010:さらば、ソネット家
ルーフェン代官は意識を取り戻し、何とか起き上がるところまで元気になった。
このタイミングで俺はアニス夫人について話す。
本当にこのタイミングで良いのかと思いながら、あの日にあった事を全て伝えた。
その話をルーフェン代官は表情を変える事なく、淡々と聴き続けるのである。
「それでその手紙は持っているか?」
「あっ……すみません、寮に忘れました」
「そうか、取って来てくれるか?」
「分かりました」
この場に手紙を持って来るのを忘れたので、ルーフェン代官は取りに行って欲しいと言うのだ。
もちろん取りに行くと答えて部屋を後にする。
扉を閉めたところで、ルーフェン代官は声を殺しながら啜り泣く声が聞こえて来た。
これには俺も涙を我慢できなかった。
手紙を持って来ると、扉の前で深呼吸をして涙を我慢してから部屋の中に入る。
そしてグレッグの手紙をルーフェン代官に渡す。
明らかにルーフェン代官の目が赤かったが、それを触れてはいけないと俺は流す。
受け取ったルーフェン代官は、書かれている家紋を見ると「なっ……これは!?」と驚く。
「この家紋は……クライネルト家だ」
「クライネルト家? それってまさかマーロン閣下の家臣で、1番の出世頭って噂の人ですか?」
「あぁクーゲル郡長だ」
手紙に押されていた家紋は、マーロンが最も信頼している家臣の1人である《クーゲル=クライネルト》郡長のモノだと言うのである。
「それはクーゲル郡長を、陥れようとしている人間の仕業という可能性はありませんか?」
「確かにその可能性も無くは無いだろう。しかしこの家紋は、各家に1つしかないであろうハンコで押されたモノであり、それを真似するのは至難の業だ。それにこの紙は公家や武家の家でしか扱えない代物だ」
「つまり?」
「陥れるにしてもコストがかかり過ぎている。もっと別の方法で陥れた方がマシだな」
俺はクーゲル郡長が、騙されて陥れられている可能性は無いのかと聞いた。
確かに可能性はゼロでは無い。
しかしこれではコストがかかり過ぎてしまう。
それにここまでしてクーゲル郡長を、陥れる理由は無いとルーフェン代官は話す。
確かにここまでコストをかけるのならば、もっと上の人間を陥れれば良いだけの話だ。
「マルセル、この事をボドハント城にいるローランドさまに伝えに行ってくれないか?」
「わ 私がですか!?」
「俺はまだこんな状態だ、動こうにも難しい。しかしこの事は、いち早く大名に伝えなければいけない事だ」
ルーフェン代官は俺に、この話をローランド尊極大名がいるボドハント城に行って欲しいと言うのだ。
ただの小者である俺が、尊極大名であるローランドのところに行くなんて無理だと思った。
しかしこの事を直ぐに、州の責任者であるローランド尊極大名に伝えなければいけないが、ルーフェン代官は全身バキバキで動く事ができない。
この場で信用できる人間は、俺しかいないから頼むとルーフェン代官は言う。
断れないと思って俺は引き受けた。
ルーフェン代官から速い馬を借りて、ボドハント城に向けて出発する。
事態は早急に手を打たなければいけないと、俺は全身全霊で馬を走らせた。
そして城に到着する。
案の定、いきなりローランドさまに会わせろと言っても入れないので、その時の為に受け取っていたルーフェン代官の書状を見張りの人間に見せる。
すると中に通してくれた。
城の中にはマーロンの姿があり、俺の顔を見ると直ぐにソネット家の小者だと分かった。
俺の顔が焦っていると察したマーロンは「どうかしたのか?」と聞いて来たので、深々と頭を下げてから何があったのかを説明する。
最初はそこまで深刻な顔をしていなかったが、騒動の犯人がクーゲルだと分かった瞬間、顔色が変わる。
「それは本当なのか? 本当にクーゲルが、今回の騒動の犯人なのか?」
「この証拠からは、そういう風な結論が出ると思われます……これをローランド尊極大名に、お伝えして貰えないでしょうか?」
「あ あぁ直ぐに報告しよう……」
マーロンは直ぐにローランド尊極大名に、この話をしに向かったのである。
この事を知ったローランド尊極大名の表情は、激怒なのか憤慨なのか。
とにかくとてつも無い顔をしていた。
直ぐにローランド尊極大名は、家臣たちを集めて緊急会議を開く事になった。
会議では証拠が提出され、確かにこれは厳罰を与えるだけの証拠だと断定された。
直ぐクーゲルに事実確認をする為、ホープジンダ郷に使者を送った。
しかしその使者はクーゲルの手で殺され、逆にクーゲル側が使者を送って来た。
「我々が今回の騒動の黒幕であり、これは我が主人・マーロン=ボーデン=ヒルアを尊極大名に据える為の大いなる戦いである!」
クーゲルはマーロンを次期尊極大名に据える為、これから反旗を翻すと言って来たのだ。
これにはマーロンも罪悪感を感じる。
まさか自分が原因で、自分の家臣が反旗を翻しているなんて悔しくて仕方ない。
しかしマーロンが、クーゲルの肩を持つ事は無い。
そこで自分の自害もローランド尊極大名に志願したのだが、そんな事をしている場合じゃないと一蹴される。
クーゲルは自領に引きこもって兵士を集める。
このホープジンダ軍の討伐の総大将は、ザラン州の守護代でありローランド尊極大名の家臣である《エルセーヌ=デジャス=シントロ》が選ばれ、その副将としてマーロンが選出された。
クーゲルの抵抗が激しく戦いは1ヶ月も続いた。
そして無事にクーゲルを討ち取った。
この騒動が終息する頃には、年が明けており俺は誕生日を迎え元服し成人となった。
騒動は終結したが、あまりにも多くの血が流れた。
ソネット家は、ほとんどの家臣を失い、ほぼお家滅亡の危機にまで追い込まれた。
俺はアニス夫人の分まで、ルーフェン代官の側に仕えようと決意するのである。
そんな俺をルーフェン代官は部屋に呼ぶ。
「マルセル、本当にご苦労だったな」
「いえ、私はアニス夫人を守れませんでした……本当ならば自害しなければいけないところ、まだ生きたいと思ってしまっています」
「そんな事は良いんだ。お前は優秀だ、手練れである刺客を1人で倒したんだからな」
「そんな……こんな俺ですが、是非とも最後までルーフェンさまのお側にお仕えさせて下さい」
どうにも攻められない事に、俺は罪悪感を感じているのである。
しかしルーフェン代官は攻めるつもりは無い。
だから罪滅ぼしというわけでは無いが、是非とも最後まで仕えさせて欲しいと頼んだ。
するとルーフェン代官は、ニコッと笑みを浮かべながら「ダメだ」と言った。
表情と言葉が違ったので俺は困惑する。
思わず「え?」と返す。
「これから俺は、1人で仕切り直そうと思っている。デリャンさまの一家臣として、新たに踏み出そうと思っているんだ……だから、お前は出身に帰りなさい。これだけあれば、当分の間は暮らしていけるだろう」
「ちょ ちょっと待ってください! そ それはもう決まった事ですか?」
「あぁもう決めた事だ。お前は才能がある、俺のようなところで腐られるわけにはいかない……だから、これでお前を解雇する」
家臣も妻も守れなかったルーフェン代官は、デリャン郡長の一家臣としてやり直すという。
俺は決まった事かと聞いたが、もう既に決めた事だとルーフェン代官は覚悟した顔をする。
もう決定は変わらないと分かって、俺は静かに頷いてルーフェン代官の下を離れる事に決めた。




