娘 4
気まずい。こういう時、何をしてれば良いのか、全然わからない。佐賀選手が私の感想文を読み始めてから、もう三分は経過してそうだ。
「あ、あの」
思わず声を上げてしまった。
「いやーー、参ったな」
困り顔をした佐賀選手がこっちを見る。
「なるほどね。そっか。今、時間ある?」
佐賀選手が一度腰を上げて座り直す。
「はい、大丈夫です」
覚悟を決め、頷く。
「君がここに書いてくれた話。私の、目の話。君には話そうかな」
佐賀選手の言葉に、思わず背筋が伸びる。
私が初めて佐賀選手と目が合った時のこと。その瞬間は、時が止まったように感じた。それは、佐賀選手がキラキラしていたからだけではない。表現が難しいが、目の奥に、光がない暗さのようなものを感じたのだ。一瞬だったが、その暗闇に飲み込まれそうになった。
全員が教室に戻った後、戸川先生から感想を書くよう指示があった。私は、正直にそのことを書いた。まさか見られるとは思っていなかった。私に友達がいないことや、家族と本音で話せないことなど、つい余計なことまで書いてしまった。それは、佐賀選手と同じ目を持った人を知っていたから。
「お母さん、目の奥が暗いんだ?」
いきなり言われて、少し困惑する。声が出ない。
「実はね、私、高校生の頃はサッカー選手になるつもりなんて一切なかったんだよね」
「へ?」
想定外の回答に裏返った声で返答してしまう。
「実家が大変でさ。貧しかったっていうわけではないんだけど、母親が少し病気で。ずっと入院と退院を繰り返してたんだよね」
優しく笑いながら、佐賀選手が続ける。
「私、一人っ子なんだけどね。私が高三の時が一番大変でさ。毎日母親のお見舞いとか行ってたら、いつの間にか卒業が近づいてて。とても自分の進路なんて考える余裕なかったから、とりあえず地元で続けてたサッカーチームのコーチみたいなのをやってたんだよね」
ああ。あの日に見た、あの目と同じだ。
「で、たまたま今のチームのコーチが静岡に遠征来てて、私のプレーを見つけてくれた。その時母親がまだ生きてたら、もしかしたら違った道を歩んでたかもしれない。当時はもうその道しかなかったから、必死にくらいついて、今に至るって感じ」
スカっとした笑顔で、佐賀選手が微笑んだ。返す言葉が見つからない。ああ。だから、感謝っていつも言ってるのかな。
「もしかしたら、えりのお母さんも、寂しい思いしてきたんじゃないかな。で、えりのことを愛しい目で見てるんだよ。私もね、壇上からえりを見つけた時、そういう気持ちになったんだ」
驚いて顔を上げる。
「自分で言うのもおかしいけどさ、私のこと知らない高校生なんてきっとえりだけだよ」
軽く膝を叩きながら佐賀選手が笑う。
「ねえ、家一緒に行く?」
頭の整理が追いつかないまま、佐賀選手からさらに驚く提案を告げられた。
「はーーい」
ハンカチで手を拭きながら、母が玄関にやってくる。私が一人じゃないことに気がつくと、目を丸くしながら佐賀選手と私を交互に見る。
「あ、お母さん、この人はね」
「こんにちは! サッカー選手をしております、佐賀りりかと申します!」
ニコッ。私の3倍くらいの声量で佐賀選手が挨拶をする。
「えちょっと。えりちゃん、どういうこと」
目を泳がせながらお母さんが私に助けを求める。
「いきなりすみません。お母さんが、アスリートのことをあまり良く思っていないことは、えりさんから聞いています。私がお願いして連れてきてもらったんです。いきなりで本当にすみません」
佐賀選手がガバッと深く頭を下げる。
「とにかくここじゃあれだから、二人とも入りなさい」
母がいそいそとキッチンに戻る。私は、佐賀選手をリビングのソファーに案内する。
「こんなものしかなくてごめんね」
そう言いながら、母が私と佐賀選手に紅茶とクッキーを出してくれる。佐賀選手が、私の書いた感想文を母に差し出す。
「私、この前川波学園で講演をやらせてもらったんです。その時の感想文を、今日彼女からもらいまして」
カーーッと耳が熱くなるのを感じる。本当は見られたくない。でも、佐賀選手がくれたチャンスだ。絶対にこれを見せた方が良い、そう提案してくれた。
しばらくしてから、ようやく母が口を開いた。
「えりちゃん、友達できたんじゃなかったの? お母さんに、本音話せてないの? お母さんの目、おかしい?」
母の目が徐々に涙で溢れてくる。ついに一粒、涙が床に落ちた。
「お母さんと私、おんなじ目をしてるみたいです」
優しい笑顔で佐賀選手が言う。
「私、母親亡くしてるんです。病気で」
佐賀選手がソファーから立ち上がり、母の目の前に立つ。そして、軽く母の手を握る。
「お母さん、娘さんに話せてないこと、ないですか」
ハッとした顔で、母が佐賀選手を見る。佐賀選手が、母に微笑む。
「母親亡くしてから、すごく感じるようになったことがあるんです。今自分の目の前にある光景が、全く当たり前じゃないってこと。そう。今も、思ってます。でも、やっぱり寂しいんですよね。自分は、そう思ってもらえてるのかなって。娘さんが感じてる、その目のこと? それも、そういうとこからなのかなって思ったりして」
あ。母が佐賀選手の手をぎゅっと握り返したのがわかった。




