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内乱記異聞  作者: 奪胎院
第二部:ヒスパニア・西方の戦い

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第十四章:独裁官

降伏したマッシリアの街は、奇妙な静けさに包まれていた。


長期にわたる包囲戦の傷跡は、まだ生々しく残っていたが、街は破壊を免れ、市民の命も、財産も、カエサルの寛容によって保護された。


トレボニウスとデキムス・ブルトゥスは、戦後処理を淡々と進め、街に秩序を取り戻しつつあった。


西方の戦いは、終わったのだ。


だが、我々の心に、勝利の昂揚感はなかった。クリオの死がもたらした影は、あまりにも、濃く、そして、重かった。


その日、ローマからの公式な使者が、カエサルの元へと到着した。


使者がもたらしたのは、一通の、元老院議決書。ヒスパニアで戦っている間に、私が起草し、レピドゥスたちがローマで通した、あの密約の結果だった。


「…ガイウス・ユリウス・カエサル殿を、ローマの**独裁官ディクタトル**に任命する」


使者が、厳かに読み上げる。その場の将軍たちは、皆、神妙な面持ちで、その言葉を聞いていた。


それは、カエサルが、共和国の、合法的な、そして、絶対的な権力者となったことを、意味していた。


「…ご就任、おめでとうございます。閣下」


副官のファビウスが、代表して、祝辞を述べた。


だが、カエサルの表情に、喜びの色はなかった。彼は、ただ、静かに、頷いただけだった。


「これで、ローマへ戻る、大義名分が立った」


彼は、呟いた。


「全軍に通達せよ。これより、我々は、ローマへと帰還する」


その夜、私は、カエサルの天幕に呼び出された。


二人きりの、私的な空間。私は、いつものように、彼を「カエサル」と呼んだ。


「…見事なものだったな、レビルス」


カエサルは、葡萄酒の杯を傾けながら、静かに言った。


「お前の計算通り、私は、ついに、独裁官となった。これで、私が正規の執政官として、ギリシャへ渡ることができる。ポンペイウスは、もはや、ただの反乱軍の長だ」


「全ては、カエサルのご威光あってこそです」


私は、静かに答えた。


「だが」


カエサルは、私を、真っ直ぐに見据えた。


「お前の顔には、喜びの色がない。まるで、この勝利が、お前にとっては、何の価値もないとでも、言いたげな顔だ」


彼の言葉に、私は、心の内で燻っていた、純粋な疑問を、口にしていた。


「…カエサル。なぜ、これほどまでに、計画外のことばかりが起こるのでしょうか」


それは、計算の天才と呼ばれる男の、素朴なぼやきだった。


「イタリアでは、ラビエヌスが裏切った。ローマでは、カエリウスが、我々の足元で、反乱を起こした。ヒスパニアでは、川が氾濫し、我々は、全滅しかけた。そして、アフリカでは、クリオが敗れた。私の計算は、常に、新たな変数によって、覆され続ける。まるで、神々が、我々の行く手を、阻もうとしているかのようです」


私のその弱音に、カエサルは、驚いたように、目を丸くした。


そして、次の瞬間、彼は、この数日間で、初めて、心からの笑みを、浮かべた。


「…はは。レビルス。お前ともあろう者が、神々の存在など、信じていたのか」


彼は、悪戯っぽく笑いながら、言った。


「だが、もし、本当に、神々がお前の計算を邪魔しているのだとしたら。それは、お前という人間を、よほど、気に入っているからかもしれんぞ」


「…どういう、意味です?」


「考えてもみろ」


カエサルは、立ち上がると、天幕の入り口から、マッシリアの港の、静かな夜景を、見下ろした。


「もし、お前の計算通りに、この世界の全てが動いてしまったら。それは、あまりにも、退屈ではないか?」


彼の言葉に、私は、ハッとした。


「ラビエヌスが裏切ったからこそ、我々は、電撃戦という、新たな戦術を生み出した。川が氾濫したからこそ、我々は、革の舟という、新たな知恵を絞り出した。そして、クリオが敗れたからこそ、我々は、この内乱の、本当の厳しさを、知ることができた」


カエサルは、私に向き直った。その瞳には、深い疲労の奥で、なおも、尽きることのない、生命力が、燃えていた。


「計画通りにいかないからこそ、人生は、楽しいのではないか? レビルス。お前の完璧な計算を、時として、無茶苦茶に壊してくれる、この予測不可能な世界を、私は、愛している」


その言葉は、私の、固く凝り固まっていた思考を、静かに、溶かしていくようだった。


そうだ。私は、いつの間にか、世界を、私の計算通りに動かすことだけを、考えていたのかもしれない。


だが、この男は、その計算さえも超えてくる、世界の不条理さそのものを、楽しんでいるのだ。


「…貴方という人は、本当に」


私は、呆れたように、しかし、どこか救われたような気持ちで、呟いた。


「さあ、行くぞ、レビルス」


カエサルは、私の肩を叩いた。


「まずは、ローマへ帰る。そして、ギリシャだ。この退屈しない世界で、次に来る、計算外の変数とやらを、迎え撃ちに行こうではないか」


その背中は、先ほどよりも、少しだけ、軽く見えた。


私もまた、彼と共に、立ち上がった。


ヒスパニアでの、鮮やかな勝利の記憶は、すでに、色褪せていた。


私の頭の中は、これから始まる、より巨大で、より困難な戦いの計算で、満たされている。


西方の戦いは、終わった。


だが、それは、本当の地獄の、始まりに過ぎなかった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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