娘 2
「うそ!?」
ハッとして思わず口を押さえる。下にいる母に聞こえては大変だ。佐賀選手の所属するサッカーチームが、今度静岡県で試合をするらしい。会場は、ウチから電車で二〇分のスタジアム。行きたい。もう一度、この目で見たい。
母はスポーツ観戦が嫌いだ。昔、野球を見ていた父に対して、あんなの仕事にしてずるい人たちだわ、と言っていた。その日以来、我が家ではスポーツを見ることがなくなった。
日付を確認する。来週の日曜日の一四時開始。母は家にいるはずだ。どうやって抜け出そう。
「えりちゃーーん!来週の日曜日、買い物行かなーーい?」
下から母の声が聞こえる。心臓がドクンとしたのを感じる。いつも通りでは、ダメだ。
「ごめん、お母さん。その日無理みたい」
思わず叫んだ。今までの自分なら絶対に口にしないセルフ。
「え? 無理なの?」
タッタッタ。来る。来てしまう。
「えりちゃん、どういうこと?」
引き攣った笑顔で、こっちを見ている。
「あ、えっと、来週の日曜日なんだけどね、新しくできた友達が遊ぼうって言ってくれて。その子とお出かけ、しようかなって、へへ」
上手く言えただろうか。
「えりちゃん、ついに友達ができたのね! まあ、嬉しい。お洋服ある? お母さん、とびきり可愛い洋服、買ってきてあげるから。楽しんで来なさいよ! えー嬉しいわあ」
母が頬に手を当てて私にウインクをする。目を逸らすと怪しまれるから、ぎこちなく微笑み返した。母はそのまま嬉しそうにドアを閉め、階段を降りていった。
母の足音が完全に聞こえなくなるのを確認してから、ガッツポーズをした。いけた。いけた、いけた、いけた。行けるんだ。佐賀選手に会える。これまでに感じたことのない喜び。
今すぐチケットを購入しなければ売り切れそうだ。クレジットカードは持っていない。コンビニでの支払いを選択する。
「ふう、できた」
あんまり良い席ではないかもしれない。あの目を、直接見ることはできないかもしれない。
「何やってんだろ」
こんなに独り言を言う日は初めてかもしれない。自分でも、これが正解かわからない。でも、行くしかない気がした。
「えりちゃん、可愛いわよ。お友達と、楽しんでおいでね!」
母が買ってきてくれた洋服に身を包みながら、玄関を出る。こんなヒラヒラした服で観戦して大丈夫だろうか。
時計を見る。乗る予定の電車が出発するまではまだ少し余裕がありそうだ。こんな日は、少し散歩がしたくなる。いつもは通らない道を進み、駅を目指した。
「応援グッズいかがですかーー!」
想像以上の人混みに動揺しながら、スタジアムの入り口に向かう。電車に乗っている最中は、少し早すぎただろうかと心配していたが、杞憂だったようだ。
「すごいな」
周りの熱に思わず圧倒される。あ。佐賀選手のユニフォームだ。お揃いで着ているカップルや親子がたくさんいる。人気なんだな。
「チケット一枚でお間違いないですね。ここから入れますので、楽しんで来てください!」
「あ、ありがとうございます。あの、グッズって、どこで買えますか?」
聞いちゃった。帰ってバレたら大変なのに。
「グッズですね。あそこが売り場になってます! あ、今結構並んでるので、お目当てのものがあるなら、早めに行った方が良いかもです!」
「そうですか。ありがとうございます」
考えるよりに先に足が動く。佐賀選手に見つけてもらうためなら、買うしかない。少し小走りをしながら、最後尾を目指す。
列に並んでニ〇分は経過しただろうか。やっと自分の買う番が近づいてきた。
「あれ、どっかで見たような」
ヒャッ。思わず叫びそうになる。
「キャーー。やばーーい!」
周りの歓声で我に帰る。
「え、ええと、ええ」
何も言えない。
「今日も来ちゃいました! やっぱり手渡しが好きなんですよ。今日も絶好調で試合できそうだなあ」
佐賀選手が目の前でたくさんの人に手を振っている。
「欲しいの、決まった?」
「あ、佐賀選手のユニフォームが」
「ふふ、サインも書こうか? 思い出した、君。この前、川波学園で私のこと初めて知った人だ」
顔が熱くなる。ここから逃げ出したい。
「来てくれたんだね、ありがとう。ファンになっちゃった?」
佐賀選手が笑いながら言う。
「あ、へへ」
いつも母に注意される、ヘナヘナした笑い声しか出ない。
「明日、また川波行くんだよね。君は知らないだろうけど、私あそこのOGなんだよね。戸川先生に呼び出されちゃってさ」
少し意地悪な笑みを浮かべながら言う。
「また会えたら良いね。はい、サイン書いたから、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
なんて情けない返事。足早に立ち去ってしまった。会いたかったはずなのに。あの目を、間近で見る絶好のチャンスだったのに。




