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6.ある桜の物語:

 

 ある川の土手に一本の桜の苗木が生えていたという。

 誰が植えたか、自然に芽が出てきたのか、今とはなってはわからない。


 桜の苗木はすくすくと育った。

 すくすくと育ちつつも、桜の木だけは静かに周囲の風景だけを見ていた。


 桜の周りで走って遊ぶ子供たち、ジョギングをして通り過ぎる人、ただただ土手に座って川を眺める人。

 そして、一年の決まった日にちに、いつも一日中、人を待っている少年。


 そんな風景を桜の木は何も言わず、ただ、じっと見続けていた。

 一年過ぎても、風景が変わることはない。


 春には花が咲き、夏には緑を付ける。秋には葉が落ち、冬は冷たい風が枝の間を吹き抜ける。

 決して変わらない風景。

 そして、一年が経過すると、決まった日にちに、いつも一日中、人を待つ少年も決して変わらない。


 10年、20年が過ぎる。年月が過ぎれば、いろいろな日もある。

 晴れの日、雨の日、暴風が吹き荒れる日。それでも人を待つ少年は決まった日に誰かを待ち続ける。


 20年もたつと、桜はそれなりに立派な桜になる。

 春になると、人々が木の下でシートを敷いて、宴を始めた。

 毎年、ある日に桜の木の下で誰かをずっと待ち続ける少年も立派な大人になっていた。

 大人になっても、桜の木の下でずっと待ち続ける彼を桜の木はじっと見続ける。


 桜の木の樹齢はわからない。

 されど、あの少年が現れたときから、数えて30年が経過した。


 桜は見ていた。

 あの日、少年だった男が、ずっとずっと、桜の木で待ち続けた女性。

 その女性が、今日、現れた。


 男が待っていた女性は、決して約束を忘れてなかった。

 けども、これも運命だろう。

 その日限って、男が現れた時間は遅すぎた。

 桜の木の寿命からすれば、ほんの誤差にしか過ぎない。けども、そのほんの誤差が運命の悪さをしたのだろう。


 現れた女性は、桜の木の枝に、白い花の草で作った指輪を枝にかけて、その場を去った。

 すれ違い様に、男が現れ、枝に引っ掛けられた白い花の草で作った指輪に気づいた。


 男がその白い花の草の指輪の意味に気づいたのかはわからない。

 桜の木だけが、真実をじっと見ていた。


 その後もその男は毎年特定に日になると桜の木の下で彼女を待ち続けた。

 周りの人は知らずとも、桜だけは知っている。

 あの少年だった男は毎年も欠かさず、人を待ち続けたこと。ひたすらに、いつか会えることを信じて、約束を守り続けたこと。


 いつしか、年月は経過し、70年が経過する。

 桜の木は立派な大木となり、地元で有名な一本桜となった。春になるとみんなこぞって桜の木の下で宴を開いた。

 時間は経過し、あの日の少年はもう、老人となっている。

 それでも、なお、あの少年だった老人はあの彼女を待ち続けていた。

 たとえ、他の誰かが見てなくても、桜の木だけは、ずっと見続けていた。


 さらに年月は90年が過ぎていく。

 あの少年だった老人はいまだ健在、足腰が弱くなっても、かならずその日に彼女を待ち続けた。

 他のだれか見てなくとも、あなたが、あの日の約束を信じ、自身の寿命を全うするときまで、その約束を果たそうしたことを桜の木は静かにずっと見続けているのです。


 年月が経過し、あの日から98年目。

 どうやら、あの日少年だった老人よりも、桜の木のほうが先に寿命が来たらしい。

 最後のときは、最後らしく、季節外れの満開の桜吹雪を吹かせた。


 そして、その後、あの日少年だった老人のその後を知る者はいなくなったのだ。


 本来は、物語はこれで終わりのはず。

 桜の木も、今は切り株だけの姿になった。

 けども、奇跡的に、桜の木の根だけは生きていた。根だけが生きていたからこそ、次の新しい桜の芽がその記憶を引き継ぎ、そして、なおも、この土手の風景を見守り続けようとしていた。


 桜の木は知っている。

 今日も、その老人はいつものように人を待っていること。

 今はなき桜の大木の場所で待つ老人は命も尽きようとしていること。


 かつて、一度だけ奇跡が起きた。

 男が待っていた女が、一度だけ桜の木の下に現れた。

 守られる訳のない約束が、共に約束を信じた男女によって叶うかもしれない奇跡が起きた瞬間だった。

 けども、それも何かの運命か、その日だけ男が現れるのが遅れた。

 ほんの僅かの時間差で、男女の運命はすれ違った。


 本人たちは知らないだろう。周りの人も誰も知らない。ずっと見続けていた桜の木だけが知っている真実。

 時間は経過し、あの日の少年はもう、老人となっている。命も尽きようとしている。

 あの日起きた奇跡が再び起きようか。

 普通に考えれば、それは天文学的な確率、奇跡なんて起こるはずがない。


 それでもなお、老人は命尽きるまで信じた。


 かつて少年だった老人の長年の物語を知るのは桜の木だけ。


 だから、あの日の約束を信じ、これほどまでに、約束を純粋に信じ、そして、ついに約束を果たした二人を見たときに、今は根しかない桜の木とて、どう思うのだろうか。


「ごめんね、待った?」


 桜の木は、ただ見続けるだけ。決して、感情もないだろう。


「いや・・・、ちょうど今、来たところだよ。」


 でも、桜の木だけがずっと見ていたのだ。ずっと、ずっと、ずっと待ち続けて、あの日の少年だった約束がついに叶った瞬間。他の誰も知らなくとも、桜の木だけがずっと約束が叶うまでに要したずっと長い時間をすべて知っているのだ。


 桜の切り株の上で交わされるある二人の老人の会話。

 その会話を桜の木が理解できていたのかわからない。

 けども、その会話の100年の重みを知るのも、また、桜の木だけなのだ。


 そう、桜の木だけがすべてを知っていた。

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