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進路相談――僕、泥棒になります。

作者: 藍染 迅

「次は『多田』君を呼んでくれ」

「はい」


 わたしはいま面談が終わった生徒に、次の生徒を面談室に入れるようにいった。

 この高校での私の担当は3年A組。

 今日は生徒本人との進路相談日であった。


「入ります」

「おう」


 ドアを開けて入ってきたのは、多田誠。真面目な生徒で、成績は中の上というところ。数学と英語は良くできる。

 これといった欠点はないが、しいていえば引っ込み思案なところが玉に瑕か。


「座りなさい」

「失礼します」

「早速だが、進路の面談を始めさせてくれ。本人の希望は?」


 うちの高校、明俊高等学園では卒業生のほとんどが進学する。多田も進学組だろう。

 こいつは文系クラスだから、偏差値的にはこの辺の……。


「就職します」

「ん?」

「僕は就職します」


 意外な言葉に、わたしは一瞬面食らった。


「お前の成績なら進学するのが普通だが、何か事情があるのか?」


 家業を継いだり、稼ぎ手が倒れて現金収入が必要な場合、成績優秀でも進学をあきらめるということはあった。

 多田も何か家の事情を抱えているのだろうか?


「いえ。僕の意思です」

「ちょっと待て。よく考えた上でのことか? 世知辛いようだが大卒と高卒では生涯収入が変わって来るぞ? 他にも……」

「メリット、デメリットは検討しました。その上での判断です」


 どうやら本人の中では決まったことのようだ。

 こんな場合、下手に否定すると意地になる場合がある。ここは焦らず、話を聞いた方が良いとわたしは考えた。


「ご家族とは相談したのか? あぁっと、お前のところは……」

「両親とも亡くしています。いまは叔父のところで暮らしています」

「そうだったか。叔父さんは何といっている?」

「独立して生活ができるなら構わないそうです。正直なことをいえば、大学の学費は相当な負担になるので」


 冷たいようだが我が子の場合とは違うかもしれない。早く独立してくれるなら、その方が助かるということはあるだろう。


「叔父さんのところは、お子さんがまだ小さいので……」

 

 これから養育費がかさんでくるところか。里親手当だけで大学まで行かせるのは、大変なことではあった。


「奨学金制度が利用できることは知っているな?」

「はい。それも考えた上でのことです」

「そうか。とにかく資料は渡しておくから、必要ならいつでも相談に来なさい」

「わかりました」


「それで、どんな仕事に就こうと考えているんだ?」


 まずは本人の考えをよく聞いておこうと、わたしは思った。


「先生、僕、泥棒になります」


 多田は好きな色はブルーですというくらいのトーンで、とんでもないことをいいだした。


「はあ? お前、何をいってるんだ?」


 わたしは怒るよりも呆れてしまった。こんな冗談をいう生徒ではないと思っていたが。


「驚かせてしまってすみません。でも、真面目な話なんです。正確にいうと泥棒ではありませんが、それに近い仕事なもので」

「ふざけている訳じゃないんだな? なんだかわけが分からんが、とりあえずどんな仕事か説明してみろ」


 わたしは怒鳴りつけたくなる気持ちを押さえて、先を促した。

 話も聞かずに怒鳴ったら、モラハラだパワハラだと責められる。面倒な世の中になってしまった。


 多田本人は「泥棒」などといっているが、仕事の中身をよく聞いてみないことには教師としての判断ができない。大袈裟ないい方をすれば生徒の一生を決めるかもしれない選択なのだから。


 それから始まった多田の説明は、わたしの教員生活で遭遇したもっとも不思議なものだった。


「泥棒に近い仕事というが、そもそもの話、犯罪はダメだろうが」


 わたしの最初の反応はそれだった。教師でなくとも、誰でもそういうであろう。

 教え子から犯罪者とか反社が出たということになれば、わたしの経歴にもマイナスとなる。そんな評価点をつける制度は存在しないが、記録が残されなくとも人の記憶に残るのだ。


