第十九章:槍が描く軌跡
夜明けと共に、ファルサルスの平原は数万のローマ兵が放つ金属の光と、軍旗の森に埋め尽くされた。
カエサルとポンペイウス、ローマが生んだ二人の英雄が、ついに雌雄を決する時が来たのだ。
両軍の間に横たわる、死の静寂。
やがて、カエサル軍から一つの角笛が鳴り響くのを合図に、地平線の彼方から、数万の兵士たちの雄叫びと、地を揺るがす足音が轟いた。
ファルサルスの戦いが始まり、両軍本隊が膠着状態に陥る中、戦場の主役は、歩兵たちの血と汗がぶつかり合う、鈍い音と化した。
アントニウスの左翼も、ドミティウスの中央も、圧倒的な数の敵を前にして、一歩も引かずに戦線を維持していた。
だが、それは同時に、決定打を欠く消耗戦を意味していた。
「……まだ動かんか」
カエサルが陣取る本営の丘で、レビルスは戦況を睨みつけながら、冷静に呟いた。
彼の視線は、敵軍の左翼、ティトゥス・ラビエヌスが率いる一団に、ただ一点、据えられていた。
その時が、来た。
膠着した戦況を破るべく、ラビエヌスが満を持して動いた。
彼が率いる精鋭の突撃魔術師団が、巨大な波のようにうねり、前進を開始したのだ。
彼らは、カエサル軍の右翼、第十軍団めがけて、一直線に殺到してくる。
「全魔術師、詠唱開始!」
ラビエヌスの号令一下、数千の魔術師たちが、左腕につけた詠唱補助の腕輪に右手をかざす。腕輪にはめ込まれた輝石が、一斉にまばゆい光を放ち始めた。
「突撃魔法、放て!」
光の奔流が、第十軍団へと叩きつけられた。
ローマ最強と謳われた第十軍団の兵士たちでさえ、その圧倒的な破壊力の前に、盾を砕かれ、隊列を乱される。
「怯むな!隊列を維持しろ!」
カエサル自らが、最前線で檄を飛ばす。
だが、ラビエヌスの攻撃は、第二波、第三波と、間断なく第十軍団を襲い、ついにその戦列の一部が、後退を始めた。
それを見たラビエヌスは、勝利を確信した。
(かかったな、カエサル!)
デュッラキウムの再現だ。
このまま、敵の右翼を粉砕し、側面から回り込めば、カエサル軍は総崩れとなる。
「好機だ!全軍、追撃せよ!カエサルの首を取れ!」
ラビエヌスが満を持して突撃魔術師団を投入しカエサル軍右翼を蹂躙するが、それは罠だった。
「……今だ」
丘の上で、カエサルが静かに呟いた。
その言葉が、合図だった。
後退していた第十軍団の兵士たちの、さらにその後方。
これまで巧みな偽装によってその存在を完全に隠していた、第四列の精鋭歩兵たちが、突如としてその姿を現したのだ。
カエサルの特命を受けた第四列の兵士たちが、奇襲を敢行する。
彼らの指揮官である百人隊長が、雷鳴のような声で、最後の命令を兵士たちに叩きつけた。
「槍は投げるな!狙いはただ二つ!敵の顔面と、左腕の腕輪だけを狙え!突けえええっ!」
第四列の兵士たちは、魔術師団が放つ魔法の余波をものともせず、肉薄していく。
彼らの動きには、一切の迷いも恐怖もなかった。あるのは、ただ、命令を遂行するという、機械のような正確さだけだった。
深追いして、完全に無防備な側面を晒していた突撃魔術師団の兵士たちは、その予期せぬ伏兵の出現に、一瞬、思考を停止させた。
彼らは、最強の攻撃魔法を放つことに集中するあまり、至近距離からの、あまりにも原始的な物理攻撃に対する備えを、完全に怠っていた。
第四列の兵士たちが、魔術師団の懐に飛び込む。
そして、彼らは、命令通り、槍を投擲せず、魔術師団の弱点(顔面や腕輪)を直接狙って突いた。
「ぐあっ!」
詠唱に集中していた魔術師の、がら空きの顔面に、槍の穂先が深々と突き刺さる。
別の魔術師は、魔法の源である左腕の腕輪を、輝石ごと槍に砕かれ、魔力を失って絶叫した。
それは、もはや戦闘ではなく、一方的な蹂躙だった。
魔法という神秘が、一本の槍という、あまりにも単純な暴力の前に、無力と化していく。
「な……!?」
ラビエヌスは、信じられない光景を目の当たりにして、絶句した。
自らの最強の切り札が、まるで赤子の手をひねるように、いとも容易く打ち破られていく。
(罠か……!カエサルは、この瞬間を、全て読んでいたというのか!)
その衝撃は、ポンペイウス軍の全戦線へと、瞬く間に伝播した。
自軍最強の切り札であり、勝利を確実にするはずだった左翼が、目の前で崩壊していく。
その信じがたい事実は、兵士たちの心から、優勢であるという自信を根こそぎ奪い去った。
味方の最強戦力が、完全に無力化されたのだ。
丘の上で、その決定的な瞬間を見届けたカエサルとレビルスは、言葉なく頷き合った。
計算と、信頼。その二つが、今、この戦場で、完璧な勝利への軌跡を描き出したのだ。
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