【気になるアイツ①】
交代の時間が来て僕は無線室に入る。
ハンスとの引継ぎが終わり、彼が部屋を出て行く。
僕はその後ろ姿を希望の眼差しを向けて追いかけていた。
もしかしたらドアを開けて部屋を出て行くとき、ハンスが振り向いて投げキッスをしてくれる絵を頭に浮かべながら。
硬派で堅物の異名の高いハンスが、その様なことをするはずもない。
だからこれは単なる僕の希望。
「じゃあ、宜しく!また朝に」
僕の視線に気が付いたのか、ハンスは部屋のドアを閉める前に振り向いて片手を上げて、そう言って出て行った。
少しだけ口角が上がっていた!
白い歯がLEDライトの灯りを反射して光った!
上げた手が、チャンとした青春映画の様にカッコイイ!
振り向いた姿が透明感あふれていて爽やか!
そしてハンスの目が、僕を見ていた。
焼けるような感情が胸を熱くときめかせ、僕に活力を与える。
いまならロシアのクソ野郎どもが束になって掛かって来ようとも、僕はシモヘイヘ以上の力を発揮して薙ぎ倒すだろう。(シモヘイヘ=フィンランドの英雄で、WW2でロシアがフィンランドに侵攻した際に活躍した狙撃手)
けれども浮かれた気持ちは長くは続かなかった。
すでにハンスはマニュアル通り部屋を出て行き、今ごろは管理庫から自分用の夜食を取り出して食べているはず。
食事のあとは歯を磨き、朝の引継ぎ前まで僕のことなど忘れてグッスリ眠る。
そう思うと、高揚した気持ちが、一気に沈む。
ところが沈んだ僕の気持ちを戻す魔法のアイテムを彼は用意してくれていた。
それは無線機のテーブルに置き忘れられた1本の赤色のボールペン。
官給品の安物じゃなく、流線型の赤いラインが描かれたボールペン。
赤はハンスの好きな色だ。
持ち主がハンスだと確定したわけではないが、彼がこのボールペンを使っていた事は、ボールペンが置かれていた位置からすぐに分かった。
ボールペンを手に取ると、まるで映画やアニメの様にエネルギーが発生して僕の中に吸収されている様な気分になり、僕は楽しい相棒を指に抱いてその日の宿直を終えた。
もちろん朝ハンスが来たときにボールペンを彼に返したのだが、僕が手名付けたボールペンを彼が持ち彼の胸ポケットに仕舞われる姿を僕は感慨深く目で追っていた。
それから数週間、僕の楽しみはお昼の士官用食堂でハンスと一緒に食べることだけだった。
それでも構わないし、それでも僕は誰よりも幸せだと思っていた。
ところが或る日、僕の幸せに暗雲を立ち込める出来事が起きた。
この日はハンスと一緒に当直する日で、僕はルンルン気分で午後の仕事に取り組んでいた。
技術部の居室でパソコンを使って作業をしていると、画面の右上部にPTZカメラが操作されているメッセージが表示された。
PTZカメラとは遠隔操作が可能なネットワーク型の監視カメラで、離れた場所からPanoramac(カメラのレンズを左右に動かす)、Tilt(カメラのレンズを上下に動かす)、Zoom(カメラのレンズをズームアップ・ズームアウト)することが出来る。
監視カメラの環境構築やトラブル対応は技術部の管轄だけど、僕の担当ではない。
だいいち監視カメラの映像は、警備部の仕事だ。
なのに何故僕のパソコンにその様なメッセージが表示されるのかと言うと、それは僕がそう出来るようにシステムを組んでいるから。
目的は勿論、ハンスの姿を見るため。
言ってみれば僕の個人的な理由。
だけど常に見ているわけではない事だけは、ことわっておく。
僕だって、そんなに暇な訳ではないから。
隊内の防犯カメラシステムは外部とは遮断されたガラパゴス形式を取っているため、操作したのは内部の人間。
心当たりはあった。
PTZカメラの操作権限は誰にも与えられて居るものではない。
限られた者。
つまり管理職の一部の者だけ。
その中で、PTZカメラを操作できるほどの暇人と言えば……通知された情報を見ると、犯人はやはり事務長のテシューブだった。
何のために、つまり何の目的のために操作までして見ているのだろうと思っていると、カメラは守衛室で何かの手続きをしている人を捉えていた。
身長は175cmくらい、革ジャンにカーゴパンツ、それにリュックは今時珍しいレザーボトムのヴィンテージな軍用ダッフルバッグを肩に掛けている。
髪はシルバーで華奢な体格で、ヘビメタバンドなんかに居そうな男。
いや、待てよ……テシューブがカメラを下に動かしズームアップして止めた。
映し出されたのはカーゴパンツのヒップの画像。
華奢な体系には不釣り合いな大きめのヒップは男としてはアンバランスだが、女なら有り得る。
しかしここは外人部隊の基地で、フランス外人部隊は女性隊員を募集しないし、事務員も国軍からまわされる。
基地内の食堂は外部委託なので女性が面接に基地に訪れることはない。
いったい、この変な女は何者なんだ?