 生徒は3年で学校を去るが、教師はこの先何年も生徒の影を引きずらなければならない。考えてみれば不公平な立場だ。


「犯罪というのは、法によって禁止された行為を行ったことが(おおやけ)に発覚した場合始めて認識されます」


 あらかじめ答えを用意していたのか、多田は滑らかにいった。


「いや、バレなくても犯罪は犯罪だ。見つからなければ良いということにはならんだろう」

「僕が対象とするのは、闇カルテル、反社、犯罪グループなど社会的に悪とみなされる集団の裏金です」

「何をいっているんだ? お前、正気か?」


 生徒が教師にする話とは思えなかった。こいつは頭がどうかしてしまったのだろうか。

 宿題の回答を述べるように、淡々としているところが不気味だった。こいつは自分が犯罪者になるといっていることに気がつかないのか?


「そもそも、持ち主がいない資金なんです。被害者でさえ特定できない」

「だからってお前……」

「そのままにしておけば、次の犯罪資金となるだけですよ」

「まあ、裏金だったらそういうこともあるかもしれんが、それは警察だとか国税庁の仕事じゃないのか?」


 ここまで聞いてもわたしは多田を頭から叱ることができない。それをやると、多田は自分の殻に閉じこもってしまうかもしれない。

 そうなると、生徒の悩みに耳を貸さなかったとわたしが責められることになる。


 まったく、理不尽な世の中だ。


 わたしは苦労して声を平静に保ち、多田を諭そうとしていた。


 すると、多田は体の前で両手の指を組んで目を落とした。


「それでは間に合わないから、僕の両親は首を吊りました」


 わたしは息が詰まった。

 そうだった。多田の両親は小さな工場を経営していたが、手形詐欺に遭って多重債務に陥り、最後は2人で自殺したのだった。


 小学生だった多田誠を残して。


 詐欺は偶発的なものではなかった。常習的詐欺グループが計画的に行ったものであり、その背後には暴力団の存在が噂されていた。

 多田の両親を追いつめた闇金融はある暴力団が仕切っていたのだ。


 結局、警察は末端の構成員2名を逮捕しただけで、事件全体を明るみに出すことができなかった。逮捕者でさえ、罰金刑で終わっている。

 

「多田、お前……」


 多田は、伏せていた顔を上げた。


「先生、僕は復讐を考えているんじゃありませんよ。社会的に不足している自衛機能を果たそうとしているだけです」

「自衛機能って。訴えられたらどうするつもりだ?」


 動揺して、思わず多田のいう「泥棒のようなこと」を前提とする質問をしてしまった。


「訴えませんよ。そもそも『存在しない資金』を狙いますから」


 いいですかと、多田は頭の悪い子にドリルを教えるような口調で説明を続けた。


「現代社会でまったく帳簿に載らない金を作り出すのは、ほとんど不可能です。少なくとも大金はですね」


 こいつの話し方は、税理士とか会計士になった教え子に似ているなと、頭の片隅で思った。

 あいつらは「白っぽいグレー」を探すのが仕事だとか、高いシャンパンを空けながらいっていたが……。


「休眠会社とか戸籍買いとか、あいつらの知恵ではそれくらいしか思いつきません」


 どこかで聞いたような話だが……。

 法の抜け道を利用するということか。つまり「マネーロンダリング」じゃないか。


 高校生がなぜそんな話をしている?


「結局どこか銀行に預けざるを得ないんです。今の日本では。現金にしておくには限界がある」

「ときどき変な札束が竹藪とか焼却所から出て来るが……」


 ワイドショーで取り上げられるネタを思わずつぶやいてしまった。


「あんなのはごく一部です。ぼけ老人の隠し財産か、『見せしめ』に暴かれた隠し金か……」

「見せしめで1億って……」

「大企業レベルでは1億なんて、端数ですよ?」

「お前……」


 高校生が話すトーンじゃないだろう?

