第2話「老夫婦との出会い」
意識が戻った時、レオンは柔らかなベッドに横たわっていた。羽毛を詰めた枕の感触が頭を優しく包み、古い木材の香りが鼻をくすぐる。
「おや、目が覚めましたか」
優しい声に導かれて目を開けると、白髪の老婦人が微笑んでいた。小さな窓から差し込む陽光が、彼女の周りを柔らかく照らしている。深いしわの刻まれた顔には、何かを見守るような慈愛に満ちた表情があった。
「ここは......」
「私たちの店です。森で倒れていたところを主人が見つけたんです」老婦人は丁寧に説明した。「熱を出していましたよ。二日間ぐっすりとお休みになっていました」
レオンは驚いて上半身を起こそうとしたが、老婦人が優しく制した。
「まだ無理なさらない方が。ゆっくりでいいんですよ」
老婦人は自己紹介をした。アンナという名で、夫のマーティンとこの村で小さなパン屋を営んでいるという。村の外れにある彼らの店は、代々この地で愛されてきたのだと。
「申し訳ありません。私は——」
「レオンというんでしょう? 意識を失う前におっしゃっていたと聞きました」アンナは温かな微笑みを浮かべた。「主人が朝の仕入れに出かける時、森の中で倒れているあなたを見つけたんです」
アンナは部屋の隅にある古い椅子に腰掛けた。「それ以外のことは?」と問いかけてくる目は、まるで実の息子を見るような温かさがあった。窓辺では鉢植えの花が静かに揺れ、心地よい風が部屋を通り抜けていく。
「......思い出せません」
レオンは正直に答えた。名前以外の記憶がないこと、森で目覚めたことを説明する。ただし、狼を癒やした不思議な力のことは黙っていた。自分でも理解できていない力について、今は語るべきではないと判断した。それに、この老婦人の優しさに、余計な心配をかけたくなかった。
「そうですか......」アンナは深い思いやりの眼差しを向けた。その目には、何か懐かしいものを見るような色があった。「では、しばらくここで休んでいきませんか?」
その時、階下から香ばしい匂いが漂ってきた。焼きたてのパンの香りは、レオンの空腹を呼び覚ました。胃が小さく鳴る。
「ああ、主人が帰ってきたようです」アンナは嬉しそうに立ち上がった。「きっとあなたのことも気にかけていると思います」
階段を上がってくる力強い足音とともに、がっしりとした体格の老人が姿を見せた。白く粉を被った前掛けから、パン職人であることは一目で分かった。その顔には厳格さと優しさが同居していた。
「目が覚めたか」マーティンと名乗った老人は、レオンをじっと見つめた。その目は何かを見抜くように鋭かった。「具合はどうだ?」
「はい、だいぶよくなりました」レオンは丁寧に答えた。「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「そうか。それなら......」マーティンは一瞬考え込むような表情を見せた。その後ろ姿には、長年の経験が感じられた。「パン作りを手伝ってみないか?」
「え?」
「うちは人手が足りなくてな。若い力が欲しいところだ」マーティンの声には、決意のようなものが込められていた。
レオンは戸惑った。自分には記憶がなく、パン作りの経験があるかも分からない。そんな自分を簡単に受け入れてくれることが、逆に不安だった。それに、この親切な老夫婦に迷惑をかけるのではないか。
「私には記憶がありません。ご迷惑をおかけするかも......」
「記憶がないからこそ、新しいことを始められるんじゃないか?」マーティンの言葉は力強く、そして温かかった。「過去より、これからだ」
アンナも同意するように頷いている。二人の目には、純粋な善意が輝いていた。
「......ありがとうございます」
レオンは深々と頭を下げた。この老夫婦の親切に、胸が熱くなるのを感じた。記憶はなくとも、この温かさは確かに心に染み入る。
「よし、決まりだな」マーティンは満足げに笑った。表情が柔らかくなる。「では明日から、パン作りの修行だ」
窓の外では、夕暮れの空が赤く染まっていた。鐘の音が村に響き、一日の終わりを告げている。記憶を失った元・竜騎士の、新しい人生が始まろうとしていた。
誰にも気付かれることなく、一羽の白い鳥が窓辺から飛び立った。