3.ある女の物語:幼少期~結婚の話
昔、ある男性と約束をしたの。
「こんど、ヨウコのおたんじょうびのときに、あの木の下でプレゼントあげるね。」
「わかった。おたんじょうびの日に、あの木の下でタカシをまってるね。」
約束といっても、何しろ幼稚園の頃の話。男性というより、男児とでも表現したほうがいいかもしれないわね。
相手は、隣の家の同い年の男の子。
同い年で、家が隣というのもあって、いつも一緒に遊んでいたの。
でも、ある日、父親の仕事の関係で引っ越すことになった。
約束のその日、あたしは、ずいぶんとダダをこねたものよ。
「やくそくしたもん!」
とパパやママに言っても、当然、聞いてもらえるわけがない。当然よ。あたしは彼の家からずっと遠いところに引っ越したの。
それからはね、誕生日になると、「タカシと約束したもん。」って、ずっと駄々をこねていたわ。親からすれば、誕生日に駄々こねる面倒な子だったわ。
小学生になると状況は理解して、駄々はこねなくなったけどね。
ずっと彼の家の場所に戻ろうと考えてたのよ。
でも、小学生や中学生に、飛行機代や新幹線代なんて払えるわけがないのよ。
そして、高校生。
友達はみんな彼氏を作って、その話で盛り上がったわ。その話を聞くたびに、昔、隣の家にいた男の子が気になるの。
高校生にでもなれば、アルバイトでお金を稼げる。
その気になれば、彼の家に戻れたかもしれない。
けどね、幼稚園児の約束なの。
もう10年以上も前の約束なの。
もし、仮に、引っ越す前の家に戻って、もう一度、彼に会えたとして、何て言うのかしら。
まさか、いい年になって、幼稚園の頃の約束を守りに来た、とでも言うの?
あたしは、戻ろうと思っても、行動に移す勇気がなかったの・・・。
その後も、彼のことが頭の片隅に残っていたわ。
大学に進学して、会社に就職して、恋愛もした。
けどね、30歳になったときに、付き合ってた彼からプロポーズされたのよ。
もう30でしょ。いい年だし、子供も欲しいと思ったの。
でも、昔、隣の家にいたあの男の子のことが頭に残っていたのよ。
決して、今の彼が好きじゃないってわけじゃないわ。
今の彼も素敵な人、一緒に生活していけると思う。
でもね、ケジメをつけたいと思ったの。
なにしろ、幼稚園の頃の約束、ずっと昔の話。
当然、彼だって忘れているに決まっている。
でも、これはケジメなの。
30歳、その年の誕生日、あたしは昔、住んでいた所を訪れたわ。
街は大きく変わってたわ。
彼の家があったはずの場所は道路になっていた。
隣の自分の家だった所も道路になっていた。
でも、彼と約束した場所はちゃんと残っていた。
彼の家があった場所の裏手、川の土手にある桜の木。
小さな若木だったのに、幹が太くなって、立派な桜の木になったわね。
あたしはね、その桜の木の下で、待ったの。ずっと待ったの。日が沈んで、夜になってもずっと、ずっと待ったの。
でも、ずっと昔の約束なの。彼が来るわけがないじゃない。
もう真っ暗、雨が降る音だけがしている。こんなあたしを桜の木だけが見つめていたわ。
昔ね、その男の子が桜の木の下に生えていた、白い花の草で小さな指輪を作ってくれたのよ。あたしは、同じ物を作って、桜の木の枝にひっかけたわ。
別に意味はないわ。
「あたしってバカよね。」
その日の夜は肌寒かった。
その後、あたしは付き合っていた彼と結婚したの。
子供にも恵まれたわ。幸せな毎日だった。
でも、隣の家の彼のことを決して忘れたわけじゃないの。あれは、あたしの幼い頃の淡い淡い思い出。
そう、あれは・・・初恋って言うのかしら、大切な思い出なの。