 安月給の高校教師にとっても1億円は見たことのない大金だ。


「高1から将来のことを考えて、簿記を独学で勉強しました。日商の1級持ってます。その上で、上場企業の決算書を片っ端から分析しました」


 昔は「会社四季報」とか「有価証券報告書」とかの出版物を入手する必要があったが、いまではネットで企業の決算情報が手に入る。それを使えば……って。

 そういえばこいつはパソコンを使うのがうまかった。表計算ソフトも関数機能だけではなく、「マクロ」を組んで自動処理させるくらいに使いこなしていたな。


「お前、それだけの力があれば監査法人とか会計事務所とか、いくらでも仕事はあるだろうに」

引退後(・・・)はそっちの道もあるかなと思いますが」


 多田はプロのスポーツ選手がアマチュア指導者に転進するような口ぶりで、「引退後」を語った。


「若いうちだけでしょ? 挑戦できるのは」


 さばさばした表情で多田はいった。


 こいつは何に挑戦する気なんだ? わたしは混乱する頭を何とか整理しようと、多田の話に隙を探そうとした。


「簿記1級だからって、裏金のありかが分かるのか?」

「『裏金がありそうだ』ってところまでですね。簿記の知識で追えるのは。そこから先はハッキングの領分です」

「ハッキング?」


 予想外のワードがポンポン飛び出してくる。こいつはいったい何者だ?


「中学時代からプログラミングを勉強しました。途中からハッキングにはまりまして。個人レベルのセキュリティなら『ざる(・・)』扱いですね」

「そりゃ犯罪だろう?」

「技術に罪はありませんよ。使い方を誤れば、どんな技術でも悪用は可能です」


 技術とは本来そういうものでしょうと、多田はいった。


「そいつは危険な考え方じゃないのか? マッドサイエンティストってのがそういう奴らだろう?」

「だったら人類は、真っ先に(・・・・)自動車を禁止するべきでしょ? どれだけの人間が交通事故で亡くなっていると思いますか?」

「いや、自動車を廃止したら産業が崩壊するだろ?」


 わたしがそういうと、多田は頷いた。


「みんなそれが当然だと思い込んでしまっている。それが社会だからです。でも、自分のお子さんが自動車事故で無くなったとしたら、同じことをいえますか?」


「だがなあ、多田。お前のいうことにも一理あるのだろうが、それじゃ収まりがつかんだろう?」


 犯罪グループの裏金を盗む。そんなことができたとして、お前はそれで生きていけるのか?

 社会がそれを許すと思っているのか?


「お前自身の納税義務とか、どうする気だ? 脱税する気か?」

「納税しますよ、もちろん? クラウドファンディングを利用するつもりです」

「クラウドファンディング?」

「はい。たとえば、養護施設に車椅子を寄付するという目的のプロジェクトを立ち上げます。そこに寄付してもらうんです」


 いったい何の話だ? 裏金を盗むという話のはずだが。

 それがどうして寄付の話になる? 誰が寄付するというんだ?


「犯罪グループの隠し金口座から寄付してもらうんですよ」

「そんなことするわけが……」


 多田はにやりと笑った。


「だから、セキュリティがざるだといったでしょう? ネットバンキングで操作するくらい、軽いもんです」

「泥棒じゃないか?」

「見解の相違です。それは持ち主がいない資源です。無主物は発見者、発掘者の所有物となります」


 無茶をいいやがる。ヤクザがそれで黙っているわけがないだろう。


「送金先をたどられたら、おしまいじゃないか」

「やつらのレベルじゃ無理ですね。隠し口座からクラウドファンディングの入金先までの間に、いくつかダミーの口座を挟みますから」


 警察ならともかく、民間人に対して銀行は顧客情報を明かしたりしない。確かに普通のやり方では追跡できないだろう。

 そして、犯罪者グループが盗難の被害届を出すはずがない。公権力が介入することはあり得ないのだと、多田はいった。


「もちろんNPOとしての社会奉仕はきちんとして、僕は真っ当な報酬を『業務委託料』としてNPOから頂きます」


 それなら成り立ってしまうのか? ハッキングの技能を持つ多田には、隠し資産をマネーロンダリングして私物化することができるというのか?

