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内乱記異聞  作者: 奪胎院
第五部 ゼラの戦い

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第十四章:三つの対話

軍団の反乱という嵐が過ぎ去ったローマに、カエサルは束の間の平穏をもたらした。


その数日後、彼は若き大甥オクタウィアヌスが神官団の一員に就任したことを祝うという名目で、アウェンティヌスの丘にある彼の邸宅を訪れた。


祝いの宴とは名ばかりの、ローマの未来を担うかもしれない若者たちを、その目で確かめるための、静かな品評会だった。


邸宅は、オクタウィアヌスの母アティアとその夫フィリップスが管理する、パトリキ(貴族)階級の邸宅として品格はありながらも、過度な贅沢を排した実直な作りだった。


その奇妙なまでに華美でない雰囲気が、この家の若き主人の気質によく似合っていると、訪れた者たちは感じた。


その日、その場所で、ローマの未来を形作ることになる三つの対話が、まるで運命の糸が絡み合うかのように、同時に、そして静かに進行していた。


--広間にて--


宴の中心である広間では、カエサルの腹心であるオッピウスとバルブスが、老獪な猟犬のように獲物を品定めしていた。


彼らの視線の先にいるのは、一人の優雅な青年、マエケナスだった。


彼は、元老院議員や騎士階級の男たちと、実に楽しげに、しかし決して深入りはしない絶妙な距離感で談笑している。


二人は、示し合わせたように、マエケナスのいる輪へと近づいていった。


「これは、マエケナス殿。今宵は、実に素晴らしい宴ですな」


オッピウスが、人の良い商人のような笑みを浮かべて話しかける。


「これは、オッピウス様、バルブス様。ようこそおいでくださいました。全ては、我が友オクタウィアヌスの威光と、カエサル閣下のご厚意の賜物です」


マエケナスは、完璧な謙譲の辞を述べた。


「いやはや。しかし、カエサル閣下がローマにお戻りになって、街の空気も少しは落ち着いたように感じますな。マエケナス殿の耳には、フォルムの民草の声は、どのように聞こえますかな?」


それは、単なる世間話ではなかった。


カエサルの不在中、首都の情報を一手に握っていた二人が、新世代の実力を試すための、最初の探りだった。


マエケナスは、少しだけ思案する表情を見せた後、静かに答えた。


「民は、カエサル閣下の勝利を喜び、その寛大さに感謝しております。彼らが今、何よりも求めているのは、明日のパンを約束してくれる、確固たる秩序です。しかし、同時に…彼らは、あまりにも強大すぎる個人への、漠然とした不安も抱き始めています。その秩序をもたらす力が、自分たちの自由を奪うのではないか、と。その矛盾した感情の狭間で、民は揺れております」


その答えに、オッピウスとバルブスは、顔を見合わせた。


若者の答えとしては、あまりにも的確で、そして冷徹だった。


この青年は、自分たちと同じ種類の人間だ。


人の心の裏側を読み、世論という見えざる風を操る、影の世界の住人だ。


二人は、静かに、そして確信した。自分たちの後継者たる器が、今、目の前にいる、と。


--庭園にて--


レビルスは、広間の喧騒から逃れるように、一人、月明かりが照らす庭園を歩いていた。


そこに、一人の青年が佇んでいることに気づく。


マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ。オクタウィアヌスの無二の親友と聞いていた。


「少し、夜風にあたりにきた」


レビルスがそう言うと、アグリッパは、まるで兵士が上官に敬礼するかのように、居住まいを正した。


その目には、畏怖と、強い探求心の色が浮かんでいる。


「レビルス閣下。…少し、お伺いしてもよろしいでしょうか」


アグリッパの声は、若々しくも、真剣だった。


「先日のゼラの戦いについてです。報告書を読みましたが、どうしても信じられない。あの電撃的な勝利は、奇跡としか思えません。わずか数日で敵地に軍団を進め、決戦を行い、圧勝する。その間の補給は、一体どうなっていたのでしょうか。兵站の計算が、常識では追いつきません」


その問いに、レビルスは驚いた。


他の者たちが「来た、見た、勝った」という結果の華々しさにしか興味を示さない中、この青年は、その裏側にある、兵站と行軍速度という、最も地味で、最も重要な数字に目を向けている。


「あれは、奇跡ではない。計算だ」


レビルスは、アグリッパの熱心な視線に、思わず引き込まれていた。


彼は、まるで学生に講義をするかのように、事前に小アジアの諸都市にどれだけの穀物を準備させていたか、敵の予想進路からいかにして最短の補給ルートを割り出したか、そして、兵士たちの体力を限界まで引き出すための行軍計画を、淡々と語って聞かせた。


アグリッパは、その言葉の一言一句を聞き漏らすまいと、食い入るように聞き入っていた。


「…なるほど。つまり、勝利は、戦いが始まるずっと前に、あなたの計算盤の上で準備されていた、と。信じられません。ですが、事実として、閣下は勝利を掴まれた」


アグリッパは、深い感銘を受けたように呟いた後、羨望の眼差しでレビルスを見た。


「俺は、戦術や戦史を学んでいますが、それはあくまで書物の上でのことです。あなたのお話を聞いて、本当の戦争とは、我々が目にすることのない無数の数字によって支えられているのだと、痛感いたしました」


その純粋な憧れと、事実を渇望する知性に、レビルスは、この名もなき青年の中に、恐るべき才能の片鱗を見た。


この男は、いずれ戦場を知れば、誰よりも早く成長するだろう。


なぜなら彼は、勝利という結果を、幸運や勇気といった曖昧なものではなく、数字という冷徹な事実で理解しようとしているからだ。


それは、レビルス自身の戦い方と、どこか似ていた。


--書斎にて--


邸宅の最も奥にある書斎では、カエサルとオクタウィアヌスが、二人きりで対峙していた。


「…して、オクタウィアヌスよ。お前にとって、今のローマとは、どのような存在だ?」


カエサルの問いは、静かだったが、大理石のように重かった。


「病める巨人、です」


オクタウィアヌスの答えは、即答だった。


「ですが、その病の原因は、元老院の腐敗や、民衆の堕落といった、ありきたりなものではないと、私は考えます」


「ほう、では何だ?」


カエサルの目に、興味の光が宿った。


「病の原因は、決断の不在です、大叔父上。千の人間が議論すれば、千の意見が出ます。その間に、巨人の体は刻一刻と蝕まれていく。あなたがガリアで、そしてこの内乱で示されたのは、たった一つの、しかし絶対的な決断が、いかに素早く、そして効率的に事態を解決するかという、動かぬ事実です」


その言葉は、カエサルへの、若者らしい、しかし驚くほど的確な賞賛だった。


「…お前は、この私をよく見ているな」


「はい。誰よりも」


オクタウィアヌスは、力強く頷いた。だが、その顔に、一瞬、もどかしさにも似た影が差した。


「ですが、私はあなたのように、戦場で自らを示すことができない。この虚弱な体が、それを許さないのです。それが、歯がゆい」


彼は、カエサルを真っ直ぐに見つめ、続けた。


「だからこそ、私は学ばなければならないのです。あなたが、このローマを、そして世界を、どのように動かそうとしておられるのか。その全てを」


その言葉に、カエサルは、この大甥の魂の奥底にある、巨大な野心と、それを支える冷徹な知性、そして、肉体的な劣等感からくる、底知れない渇望を感じ取った。


この若者は、自分に憧れている。


だが、それは、ただの模倣者になるということではない。


自分とは違うやり方で、自分を超える高みへと至ろうとしているのだ。カエサルは、その計り知れない可能性に、満足げな笑みを浮かべた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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