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内乱記異聞  作者: 奪胎院
第四部 エジプト・王家の内乱

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第十一章:沈黙の海

敵将アキラスの死は、カエサル軍に束の間の希望をもたらした。


だが、その希望は、後任の司令官ガニュメデスによって、より巧妙な、そしてより執拗な包囲となって、彼らの首を絞め始めていた。


包囲戦は数ヶ月に及び、状況は悪化の一途を辿っていた。


そして、カエサル軍を、真の絶望へと叩き落とす出来事が起こる。


「水が……水が塩辛いぞ!」


陣営のあちこちで、兵士たちの悲鳴が上がった。


ガニュメデスはローマ軍の水源を海水で汚染するという、恐るべき作戦を実行したのだ。


彼は、アレクサンドリアの地下水路の構造を熟知していることを利用し、王宮地区へ繋がる水道管に、海水を流し込み始めた。


生命線である真水が、敵の策略によって、毒へと変えられた。


水不足は、兵士たちの間に、飢え以上のパニックを引き起こした。


司令部の天幕に、レビルスはカエサルと主要な百人隊長たちを集めたが、その空気は、これまでにないほど重かった。


「……計算上、打つ手はありません」


レビルスは、厳しい表情で報告した。


「この地区内の貯水槽は、すべて汚染されました。残された真水は、各兵士が水筒に持っている分だけです」


もはや、これまでか。誰もが、そう思い始めた、その時だった。


レビルスは、天幕の隅で、微動だにせず立つ、一人の男に目を向けた。


ドワーフの百人隊長、ボルグ。彼は、パニックに陥ることもなく、ただ、床の一点を、じっと見つめていた。その姿に、レビルスは、最後の可能性を賭けた。


彼は、カエサルの前を離れると、ボルグの元へと歩み寄り、深く頭を下げた。


「ボルグ。俺の計算は、限界だ。だが、お前には、俺にはない知識があるはずだ。ドワーフの知恵を貸してくれ。この大地の下に、水はあるか?」


ボルグは、レビルスのその言葉に、ゆっくりと顔を上げた。


彼は、おもむろに天幕の外へ出ると、地面の砂をひとつかみ、その匂いを嗅ぎ、舌で味わった。


そして、海岸線の一点を、無言で指さした。


「……閣下」


レビルスは、カエサルへと向き直った。


「ボルグが、水脈の可能性を指摘しています。海岸近くの、あの場所です。ドワーワーフの地質学的な知識によれば、砂浜の下には、海水よりも比重の軽い真水が、層となって溜まっている可能性がある、と」


それは、何の確証もない、異民族の知恵にすがる、最後の賭けだった。


だが、カエサルは、一瞬の躊躇もなく、決断した。


「よし!兵を集めろ!ボルグが指し示した場所を、水が出るまで掘り続けるのだ!」


カエサルは海岸に井戸を掘るというローマの土木技術でこれを克服することを決意した。


兵士たちは、その言葉を信じ、必死で砂と土を掘り進めた。


数時間後、井戸の底から、清らかな真水が、勢いよく湧き出したのだ。


歓声が、天を衝くように上がった。カエサルの決断と、ボルグの知恵、そしてローマの土木技術が、敵の策略を打ち破った瞬間だった。


水問題は、奇跡的に解決された。


だが、彼らの置かれた、より本質的な問題は、何も変わってはいなかった。


彼らは、依然として、完全に孤立していた。外部との連絡は完全に途絶していたのだ。


夜、レビルスは、宮殿の塔の上から、静まり返った地中海を、ただ、じっと見つめていた。


港の一部を確保して以来、彼は、夜の闇に紛れて、何度も小舟を海へ出した。


小アジアのドミティウスへ、ローマのアントニウスへ。救援を求める、必死のメッセージを託して。


だが、出航していった小舟は、一隻として、帰ってくることはなかった。海は、沈黙していた。


(……もう、海路は使えない)


レビルスは、ついに、その冷徹な事実を受け入れた。


そして、彼は、最後の、そして、最も可能性の低い賭けに、全てを託すことを決断した。


陸路。


このアレクサンドリアを脱出し、砂漠を越え、シリアを抜け、小アジアへと至る、約千キロに及ぶ、死の道。


彼は、自室に戻ると、一人の男を呼び寄せた。


「……シルウァヌス」


音もなく、エルフの斥候が、彼の前に姿を現した。


レビルスは、小アジアの地図を広げ、一つの地点を指し示した。ペルガモン。


「ここに、我々の同盟者、ミトリダテス公がいる。彼だけが、我々を救うことのできる、最後の希望だ」


レビルスは、シルウァヌスの目を、真っ直ぐに見つめた。


「シルウァヌス。お前に、決死の任務を命じる。今夜、このアレクサンドリアを脱出し、陸路で、このペルガモンのミトリダテス公の元へと向かえ。そして、我々の窮状を伝え、救援を要請するのだ」


それは、常人には、いや、いかなる屈強なローマ兵にさえ、不可能としか思えない任務だった。


だが、シルウァヌスの表情は、変わらなかった。


「……御意に」


彼は、ただ、静かに、そして、力強く、そう答えた。


「これは、俺の、最後の計算だ」


レビルスは、声に出していた。


「そして、計算を超えた、お前の能力への、信頼でもある。頼んだぞ、シルウァヌス」


最後の望みを託し、エルフのシルウァヌスを小アジアのミトリダテス公の元へ決死の伝令として送り出す。


その夜、シルウァヌスは、一筋の影となって、アレクサンドリアの夜の闇へと、静かに消えていった。


レビルスは、その影が見えなくなるまで、ずっと、塔の上から見送っていた。


彼は、最後の駒を、盤上へと放った。


そして、その駒が、目的地へと辿り着くかどうかを知る術は、もはや、彼にはなかった。


海は、そして、陸もまた、沈黙していた。


カエサル軍は、今、完全な孤独と、いつ尽きるとも知れない絶望の中で、ただ、耐え忍ぶことしか、できなかった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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