アスリート 3
「え、マジで!?」
目を丸くしたゆうじさんがこっちを見る。手には、早見監督の名刺を握りしめている。
「ちょ、ええ? いや、マジか」
ゆうじさんがこうなるのは大体予想できていた。だから、試合も片付けも全部終わってから言おうと決めていた。
「りりか、どうするの? 行くのか?」
声のトーンを下げて、真剣な顔でゆうじさんが聞いてくる。正直、どうしたら良いかわかっていない。ゆうじさんなら、正解を持っていると思った。
「いや、えっと。まあ、子供たちのこともあるし、プロの世界は厳しいだろうし」
つい、試すようなことを言ってしまう。
「りりかは、どうしたい?」
どうしたいんだろう。私は、どうしたい?
「私は、」
「行きたいんだろ? 俺のことは気にするなよ」
「え?」
「いや、行きたいに決まってるだろ、こんなの。早見監督だぞ? やっぱり、俺の育て方は最強だったってことかあ」
あまりにも清々しいゆうじさんに驚きつつも、心の中で喜んでいる自分がいることにも驚く。
「行っても、良いんですか? 子供たちは、大丈夫ですか?」
「良いに決まってる。こっちのことは、任せとけ!」
ドン。ゆうじさんが力強く私の肩を叩いてくれた。
東京は、もっと狭い場所だと思っていた。初めて東京駅に足を踏み入れた瞬間、あまりの人の多さに、立ちくらみしそうになった。監督が寮の部屋を確保してくれていたため、この日まで東京には来ていなかった。
「ここで生活って。大丈夫かな」
つい弱音を吐いてしまう。でも、やると決めたからには、頑張るしかない。
「今日からウチでプレーする、佐賀だ」
早見監督が、こちらに目で合図を送る。
「初めまして。静岡県から来ました、佐賀りりかと申します。よろしくお願いします」
プルプル震える手を押さえながら、ペコっとお辞儀をする。目の前で座っている選手たちは、みんな強そうに見えた。
練習が始まってからも、緊張からか体が思うように動かなかった。プロの世界の洗礼を浴びた気がした。
「佐賀っち〜〜! お疲れ!」
「あ、お疲れ様です」
「私、宮川里莉花。よろしくね。名前一緒だね」
練習終わり、寮に戻ろうとしたところだった。
「え! 初めて会いました、名前同じ人。嬉しいです」
「まじ!? りりかって名前、結構いるでしょ」
宮川選手が笑いながら、私の隣に並ぶ。宮川選手は、ゆうじさんがいつも子供たちに手本としてプレーを見せてる選手だ。つまり、めちゃくちゃ上手い選手だ。
「佐賀っちは、静岡だったよね?」
「あ、そうなんです。コーチやってて」
「え!? コーチ?」
宮川選手が、立ち止まる。
「選手としてやってたとかじゃなくて? 監督とは、どういう出会い?」
そりゃそうなるよな、と思いながら、一度深呼吸する。この質問は絶対されると思って、静岡で何度も返答を練習した。そのままのセリフを、口に出す。
「はーーん。いや、面白い。監督が見つけた人だもんね。期待されてるんだなあ」
宮川選手に言われると、気まずい。
「何かわからないこととかあったら、私に聞いてね。じゃ、また明日」
宮川選手が去ったのを確認し、一度近くのベンチに腰をかける。ふう。一気に疲れが押し寄せて来る。今の自分の感情が、とてもぐちゃぐちゃなことに気づく。頑張るぞ、という気持ち。本当にやっていけるのか、という気持ち。そんなに期待しないでほしい、という気持ち。でも負けたくない、という気持ち。どんどん溢れてくる自分の気持ちに気づく度に、鼻の奥がツンとする。
ブーー。着信音が鳴る。ゆうじさんからだ。
「お、りりか? 今日の練習は終わったか?」
ゆうじさんの声を聞いた瞬間、ずっと我慢していた涙がベンチに落ち、ビシャっと跳ね返る。
「りりか、泣いてるのか?」
「うう。ゆうじさん、ごめんなさい」
もう我慢できなくなった。ゆうじさんは、私の嗚咽が止むのを聞いてから、話し始めた。
「もう、遊びじゃないんだぞ。仕事だ。それで、飯を食っていくんだろ?」
ゆうじさんの、今までに聞いたことのない低い声に、ハッとする。
「りりか、覚悟を決めろ。やれよ」
それだけ言うと、電話は切れた。




