第十四章:ナイルの援軍
ファロスの大敗は、カエサル軍から、最後の希望さえも奪い去ったように見えた。
陣営は、負傷兵のうめき声と、重い沈黙に支配されていた。
兵士たちは、もはや明日を語ることもなく、ただ、いつ来るか分からぬ敵の最後の総攻撃を、死刑囚のように待っているだけだった。全ての希望が絶たれたかと思われた、まさにその時だった。
「……見張り台より報告!東方より、単騎の騎影接近!」
伝令のその声に、司令部の天幕にいたレビルスは、思わず顔を上げた。
単騎?敵の軍使か、それとも、投降勧告か。いずれにせよ、良い報せであるはずがない。
カエサルも、傷を負った腕を押さえながら、厳しい表情でその報告を聞いていた。
やがて、その騎影が、味方の歩哨線を通過し、司令部の天幕へと一直線に向かってきた。
その乗り手は、ボロボロの衣服をまとい、砂と埃にまみれていたが、その動きには、人間離れした、しなやかな強靭さが感じられた。
天幕の入り口に、その人影が現れた瞬間、レビルスは、自分の目を疑った。
「……シルウァヌス!」
その声は、数ヶ月ぶりに、純粋な歓喜に打ち震えていた。そこに立っていたのは、数週間前に、九死に一生の任務へと送り出した、エルフの斥候、シルウァヌスだったのだ。
彼の頬はこけ、その身には無数の小さな傷が刻まれていたが、その瞳だけは、変わらぬ鋭い光を宿していた。
シルウァヌスは、カエサルとレビルスの前に進み出ると、片膝をつき、かすれた声で、しかし、はっきりと告げた。
「ご報告、いたします。ペルガモンのミトリダテス公、閣下を救援すべく、シリア、キリキア、そしてユダヤの連合軍、一万五千を率いて……進軍中。到着まで、あと、半日とかかりません」
奇跡が起きたのだ。
レビルスの最後の計算、シルウァヌスが決死の覚悟で届けた報せが、ついに、この絶望の淵に、答えをもたらした。
その一言が、死に体だったカエサル軍に、再び命の炎を灯した。
報せは、伝令の口から口へと、瞬く間に陣営の隅々まで広がっていった。
兵士たちは、最初は何が起きたのか理解できずに呆然としていたが、やがて、その報告が真実であると知ると、堰を切ったように、雄叫びを上げた。
それは、地獄の底から生還した者たちだけが上げることのできる、魂の叫びだった。
レビルスは、ボロボロの姿で立つシルウァヌスの肩を、強く掴んだ。
「……よく、やってくれた。本当によく、やってくれた、シルウァヌス」
「……任務、ですので」
シルウァヌスは、ただ、短くそう答えると、糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。
数週間に及ぶ、死線を越えてきた彼の緊張が、ついに、限界に達したのだ。
その時、見張り台から、新たな報告が響き渡った。
「東の地平線に、巨大な砂塵を確認!味方の……ミトリダテス公の軍勢と思われます!」
シルウァヌスの報告が、現実の光景となって、ついに彼らの目の前に現れたのだ。
「……レビルス」
カエサルが、塔の上から、レビルスを呼んだ。彼の声には、もはや、疲労の色はなかった。
そこにあるのは、反撃の狼煙を得た、絶対的な指揮官としての、かつての覇気だった。
「我々も、動くぞ。このまま、ここで、友の到着を待っているだけでは、ローマの将軍の名が廃る」
カエサルは、眼下で歓喜に沸く兵士たちを見下ろした。
「全軍に通達!今すぐ、出撃の準備を整えよ!我々は、この牢獄から打って出て、ミトリダテスの援軍と合流する!そして、ガニュメデスと、エジプトの若造の王に、ローマの本当の戦い方を、教えてやるのだ!」
その号令に、兵士たちは、雄叫びで応えた。
数ヶ月にわたる、アレクサンドリアでの悪夢は、今、終わりを告げようとしていた。
そして、この内乱の、最後の戦いの幕が、上がろうとしていた。
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