第九章:将軍たちの宴
ガリア平定後、冬の訪れと共に、カエサルはガリア・キサルピナの州都ラヴェンナに滞在していた。
その夜、カエサルがガリアで苦楽を共にした副官たちを招き、ささやかな宴が催された。
場所は、総督府の広間。
壁には、ローマの鷲が刻まれた軍団旗と共に、ガリアの各部族から鹵獲した猪や熊の毛皮、勇壮な文様が描かれた盾などが、戦いの記憶として飾られている。
部屋に満ちているのは、焼いた肉の香ばしい匂いと、安物だが強い葡萄酒の香り、そして、長きにわたる戦役を終えた男たちの、荒々しくも解放感に満ちた笑い声だった。
「…以上、我が第七軍団の担当区域、ガリア・アクィタニアは完全に沈黙しております。もはや反乱の芽はありますまい」
副官の一人、ファビウスが杯を片手に報告を終えると、カエサルは満足げに頷いた。
「見事な手腕だ、ファビウス。君の粘り強さが、南方の平定を確実なものとした。感謝する」
「北方のベルガエ人の土地では、トレボニウス副官が冬営地の建設を完了したとの報告が。あの頑固な連中も、今ではすっかりローマ市民気取りですな!」
別の将軍がそう言って笑うと、カエサルも杯を掲げて応じた。
「それも、トレボニウスが粘り強く対話を続けたおかげだ。彼は、剣と同じくらい、言葉をうまく使う」
カエサルは、単なる総司令官ではなかった。
彼は、部下である一人一人の将軍の個性と功績を完璧に記憶し、それを的確な言葉で称える術を心得ていた。
その一言一言が、屈強な男たちの心を掴んで離さない。
宴は、各地の統治を任された将軍たちが、自らの成果を誇らしげに報告し、カエサルがそれを賞賛するという、心地よい一体感に包まれていた。
しかし、その輪の中心から少し離れた席で、ティトゥス・ラビエヌスは一人、静かに杯を傾けていた。
宴の熱気も、仲間たちの笑い声も、まるで分厚い壁の向こう側にあるかのように、彼の心には届いていない。彼の脳裏には、三つの相容れない感情が、嵐のように渦巻いていた。
一つは、グナエウス・ポンペイウスへの、消し得ぬ恩義。
誰かが、ポンペイウスの名を口にした。
東方での彼の輝かしい勝利と、今回のガリア平定を比べるような、賞賛の言葉だった。その瞬間、ラビエヌスの脳裏に、遠い昔の記憶が鮮やかに蘇る。
まだ何者でもなかった若き日、自分を将校として引き立ててくれたのは、誰あろう「偉大なる」ポンペイウスだった。
あの時の、誇りと興奮。彼のDignitas(尊厳)に仕えることが、ラビエヌスにとっての誇りの原点だった。カエサルの下で戦う今も、その恩義の記憶は、彼の魂に深く刻み込まれている。
一つは、ガイウス・ユリウス・カエサルへの、偽らざる友情。
ガリアでの八年間どころではない。十年以上にわたり、彼の副官として、その最も近くで戦い続けてきた。
生死の縁を共に彷徨い、互いの戦術を、言葉を交わすまでもなく理解し合える、唯一無二の戦友。
ふと視線を上げると、カエサルが別の将軍の武勇伝に、腹を抱えて笑っているのが見えた。
戦場では決して見せない、無防備な笑顔。その笑顔を守るためならば、どんな危険も厭わないと、そう思えるほどの深い絆が、確かに存在した。
この男と共に、新しい時代を築きたい。その思いに嘘はなかった。
そして、最後の一つは、ローマの未来を、カエサルに託したいという、痛切な願い。
将軍たちが、口々に元老院の腐敗を嘆いている。
「今のローマは、欲深いだけの老人共に食い物にされている」
「カトのような石頭がいる限り、何も変わらん」
その言葉の一つ一つが、ラビエヌス自身の考えと同じだった。
今のローマは、内側から腐り落ちている。それを立て直せるだけの力と意志を持つ者は、もはやカエサルをおいて他にいない。ラビエヌスは、それを誰よりも理解していた。
――ポンペイウスへの恩義か、カエサルへの友情か。
――守るべきは旧きローマの伝統か、カエサルが築く新しいローマの未来か。
どちらかを選べば、どちらかを裏切ることになる。その矛盾が、彼の心を苛んでいた。杯の中の葡萄酒が、まるで血のように赤く見えた。
ふと、カエサルがこちらを見ているのに気づいた。周囲の喧騒が、一瞬だけ遠のく。
その目に、心配の色が浮かんでいる。カエサルは、ラビエヌスの心の揺らぎに、気づいているのかもしれない。
ラビエヌスは、内面の葛藤を押し殺し、無理に笑みを作ると、杯を静かに掲げてみせた。カエサルもまた、静かに頷き、杯を口へと運ぶ。
二人の間には、言葉にならない、深い理解があった。
だが、その理解の先に、やて避けられぬ訣別が待っていることを、この時のラビエヌスは、まだ予感することしかできなかった。
彼の心は、三つの引き裂かれた感情の間で、一人静かに血を流していた。
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