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【珈琲カップ】

 当直の夜は交代で無線と電話の係をする。

 食事も同じものは食べずに、時間も別々に取るのが決まり。

 寝る部屋も別。

 だから一緒に居られる時間は少ない。

 一緒に居るのは、始まりの時間と交代の時間、それに終わりの時間くらい。

 それでもハンスと一緒の屋根の下に居るということが、僕には特別な意味を持つ。

 何故なら緊急の招集が掛かる歩兵科と、そうでもない僕の技術部とでは寮も異なるので、宿直が一緒の時はハンスを独り占めに出来るから。


 宿直室に上がると、ハンスはもう来ていてシャワーを浴びていた。

 訓練中に着ていた服は、もうランドリーの中で回っている。

 訓練が終わって歩兵の宿舎に戻ってシャワーを済ませてからだと、洗濯に時間が掛かるから訓練が終わって着替えを用意して真直ぐに宿直室に来たのだ。

 相変わらず、何事にも卒がない。

 ランドリーの中でクルクルと楽しそうに回るハンスの服や下着を見ていると、まるで遊園地で遊ぶ子供の様に思えて僕まで楽しくなってくる。

 僕の服も一緒に遊ばせたいなと思ったとき、シャワーの蛇口が閉まる音が聞こえた。

「ニルス?」

「ああ、早かったね」

「まあな」

 シャワー室のドアの向うに居るハンスが裸だと思うと、チョッとドキドキする。


 ガチャリとシャワー室のドアが開くと、バスタオルを腰に巻いたハンスが出て来る。

 まるでボクサーの様に贅肉を削ぎ落した筋肉隆々とした体は、まるで芸術を見ているように僕の目を奪うが、僕は自分の意思とは裏腹にその芸術から目を背けた。

「珈琲を淹れようか?」

「ああ、頼む」

 僕の提案に素直に従ってくれたことが嬉しい。

 しかも “頼む” だなんて、まるで頼られているみたいだ。

 ウキウキとした気持ちでシャワー室を離れ、僕はキッチンに向かい珈琲の用意に取り掛かった。

 まずはポットでお湯を沸かし、その間に珈琲豆を手回し式のミルで挽くと、部屋中に良い香りが漂う。

 お湯が湧いたら先ずハンス用の珈琲カップとサーバーの上に乗せたドリッパーに注ぎ、今度は僕用のティーポットとティーカップにお湯を注ぎ、それぞれのカップ以外に注いだお湯はすぐにシンクに流す。

 それから紅茶の葉をティーポットに入れて沸騰したてのお湯を注いだあと蓋をして3分蒸らす。

 3分経った頃、ティーポットの蓋を開けポットの中をスプーンでひとかきして、茶こしでこしながらお茶の濃さが均一になるようにして、お湯を捨てたてのカップに注ぎ最後の一滴まで入れる。

 この最後の一滴がゴールデン・ドロップと呼ばれる1番美味しい滴。

 紅茶の世話をしている間に少し冷めたお湯を、今度は珈琲に使う。

 挽き終わった粉をドリッパーに被せたペーパーフィルターに入れ、内側から外に回しながら粉を湿らせる程度に満遍なく注ぎ、しばらく放置して粉を良く蒸らす。

 そのあとまたポットを回しながら、今度は普通にお湯を零す。

 お湯の量は最初の粉の位置から1センチ強くらいの高さで止め、それを数回に分けてカップを満たして出来上がり。


 ちょうど珈琲と紅茶が出来上がった頃、ハンスがキッチンに入って来た。

 長袖の迷彩服ではなく、半袖の作業用の制服。

 シャワーを浴びたばかりの剥き出しになった太い腕が、エロスの香水を振りまく。

「いつもありがとう」

 出来上がったばかりの珈琲に気付いたハンスが僕に礼を言う。

 僕は見惚れていたハンスの腕から目を離し、どういたしましてと平然を装って返事をする。

 どうせなら言葉で礼を言ってくれるより、子供の時にそうされたように手で頭を撫でてもらいたい。

 いや、いっそのこと、その太い腕で抱かれてみたいと思っていた。


 ハンスがカップに指をかけ、珈琲を口の傍まで持って行き、それを口ではなく鼻の傍でカップを少し揺らし匂いを味わってから口に運んだ。

「ああ、いい香りだ。コクも好い。ニルスの入れてくれた珈琲は本当に美味しいな。でも何で君はいつも紅茶なんだ?」

「僕の家族は祖母と僕を除いてみんなコーヒー好きなんだ。そして僕は、お婆ちゃん子だから」

「それで珈琲の淹れ方が上手いのか」

 ハンスに褒めてもらい、嬉しかった。

 でも僕は家族のために珈琲の淹れ方を勉強したわけじゃなく、ハンスに褒めてもらうために珈琲の淹れ方を研究したのだ。


 ティーブレイクが終わると僕たちは無線室に入り日勤の将校と引継ぎをして、早番のハンスはそのまま無線室に留まり、僕は無線室から出て夕食を取るために再びキッチンに向かった。

 テーブルに置かれたままのカップが2組。

 僕はハンスのカップを取り上げ、彼が口を付けた方を自分の頬にそっと当てた。

 これは僕から僕への御褒美♪

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