4.ある女の物語:老後の話
それから、何年たったかしら。
子育てに追いまわされる毎日だったけど、50歳にもなると、子供たちも独り立ちしたわ。
忙しかった毎日が、嘘のように静寂になったわね。
その後は今の夫と静かに暮らしたわ。旅行や温泉に行きながら、毎日をゆったりと楽しんだわ。
60歳になったとき、孫が産まれたの。本当に可愛らしい。
82歳になったとき、夫は先立ったわ。
こんなあたしを大切にしてくれた大切な夫だった。感謝しかない。
その後の生活は、独りきり。たまに娘が孫を連れてきてくれるけど、独りは寂しいわ。
そんなときにね、思い出すのよ。初恋の相手、昔、隣の家にいた男の子のこと。
元気かしらね。今、どこで何をしているのかしら。
もう82歳、元気にしてればいいけど。
91歳になったわ。この年にね、ひ孫が出来たの。
ひ孫が出来るほど、長生きするなんて、本当に幸せね。
でも、もう、歩くのも大変なのよ。
今は、子供たちがあたしの面倒見てくれるの。本当に助かるわ。
そして、100歳まであと数日。
100歳まで生きれるなんて幸せ者ね。
けどね、自分の体のこと、自分でわかるの。
もう、体はほとんど動かない。歩くのもやっと。耳は聞こえづらいし、物覚えも悪い。
もう、寿命ね。
そう思いながらも、早めに寝床につくの。老人になると寝るのが早いのよ。
夢を見たの。
ずっとずっと、昔のこと。90年以上前の話。
隣の家にね、同い年の男の子がいて、いつも一緒に庭で遊んだわ。
家のすぐ裏手には川があってね、よくそこでも遊んだの。
そう、川の土手にね、小さな桜の木があってね、その周りで一緒に遊んだ。
そこら辺に生えてる白い花をむしって、あたしにプレゼントしてくれたわ。
覚えてるわ。
「あの木の下でまってるね。」
そう、そういう約束をした。バカみたいだけど、昔ね、70年ほど前に、一度、その約束を守りに、その桜の木に行ったのよ。桜の木は、随分と大きくなって立派になってたわ。
あたしは、一日中待ったの。夜になっても、ずっと、ずっと。
でも、当然よね、幼稚園児の約束なの。
彼は、当然、来なかったわ。
でも、なんで今頃になってこんな夢を見るのかしらね。
でもね、その夢はそこで終わらなかったの。
その彼がね、ずっと、ずっと、あの桜の木の下で待ってるの。
小学生、中学生、高校生、大学生、社会人になっても、おじさんになっても、おじいちゃんになっても、そして、腰の曲がったおじいちゃんになっても、彼はずっと、ずっと、待ってるの。
そこで、一度、目が覚めたの。
リビングではテレビの音がしているわ。きっと、まだ、孫娘たちが起きてるのでしょう。
でも、そのときにね、テレビから、声がしたの。
「えー〇〇県、〇〇川では、洪水などの防災のため、警報システムの・・・。」
耳も聞こえづらい。
でも、聞こえた。〇〇川とは、昔、彼と約束をしたあの桜のあった川。
思わず、リビングに行って、テレビの画面を見たわ。
テレビで偶然に報道されただけだったのかもしれない。
でも、その画面に映ったその風景は、昔、90年以上前に、自分が引っ越す前の場所だとすぐにわかったわ。
あたしはすぐに理解したのよ。
夢の中で、あの頃、隣の家にいた男の子は、ずっと、ずっと、あたしを待ってくれていたって。
あたしはいても立ってもいられず、家を飛び出したわ。
でもね、体はもう100歳なのよ。体が言うことを聞かない。杖をついて、数歩、歩いては休憩して・・・。
「ちょっと!おばあちゃん!急にどうしたの??」
孫娘よ。もう40歳近いけども。。。
孫娘が体を支えてくれたおかげで、少しは楽になったわ。
「昔ね、90年以上前に約束をした人がいるの。隣の家の男の子のよ。川の土手の木の下で誕生日に待つって。でもね、その前にあたしは、引っ越してしまったの。それから、ずっとずっと気になっていたの。」
「ちょっと待ってよ。おばあちゃん、無理だって。今は夜だし、90年以上前よ。」
わかってるわ。でもいいの。夢では彼はずっとずっと、待ってくれてた。
それがただの夢でもいいの。最後の100歳の誕生日ぐらい、約束を守りたい。
でもね、あたしの90年以上の前の約束を孫娘に話したらね、あたしの100歳の誕生日に、その場所へ送ってくれるって話してくれたのよ。
そう、約束の日はあたしの誕生日。
だから、ちゃんと誕生日に、その場所へ行きましょうって。
あたしの100歳の誕生日の日、孫娘に連れられて再び、あの川の土手を訪れたわ。
前回来たのが70年前、あたしが30歳だった頃。
随分と変わってしまったわ。
その頃には立派に育った桜の木があった。
でも、あの頃あったはずの桜の木はもうなかったわ。
そして、彼の姿も見当たらない。
そうよね。幼稚園の頃の約束だもの。
いるわけがない。いるわけがないの。
わかってたわ。
でもいいの、これで。あたしは満足したわ。
日も傾いて、帰ろうとしたの。