012:最高傑作
俺は仕事の詳細をレオンと擦り合わせていく。
この仕事を見事にやり遂げれば、俺はレオンの下で小者として働かせて貰う事になった。
この仕事だけは絶対に失敗できない。
だから俺はレオンの話を慎重に聞く。
「どのような刺繍を、何に入れますか?」
「このシルクのハンカチに、蝶を入れて貰いたい」
「ちなみにどんな人に送るとかって教えていただいても宜しいでしょうか? 誰に渡すのかを知っている方が、こちらも気持ちを込めて刺繍を入れやすいので」
「俺の妻である《マリアベル=マリポーサ=ジルキナ》だ。マリアベルのミドルネームであるマリポーサは、蝶という意味があるんだ」
レオンが刺繍入りのハンカチを渡そうと思っている人間は、レオンの妻であるマリアベルだそうだ。
「マリアベルとは去年に政略結婚した。アイツは気の強い女だからな、普段は気丈に振る舞っているが故郷に思いを馳せている時がある。そのハンカチが渡し、少しでも気持ちを軽くできれば良い」
「とても素敵です! これは気合が入りますね!」
マリアベルとは昨年結婚したが、この結婚はいわゆるところの政略結婚だ。
マリアベルの父親は、ボロック州の北西に隣接している州である〈グルトレール州〉の尊極大名で名前は《オズボルド=ピルヤ》だ。
元々グルトレール州とボロック州は、何度も戦争を行なっている不仲な関係だった。
しかしレオンの父親で、現ソロー=ジルキナ家当主である《コスタス=ソロー=ジルキナ》は、和解する形としてレオンとアリアベルを結婚させた。
だから故郷を思うところもあるだろうと、レオンは考えて贈り物をしようと決めたのだ。
それを聞いた俺は、やる気満々で宿屋に戻った。
満足して貰える為に、まずはどんな形にするかや色はどうするかを丸々3日考えた。
そこから2週間かけて丁寧に丁寧に縫う。
本当に一縫いするのに、数時間もかかってるんじゃ無いかと思うくらいに集中している。
こんなにも人生のなかった刺繍は史上初めてだ。
しかしそれくらいの緊張感と集中力があったから、俺の人生史上最も美しい物ができた。
これは直ぐに渡したいと思い、走ってモルフェイ城に向かったのである。
「え!? レオンさまは居られないんですか?」
「あぁ家臣の方々と練兵に出られたぞ。レオンさまが、練兵に出ると帰って来られる時間は分からないぞ」
「練兵を行っているところを教えて貰えませんか? 是非とも早くレオンさまにお渡ししたいんです!」
「まぁお前の事は、レオンさまから聞いてはいるが……仕方ないな、他言無用だぞ?」
「はい! ありがとうございます!」
どうやらレオンたちは、配下たちを連れて練兵に向かっているというのだ。
こうなってしまったら、いつ帰って来るか変わらないと見張りの人間たちは言った。
早く渡したいのにと俺は残念に思う。
しかしこれは絶対に早く渡した方が良いと思って、俺は見張りの人に練兵をしている場所を聞く。
当たり前だが主人の場所は、そう簡単に教えない。
だがレオンは、俺の事を楽しみにしていると周りの人間たちに言いまわっていたらしい。
見張りの人間も俺の事を知っていて、レオンが楽しみにしているのも知っているので、今回は特別に練兵をしている場所を教えて貰う事ができた。
俺は場所を覚えて、練兵場を目指す。
まだ少し距離があるというのに、練兵場の方から激しい声が聞こえて来るのである。
その声で、あそこが練兵場だと分かった。
恐る恐る練兵場に近づくと、そこには多くの男たちが上半身裸になり、引くほど汗をかきながら木刀を振るって戦っているのである。
その表情は明らかに鬼気迫る感じがしている。
まさに今、戦争をしているような感じだ。
近寄るのも躊躇するくらい気迫があるが、近寄らないわけにはいかないので、物陰から練兵場の様子を伺う。
すると練兵をしていた兵士が、物陰にいる俺を発見して「おい! そこの!」と近寄って来る。
「おい! テメェは、どこの誰だ! ここはレオンさまの軍の練兵場だと分かってんのか!」
「あ! いや! 怪しい者では!?」
俺は練兵場を覗いてはいるが、怪しい者では無いと両手を振ってアピールをする。
しかし兵士は信じる事なく俺に近寄って来て胸ぐらを掴んで、怪しい人間だと殴ろうとして来る。
ヤバいと思っていると、レオンが「おい! それは俺の客だ」と言って止めてくれた。
それを知った兵士は頭を下げて手を離す。
「こんなところまで申し訳ありません! 最高の出来だったので、今直ぐに渡したいと思いまして!」
「そうか、そんなに良い出来だったのか。今は汚れてるから屋敷で待っていてくれ」
俺は鼻息荒くフスフスしながら完成したと伝える。
レオンは俺の様子から、そんなに良い出来なのかと笑みを浮かべながら楽しみにしてくれる。
今、受け取るとハンカチが汚れてしまうので、先に屋敷に行っててくれと言われた。
その指示通りに俺はモルフェイ城に戻る。
応接室で待っていると、扉がガチャッと開く。
すると綺麗になっていて、豪華な服に身を包むレオンが立っていた。
俺は立ち上がって深々と頭を下げる。
レオンが俺の迎えの椅子にやって来て、腰を下ろしてから「失礼します」と言って座った。
「それじゃあ至極のハンカチというのを見せて貰おう。どれだけ素晴らしい物ができたのか、とても楽しみだ」
「はい! こちらが……私の中で最高傑作と言える作品です!」
レオンはどれだけ素晴らしい物なのかと、ハードルを上げまくりながら見せるようにいう。
俺はさらに自分でもハードルを上げた。
それでも褒めて貰える自信があるのだ。
懐から俺が蝶の刺繍を入れたハンカチを出し、テーブルの上に広げる。
するとレオンは黙り込んで、テーブルに前のめりになりながら、俺のハンカチを見る。
「これは……実に素晴らしい! こんなに素晴らしい刺繍を見るのは初めてだ」
「ほ 本当ですか!? 気に入っていただけるなんて恐悦至極です……本当はとても怖かったんです。自信はあるもののレオンさまの納得のいく物ができたのかと」
「この出来は期待以上の物だ。これならきっとマリアベルも気に入ってくれるはずだ……いや! 絶対に気に入ってくれる!」
自分でも自信のある作品だったが、それでもレオンに気に入って貰えなければ、どうしようかと悩んだ。
しかしこんなにも喜んでいただいたので、とても嬉しく自信を持つ事になるのである。
レオンとアリアベルに、これを渡したら絶対に気に入って貰えると断言した。
「それで今回の報酬についてだが」
「はい! 覚えてくれていたんですね!」
「当たり前だ、俺は物覚えには自信がある。それに周りからは大馬鹿者だと言われる事も多い……だが! 人の本質を見抜く力は天下一品だ!」
「大馬鹿者なんて、誰がいうんですか! レオンさまは誰が見ても覇者になるお方だ……そんな人間に大馬鹿者というのは無礼ですよ!」
「はっはっはっ! そんなにカッカするな。これくらいの言葉では怒りは無い……よし! 正式に《マルセル=カント》を、俺の小者として雇ってやろう!」
「あ ありがとうございます!」
俺は仕事の腕を買われ、正式にレオンの小者として雇って貰う事になったのである。




