第9話「癒しのパン」
朝もやの立ち込める早朝、パン屋の前には既に長い列ができていた。
「レオンさんのパン、今日も買えますか?」
列の先頭に立つ老婆が不安そうに尋ねる。膝を押さえる手には、長年の関節痛の痕が見える。
「はい、たくさん焼きましたよ」レオンは優しく微笑んだ。
店内では、棚いっぱいに並べられたパンが淡い光を放っている。それぞれのパンに、異なる癒しの力が込められていた。関節痛を和らげるパン、疲労を癒すパン、心を落ち着かせるパン——。
「不思議ね」薬屋の娘ユリアが、実験ノートを手に店を訪れた。「同じ生地なのに、こんなにも効果が違うなんて」
レオンは黙って生地を捏ねていた。力の使い方は、少しずつ分かってきた。生地に触れる時、相手の苦しみに意識を向ける。すると自然と、必要な癒しの力が流れ込む。
『相手の痛みを理解することが、癒やしの始まり——』
またあの声が。今度は、記憶の断片と共に風景が浮かぶ。白い建物、緑の庭、そして大きな翼を持つ——。
「レオン!」マーティンの声で我に返る。「生地が光り過ぎているぞ」
見れば、手の中の生地が明るく輝いていた。慌てて力を抑える。
その時、店の外が騒がしくなった。
「大変です!」村の若者が飛び込んでくる。「隣村で発熱の病が流行っているんです。うちの村にも——」
レオンは即座に動いた。大きなオーブンに火を入れ、特別な生地を仕込み始める。
「私も手伝います」ユリアがエプロンを借りた。「薬草の知識なら」
アンナは黙って二人を見守っていた。その目に、誇りの色が浮かぶ。
夜が更けるまで、二人は休みなくパンを焼き続けた。レオンの手から流れる光は、次第に確かな輝きを増していく。
翌朝、村長が訪ねてきた。
「君のパンのおかげで、熱が下がった者が続出している」村長は深々と頭を下げた。「本当に、ありがとう」
レオンは静かに頷いた。この力は、きっと誰かのために与えられたもの。そう確信していた。
その夜、レオンは不思議な夢を見た。
白い翼を持つ竜が、青い空を飛んでいく。その背に乗る騎士の姿が、どこか懐かしい。
「準備はいいか、レオン?」
竜が問いかける声が、どこかで聞いたものと重なる。
目覚めた時、頬を伝う涙が冷たかった。窓の外では、一羽の白い鳥が空を見上げていた。