娘 5
私は、母方の祖父母に会ったことがない。母がその理由を教えてくれたことはなかったが、何となく聞いてはいけないことのような気がして、今の今まで考えないようにしていた。
「私の母、アスリートだったんです」
母の口からその言葉を聞いた時、私はびっくりしすぎてしばらく口を開いたまま呆然としていた。
「娘のえりには、この話をしたことがありません。アスリートだった母とは、あまり良い思い出がなく、今でも会ったり話したりすることもありません。娘ができてから、会いに行こうか考えたこともあったのですが、私たち親子の姿を見せることは、とてもできないと思いました」
母の言葉に驚きながらも、佐賀選手の反応も気になり、目を向ける。偶然、佐賀選手も私に目線を送った瞬間だった。少し微笑んでから、ソファーから立ち上がりこっちに来るよう、手で合図を送ってくれた。
「お母さん、その話、もっと聞かせてくれないかな」
勇気を出して、聞いてみた。思い返せば、お母さんの昔の話を聞いた記憶がない。いつも、私のことを気にする言葉ばかりをかけてくれる。お母さんは、何を考えているんだろう。どんな思いを持って、私を育ててきてくれたんだろう。
母が、佐賀選手の手を離し、私の方に向き直す。
「今まで黙っててごめんね。あなたのおばあちゃん、昔スポーツ選手だったの。私が子供の頃、母は全盛期で、ほとんど家にいなかった。えりちゃんと一緒で私も一人っ子だったから、家で一人でいるのがとにかく寂しくてね、一度だけ母の目の前で大泣きしたことがあったの」
あ。あの目だ。涙で潤んでいるけど、あの目をしている。
「その時、母が放った言葉が、うるさい、の一言だったのよね。幼いながらにショックで」
笑いながら、また涙を床に落とす。
「そっか、私ってうるさいんだって思ってね。でも、やっぱりどうしようもなく寂しくて。そこからは子供がたくさんいる施設に行かせてもらえることになったんだけど、私が将来お母さんになったら、絶対家にいてあげようって思ったの」
母が、涙でぐちゃぐちゃになった顔で私に微笑む。いつの間にか、私の目にも涙が浮かんでいた。母の顔が涙で霞む。
「それなのに、本音で話してもらえないようなお母さんで、ごめんね」
その言葉を聞いた時、私の涙腺がフッと緩んだ。涙と鼻水が滝のようにこぼれ出す。呼吸が苦しい。私が泣き止むまで、佐賀選手が私の背中をさすり続けてくれた。
佐賀選手は、私が落ち着くのを見守ってから、新幹線の時間がもうすぐだからと、帰って行った。寂しかったが、また会おうと約束を交わし、見送った。
「佐賀選手、とっても素敵な人ね」
ソファーの横に座っている母が言う。私は、前を向きながら頷く。横目で母の手元を見る。涙で少ししわくちゃになった私の感想文が握りしめられている。
「お母さん。私、学校で他の人と話すの得意じゃなくて。一人で本を読んでる時間が好きだから、いつもそうしてて。そしたら、いつの間にか友達がいないまま三年生になっちゃって。だけど、お母さんは私に友達がいないことを、すごく心配してくれたから、言えなくて。だから、ごめん」
さっき考えて言おうと思ったことを、思い切って話してみた。母の顔は、怖くて見れなかった。
「ふふ、ふふふ」
「えっ」
「えりちゃん、面白い」
母がさっきよりも口を開けて笑いながら、カップを二つ持ってキッチンに歩いて行く。
「え、何が面白いの? 私真剣なのに」
私も笑いながら、母について行く。今度からは、思ったことを母に言おう。母なら、何でも受け入れてくれる気がした。
「えりちゃん、今度佐賀選手の試合、一緒に行こっか」
母が楽しそうに笑いながら言う。
「実は、この前の日曜、行ってきた」
昨日までの私なら、きっと本当のことは言えなかった。今なら、何でも笑って言える。そんな気がした。
「ええ! そうだったの!? やだーー、今度は私も一緒に行かせてよお」
母が私のお腹を肘でコツンと突きながら言う。ああ、幸せだ。母とこういう話をするのが、こんなに楽しいなんて。
「あら、来月、静岡に来るみたいよ。チケット、取っちゃっていい?」
「うん、取って」
今まではできなかった会話。今までは感じたことのない感情。きっと、まだまだ私の知らない母が出てくる。それを探り出すのが、楽しみだ。
そして、数年後の自分がどこで何をしているのか、それも楽しみだ。佐賀選手とは、本当にまた会えるのか。それも、とても楽しみだ。




