第三章:主君の到着
膠着状態が数週間続いたある日の午後、レビルスの陣営に一本の角笛が鳴り響いた。
総司令官、ガイウス・ユリウス・カエサルの到着を告げる合図だった。その音は、淀んだ沼に投げ込まれた石のように、陣営全体の空気を一変させた。
単調な工兵作業に汗を流していた兵士たちが、一斉に顔を上げ、その視線は丘の上の道の一点に集中する。緊張と、ある種の期待が、伝染病のように兵士たちの間に広がっていった。
レビルスが慌てて天幕を出ると、カエサルが少数の護衛のみを率いて丘の上に立ち、眼下の包囲網を見下ろしているところだった。
まるで、弟子が作り上げた作品を検分する師のような、静かで、全てを見通すような目をしている。レビルスは、その姿が放つ、尋常ならざる存在感に、改めて息を呑んだ。
「見事なものだ、レビルス」
レビルスが駆け寄り、報告の言葉を紡ぐ前に、カエサルは言った。彼は既に自らの足で包囲網を検分し、その設計の完璧さに何度も頷いていた。
「兵站の維持、工兵作業の効率、防御機構の配置。全てが計算され尽くしている。君の数字が、この難攻不落の要塞を鳥籠に変えた。敵の兵站を断ち、我々の損耗を限りなくゼロに近づける。補給官としての君の経験が、指揮官としての才能を見事に開花させた証だ。大したものだ」
それは、レビルスが指揮官として受けた、初めての心からの賛辞だった。胸の奥が熱くなるのを感じたが、カエサルの言葉は続く。
「――だが、籠の中の鳥は、まだ生きている」
カエサルは、ウクソドゥヌムの城壁を指差した。その指先は、微動だにしない。
「君の計算は完璧だ。だが、完璧すぎる故に、勝利という『例外』を弾き出してしまっている。君は、我々の損失を最小化する計算をした。それは正しい。だが、私は違う。私は、敵の希望を最小化する計算をする。この戦いを終わらせるために必要なのは、計算の外にある一手。非情なる一手だ」
カエサルが立案した作戦は、レビルスの想像を絶するものだった。城内に水を供給している、ただ一つの泉。その水源を、地下から断つというのだ。
「…閣下、それは」
レビルスは思わず口を挟んだ。
「地質調査のデータによれば、水源は岩盤のさらに深層にあります。坑道を掘るにしても、どれだけの時間と労力がかかるか…計算が立ちません」
「そうだろうな」
カエサルは静かに応じた。
「だからこそ、敵も我々がそれを実行するとは計算していない。君の頭脳は、実現可能な最善手を導き出す。私の頭脳は、不可能を可能にするための一点を探し出す。我々の役目は違うのだよ、レビルス」
それは、工兵技術の限界に挑むような、あまりにも大胆で非情な計画だった。
レビルスの頭脳は、その計画の実現に要する膨大な労力と時間を瞬時に計算し、その無謀さに戦慄した。
だが、カエサルは、その計算の先にある、敵の「絶望」という名の戦果を既に見抜いていた。
カエサルは、その作戦を自ら実行に移した。
彼の指揮の下、ローマ軍の工兵たちが昼夜を問わず坑道を掘り進め、地下水脈を探し当てる。城内のガリア兵たちは、日に日に枯れていく泉を前に、希望を失っていった。
水という生命線そのものが、ローマの神々に見放されたかのように尽きていく恐怖は、いかなる兵器よりも彼らの心を折った。
やがて、ウクソドゥヌムは降伏した。
城門から出てきた兵士たちは、もはや戦士の顔をしていない。
ただ、渇きに苦しみ、地面に膝をつくことしかできない、哀れな男たちだった。
レビルスは、これで最低限の犠牲でガリア最後の拠点を落とせたと、安堵のため息をついた。彼の計算した通り、ローマ兵の死者は一人も出ていない。
だが、カエサルの命令は、その安堵を打ち砕いた。
「降伏した兵士たちの、両腕を切り落とせ」
レビルスは我が耳を疑った。それは、戦闘行為ではない。見せしめ。恐怖による支配そのものだ。
「閣下、お待ちください! 彼らは既に無力です! このようなことをすれば、ローマの名誉が…」
「名誉だと?」
カエサルは、冷たい声でレビルスの言葉を遮った。
「名誉で、ガリアの平和が保てるのか? 我々が去った後、再び蜂起する者たちを、名誉が止めてくれるのか?」
命令は冷徹に実行された。
広場には、ローマ兵に押さえつけられたガリア兵たちの絶叫と、鈍い骨の音が響き渡る。レビルスは、その光景から目を逸らすことができなかった。
彼の計算の世界では、兵士は戦力であり、資源だ。無力化した敵兵の両腕を切り落とす行為は、あまりにも非効率で、非合理で、無意味な暴力にしか見えなかった。
だが、その処罰を冷然と見下ろすカエサルの横顔を見た時、レビルスは悟る。
これもまた、カエサルの「計算」なのだと。
一人の兵士の腕を切り落とすことで、未来に蜂起するかもしれない数千、数万のガリアの民の戦意を奪う。
短期的な非道によって、長期的な安定という利益を得る。血塗られた、しかし恐ろしく合理的な政治的判断。
カエサルの戦場は、目の前のウクソドゥヌムではない。八年後の、十年後の、ガリア全土なのだ。
レビルスは、静かに拳を握りしめた。
彼は今、自らが仕える主君の、その底知れぬ深淵を覗き見ていた。
畏怖と、嫌悪。そして、その恐るべき知性が描き出す未来を見てみたいという、抗いがたい魅力。彼の心は、その三つの感情の間で、複雑に引き裂かれていた。
ガリアの戦いは終わった。だが、レビルスにとっての本当の戦いは、この日、この瞬間から始まったのかもしれなかった。
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