に出して、そこから落第点を見出して追い払うという作戦。
いかにも事務長のテシューブらしい汚い作戦だ。
ハンスに晩飯はどうするかと聞くと、外で食べて来たと言った。
晩飯が出るのに外で食べて来るなんておかしいと思って聞くと、急に泊まることになったアノ子の夕食の手配が出来なかったので外で食べさせて来るようにと事務長から指示を受けたと言っていた。
ついでに服があまりにも自分と比べてアンバランスだったので、服も買ってやったと言った。
ハンスが服を買ってやった!?
連れ出したということは、あのMAZDA6に女を乗せたのかと聞くと、ハンスは女は乗せていないと言う。
しかしアイツは女だ。
おかしいと思ってその理由を聞くと、外人部隊は女を雇わないからアイツは男として雇われることになるだろうと笑って言った。
「雇うって、合格なのか? でもまだ学科試験が残っているんだろう?」
「ああ、でもアイツは学科もクリアする。いやクリアしてもらわないと困る」
「どういうこと?」
「アイツの能力は桁違いだ。これが俺たちの戦力になるかならないかは俺たちの部隊にとって大きい」と、ハンスは言った。
女性として背は高いが、男の中では標準的な背丈。
だが体つきは華奢。
その華奢な体で、初見とはいえモンタナとブラームを破った。
射撃の腕前は超一流と言うより、次元を超えていると言った方が当たるくらい。
能力は超一流で、実行部隊としては喉から手も出るほど欲しい人材。
将来発足される特殊部隊の隊長に抜擢される筆頭候補のハンスが、アイツの能力に惚れ込んだと思うと納得がいく。
しかし、この若さで、どこでその様な能力を身に着けた?
まさか幼少期から軍事オタクに育てるような親は居ないはず。
僕の怪訝そうな顔にハンスは気がついたに違いなく、僕に言った。
遠くから観察するような目で見るのはやめて、実際のアイツと会って来いと。
ただしアイツが気に入らなければ、握手を差し出した手は捻られて君はドアを突き破る勢いで追い返されてしまうと。
やはりハンスは、僕がアイツを気にしている事に気付いていた。
さすがハンス!
ハンスに促されるまま、僕はアイツの部屋に向かった。
僕だってアイツの事を軽く見ているわけではない。
アイツは死神だから、ドアの向うに誰か来ているなんて事はお見通しのはずだから、ドアの前で迂闊に中の様子を探っているとそれこそハンスの言う通りになってしまうだろう。
だから普通に廊下を歩いて、普通にドアの前で立ち止まり、普通にそのドアをノックした。
アイツはやはり気付いていたらしく、すぐにドアを開き少し怪訝な顔をした。
ここでアイツの機嫌を損ねると……と、思った僕は握手の手をすぐに出すことをためらってしまう。
そこにアイツが僕に敬意を払った思いやりのある挨拶をしてくれて、握手の手を差し伸べた。
僕の手が、ためらっている僕の意志とは無関係に、その白い華奢な手に引き寄せられアイツの手を握る。
手と手が重なり合う事で、様々なアイツの情報が脳に伝えられる。
情報は僕の思っていた事を全て裏切った。
もっと冷たい手だと思っていた。
もっとギスギスして硬い手だと思っていた。
もっと強い力で威圧されると思っていた。
ところが握った手は、毛布の様に温かく、恋人の様に柔らかく、母の様に優しく僕の手を包んでくれた。
同じ様に、握手で僕の情報を仕入れたアイツが言った。
どうして、そんなに緊張していたのかと。
僕は正直に、君が僕を気に入らなければ握手の手を捻って投げつけるとハンスから伝えられたと言うと、アイツは「まさか」と言って笑た。
その笑顔は年相応と言うよりは、もう少し幼い無垢な少女の屈託のない笑顔だった。
この夜の当直に、僕は神さまからご褒美をもらった。
いつもは早番を選ぶハンスが、この夜は珍しく遅番を選んだ。
何故それが御褒美かと言うと、早番の僕は遅番のハンスと後退したあと彼が寝ていたベッドに潜り込めると言う事。
案の定ハンスと交代したあとに入ったベッドは暖かく、ハンスの匂いに包まれて僕は幸せな気持ちで眠ることが出来た。




