表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
内乱記異聞  作者: 奪胎院
第三部 ギリシャ決戦

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

54/110

第十章:ギリシャの陣取り合戦

奇跡の合流から数日後、カエサル軍は一つの巨大な軍隊として、再びその威容を取り戻していた。


アントニウスがもたらした兵士と、なによりも切望していた食料と武具。


それらは、三ヶ月の地獄を耐え抜いた兵士たちの心に、新たな闘志の火を灯した。


絶望の淵から這い上がった軍団の士気は、天を衝くほどに高かった。


「決戦の時は来た」


軍議の席で、カエサルは力強く宣言した。


「我々はデュッラキウム(現在のドゥラス)へ向かう。そこに、ポンペイウスの本隊がいる。この戦いに、我々の全てを賭ける」


その言葉に、将軍たちは鬨の声を上げんばかりに沸き立った。


アントニウスは目を爛々と輝かせ、ファビウスは静かに頷き、他の将軍たちもまた、決戦への覚悟をその顔に浮かべている。


ついに、この内乱に終止符を打つ時が来たのだ。


全軍集結したカエサルは決戦を挑むべく、全軍を挙げてデュッラキウムへと進軍を開始した。


その動きは迅速で、威風堂々たるものだった。


だが、ポンペイウスは、カエサルが望んだようには動かなかった。


「ポンペイウス、陣地より動かず!丘陵地帯に築いた強固な陣地に籠城し、我々の出方を窺っています!」


斥候からもたらされた報告に、カエサルの天幕は沈黙に包まれた。


ポンペイウスは、野戦での決戦を巧みに避けたのだ。


彼は、カエサル軍の兵士たちが、長年の実戦で鍛え上げられた、世界最強の歩兵であることを知っていた。


平原での正面決戦となれば、たとえ兵力で勝っていても、自分たちに勝ち目はないと。


代わりに彼が選んだのは、持久戦だった。


デュッラキウムの強固な陣地に籠り、カエサル軍をその前面に釘付けにする。


自分たちは、制海権を握る艦隊によって、東方の属州から無尽蔵の食料と物資の補給を受けることができる。


一方、カエサル軍の補給路は、イタリアからアドリア海を渡る、か細く、そして危険な一本の線のみ。


時が経てば、必ずやカエサル軍は飢え、疲弊する。そこを叩けばいい。


それは、ポンペイウスの総司令官としての、そしてローマ最高の将軍の一人としての、あまりにも老獪で、的確な判断だった。


ここから、数ヶ月間にわたる、両軍の神経戦が始まった。


ギリシャ全土を舞台とした、壮大な陣取り合戦。


カエサルは、何度もポンペイウスを平地へと誘い出そうと試みた。


挑発的な機動を見せ、小競り合いを仕掛け、時には敵陣の目前まで軍を進めた。


だが、ポンペイウスは決してその挑発には乗らず、亀のように陣地に閉じこもり続けた。


そして、その間にも、カエサル軍の生命線は、確実にすり減っていった。


「……パンの配給量を、さらに一割削減する。兵士たちには、現地で調達した根菜を粥にして補うようにと伝えろ」


レビルスは、司令部の天幕で、不眠不休の計算を続けていた。


彼の戦場は、デュッラキウムの丘陵ではなかった。彼の敵は、ポンペイウスの軍団ではなく、「飢餓」という名の、より恐ろしい怪物だった。


彼の前には、ギリシャの地図と、山のような補給状況の報告書が広がっている。


レビルスは、常に食料不足に苦しむ自軍の兵站を維持するため、天才的な計算能力を駆使して奔走するしかなかった。



(この村からは、小麦をこれだけ徴発できた。だが、次の村は、すでにポンペイウス派によって刈り取られた後だった)


(イタリアからの輸送船は、次の満月の夜に、この入り江に到着する予定だ。だが、敵艦隊に見つからずに辿り着ける確率は、三割にも満たない)


一つ一つの数字が、彼らの置かれた状況の厳しさを物語っていた。


合流直後の歓喜と興奮は、日々の空腹と、終わりの見えない対陣によって、静かな焦りへと変わっていった。


兵士たちの顔から、再び生気が失われ始めていた。


「レビルス。兵士たちの不満が、限界に近い」


ある夜、百人隊長の一人が、彼の天幕を訪ねてきて、苦渋の表情で訴えた。


「ガリアの戦役でさえ、これほどの飢えは経験したことがありません。皆、『なぜ、戦わないのか』と……」


「分かっている」


レビルスは、乾いた声で答えた。


「だが、今、ポンペイウスの陣地に攻めかかれば、我々は全滅する。それは、計算するまでもない事実だ」


百人隊長は、それ以上何も言えず、悔しそうに唇を噛んで引き下がっていった。


レビルスは、その背中を見送りながら、自らの無力さを痛感していた。


彼は、兵士たちの腹を満たすことも、彼らが望む勝利を与えることもできない。


ただ、数字を睨みつけ、破滅までの時間を、一日、また一日と引き延ばすことしかできないのだ。


ギリシャの太陽が、容赦なく乾いた大地を照りつける。カエサルとポンペイウス。


ローマが生んだ二人の英雄は、互いに睨み合ったまま、動かない。


だが、その静寂の水面下では、カエサル軍の力が、砂の城が崩れるように、少しずつ、しかし確実に、削り取られていっていた。


レビルスは、地図の上で、デュッラキウムのポンペイウスの陣地を、コンパスでなぞった。


このままでは、ジリ貧だ。いずれ、我々は飢えに屈し、降伏か、あるいは玉砕かの選択を迫られるだろう。


(何か、手はないのか。この膠着した盤上を、根底から覆すような、一手が……)


彼の思考は、再び計算不能な領域へと踏み込もうとしていた。


常識の外にある、新たな盤の創造。それは、かつてイレルダの奇跡を生み出した思考法。


だが、目の前の敵は、アフラニウスやペトレイウスではない。ローマ最強の将軍の一人、グナエウス・ポンペイウス。


レビルスは、目を閉じ、思考の深海へと沈んでいく。


この神経戦を終わらせるための、狂気と紙一重の一手を、見つけ出すために。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

面白いと思っていただけましたら、ブックマークや下の評価(★★★★★)で応援していただけると、大変励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