8.ある男の物語:100歳のときの話
今日は、一年に一度のあの日。昔、隣の家にいた子の誕生日だ。
牛歩のような歩みで土手を登る。
わかってる。わかってるさ。
今日も誰も来ない。
昔は、見事な桜の大木があったが、今は川の土手の上に切り株だけ。
椅子に座り、ただ、時間が過ぎるのを待つつもりだ。
ジョギングする人や、散歩する人、たくさんの人が通り過ぎ、私を怪訝な目でみる。
どうせ、誰も来やしない。
いつものことだ。
90年以上を繰り返した習慣をいまさらやめることはできないだけ。
ただ、日が傾きかけたとき、牛歩の速度でこちらへと歩いてくるひとりのおばあちゃんがいた。
腰は折れ曲がり、杖を突き、動きは緩慢。
私は、つい、微笑んでしまったよ。
すぐわかったさ。
100歳だ。目なんてほとんど見えない。
もう、顔なんて覚えてるわけないし、覚えてたところで、90年以上前の顔なんて大きく変わっている。
でもさ、わかるんだよ。
なによりも、それだけ待った人のこと、待ち焦がれた人のこと。見た瞬間に直感がそう訴えるんだ。
だから、こう声をかけた。100歳の老人ができる精一杯の声でだ。
「ヨウコ。」
ヨウコ?と疑問形で声を発したのではない。
自信を持って声をだした。なにせ100歳だ。声は掠れてたかもしれない。
「ごめんね、待った?」
あぁ、待った。待ったかもしれない。けれど、100年の年月など、こうして出会うことが出来たのならば、そんなのは誤差でしかない。
「いや・・・、ちょうど今、来たところだよ。」
そして、100歳の老人ができる精一杯の大声で、彼女の名前を呼び続けた。
「ヨウコ。」
「ヨウコ。」
「ヨウコ。」
緩慢な動作ながらも、椅子から立ち上がる。
その顔は100歳の顔だ。皺くしゃだらけで、染みやそばかすもいっぱいだ。
でも、90年以上前、隣の家にいたヨウコの顔と何も変わってはいない。
「タカシ。」
お互いに高齢だ。動きは緩慢ながらも、思わず杖を放り投げ、互いに抱き合った。
そして、互いに、互いの顔を見つめ合う。
やっと会えた。実に90年以上ぶりの再会だ。
しばらくの間、そのまま抱擁した。
こんな高齢になっても、まだ、涙は出るらしい。
でも約束は少し違う。
約束は桜の木の下で彼女を待つことじゃない。
「こんど、ヨウコのおたんじょうびのときに、あの木の下でプレゼントあげるね。」
それが約束だ。
「ヨウコ、100歳の誕生日おめでとう。」
俺は干し草で出来た指輪をプレゼントした。
90年以上前に、自分が幼稚園児だったときにプレゼントしようと、そこら辺の草で作った指輪だった。ただの白い花をつけた草だ。しかも90年以上前だから、ボロボロだ。
「ありがとう。」
彼女の頬にも、幾筋の光るものが流れていた。
この習慣をはじめて90年以上、もはや、意味はないと思っていた。
ただの儀式だと思っていた。
あぁ、今日はなんと素晴らしい日だろうか。
自分がしてきたこの行動は、無駄でなかった。100年・・・、時間はかかった。けども、それは、決して無駄なんかでなかった。
俺は、この日、実に90年以上ぶりに隣の家の子との約束を果たすことができた。
100年、長生きして、良かったと思う。