第二章:副官の初陣
カエサルがガリア最後の野戦軍を粉砕していた頃、ガイウス・カニニウス・レビルスは、別の戦場で、全く異なる敵と、そして自分自身の内なる重圧と対峙していた。
彼の目の前には、天険の要害ウクソドゥヌム――現代の南西フランスに位置する、ピュイ・ディソル山――が、まるで神々が作り上げた巨人像のように聳え立っている。
切り立った崖の上に築かれ、麓を清流が洗うその城砦は、ガリア最後の抵抗勢力が立て籠もる、難攻不落の拠点だ。
カエサルから副官に任命されたレビルスにとって、このウクソドゥヌムの攻略が、一つの軍団を単独で率いる初任務であった。
彼が設えた司令部の天幕は、歴戦の勇者が集う場所というよりは、巨大な建築現場の事務所といった方が正確な光景だった。
武具や戦利品の代わりに、膨大な量の報告書、測量データ、そして彼自身が描いた精密な図面が山と積まれている。その中央で、レビルスは羊皮紙に記された数字の羅列を指でなぞりながら、静かに呟いた。
「…物資の搬入率は計算通り。工兵隊の損耗率、許容範囲内。敵の散発的な抵抗による負傷者、予測の九割以下。順調だ」
その背後から、無骨な声が響いた。
「副官殿。包囲線の第三工区が完了しました。あなたの図面通り、寸分の狂いもありません。…ですが、一つ、兵士たちの間で疑問が上がっております」
報告に来たのは、この軍団で最も経験豊富な筆頭百人隊長のガイウス・コッタだった。その顔に刻まれた深い皺と、歴戦の傷跡が、彼の武勇を物語っている。
「西側の塹壕の角度ですが…あれでは、崖の上からの投石に対し、側面が無防備になります。まるで『ここを攻めてくれ』と言わんばかりの配置だと、古参兵たちが気味悪がっておりまして」
コッタの言葉には、非難ではなく、純粋な疑問と、指揮官を気遣う響きがあった。
彼は、この新任の指揮官の異質さに、まだ測りかねているのだ。
レビルスは、武勇を誇ることもなければ、兵士を鼓舞する熱弁を振るうこともない。ただ、冷徹なまでに正確な「計算」によって、戦場という混沌を支配しようとする。
レビルスは、コッタを別の地図盤の前へといざなった。そこには、城砦から放たれるであろう投石機や弓矢の射程と角度が、無数の線で描き込まれていた。
「コッタ百人隊長。その『無防備な側面』は、罠だ」
彼は、地図上の一点を指差した。
「敵がその弱点に誘われて崖を下りてくれば、この地点で、丘の裏に隠した二つの投石機部隊からの完璧な十字砲火を浴びることになる。幾何学的に計算された、必殺の領域だ。兵士たちには、こう伝えろ。『我々は、無駄な血を流すために塹壕を掘っているのではない。敵を、数字の罠に嵌めるために掘っているのだ』と」
コッタは、その恐るべき計算に満ちた地図盤を見つめ、息を呑んだ。
「…なるほど。戦場を、罠そのものに作り変える、と。承知いたしました」
敬礼して去っていく歴戦の勇者の背中を見送りながら、レビルスは静かに息を吐いた。
兵士の信頼を得る方法は、彼にはこれしかなかった。言葉ではなく、結果で。計算の正しさで、自らの価値を証明するしかないのだ。
レビルスが再構築した兵站は、川の流れのように淀みなく前線へと物資を供給し続けた。
彼の設計した包囲網は、地形を最大限に活用し、最小限の労力で最大の効果を発揮するよう構築されていく。兵士たちは無駄な作業を強いられることなく、その士気は高かった。
レビルスは、兵士の心を掌握する術を知らなかったが、彼らの胃袋と体力を満たすことで、それ以上の信頼を勝ち得ていた。
数週間後、ウクソドゥヌムは、レビルスの計算通りに構築された巨大な包囲網によって、完全に孤立した。
蟻一匹這い出る隙間もない。敵が城外へ打って出ようものなら、幾重にも張り巡らせられた迎撃機構が瞬時にそれを粉砕するだろう。戦いは、レビルスの勝利に見えた。
だが、時間はただ過ぎていった。
城内の抵抗勢力は、降伏の兆しを見せない。彼らは豊富な備蓄と、城の中心を流れる泉によって、籠城を続ける構えだった。
レビルスの包囲網は完璧だった。しかし、それは敵を封じ込めるための完璧さであり、敵を滅ぼすための決定打を欠いていた。
夜、レビルスは一人、天幕で地図を睨んでいた。
兵士の損耗を最小限に抑え、兵站を維持し、敵を無力化する。彼の計算は、その全てを達成していた。しかし、盤上には「勝利」という二文字が浮かんでこない。
膠着。
その言葉が、彼の頭脳を重く支配していた。初めて一つの軍団を預かった重圧が、冷たい汗となって背中を伝う。彼は、自分が作り上げた完璧な数式の中に、自らが閉じ込められてしまったような感覚に陥っていた。
(…計算だけでは、足りないのか)
風の音だけが響く静寂の中、レビルスは自らの無力さを噛み締める。彼の副官としての初陣は、完璧な、そして絶望的な膠着状態の中で、その幕を開けたのだった。
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