 これ以上のことは、一介の教員に過ぎないわたしには判断できない。

 

 しかし、それでも……。


「それでもだ。もし、やつらが金の流れを追ってお前までたどり着いたら、そのときはどうする?」


 反社の怖さを多田は知っているのか? ネット上の行為などではない純粋な暴力、その恐ろしさを味わったことがあるのか?

 反社の怖いところは「法を犯すこと」を前提としていることだ。末端構成員に実行を命令し、検挙されれば経済的に「その後」の面倒を見る。それがシステムとして成り立っていることが、一般人にとって脅威なのだ。

 

 本気になった反社を止めることはできない。わたしの胃がキリキリと痛んだ。


 内心冷や汗をかく私のことなど気にならぬ様子で、多田はごしごしと両手で顔をこすった。


「大丈夫です。僕、海外に住むつもりなんで」

「えぇ? そんなこと……」

「そのために、英語の勉強には力を入れましたよ。無料で参加できる外国人との交流会に参加したりもしたし。金さえあれば、世界中どこでも生きていける自信があります」


 こいつ、日本を捨てる気か? そこまで覚悟を決めていると?


 海外に住んでいるとなれば、反社も手が出せないだろう。電話一本でマフィアに殺しを依頼するなどというのは、映画の中だけのお話だ。


「もう、なんといっていいかわからん。先生に少し考えさせてくれ」


 良識ある教師として、大人として、止めてやるべきなのだろうが、止める言葉が思いつかなかった。

 こいつは、多田は、人の形をした化け物ではなかろうか。そんな途方もない考えが、わたしの頭の中で膨れ上がる。


「そうですよね。急にこんな話をされても、困りますよね」

「ああ、すまんな。良いアドバイスができなくて」


 こんな調子で三者面談などできるのだろうか? いくら叔父叔母が相手だといっても、まさか盗品横領を職業にしようとしているとはいえないだろう。

 学校側にこんな内容を報告するわけにもいかない。多田はまだ未成年だ。すべてはわたしの指導不足ということにされてしまう。


「できればもっと穏当な職業についてもらいたいものだが、たとえば官憲側に立って犯罪を取り締まるとか?」


 媚びるようにわたしがそういうと、初めて多田の目が険しくなった。


「それでは裁けない罪があり、届かない人間がいるからこういう道を選んだんです。失礼します」


 多田は席を立って、ドアまで進んだ。ドアノブを引いて扉を開けた。

 わたしはふと、その背中に声をかけた。


「ああ、それにしてもなんだってこんな話を俺にしたんだ。秘密にしておきたい内容じゃないのか?」


 多田はぴたりと動きを止めると、背中を向けたままでいった。


「だって先生、生徒の個人情報を横流ししているじゃないですか。あれって、反社の資金源になっていることご存じでしょう。これは開業前のご挨拶ですよ」

「お前……!」

「暴力団の武器は情報です。人の弱みにつけこんで、より深い闇へと引き込んでいく」


 最初は隣の台にすわった男からパチンコのドル箱を回してもらっただけだった。それがいつしか高額の貸し借りになり、わたしはギャンブルにのめり込んでしまった。

 家族につきまとい始めた奴らの脅しに負け、わたしは生徒や教師仲間の名簿を横流しするようになった。


 病人のいる家庭には未認可薬品や祈祷の類を売りつけ、進学希望の金持ちには裏口入学のあっせんを持ちかける。やくざは人間の弱さの数だけ、金儲けの手口を持っているのだ。


「先生は犯罪を助長すると知った上で個人情報を流した。それは立派な幇助犯です。――ああ、先生の利用価値がなくなれば、組は金の流れを止めますね。闇金の返済、大丈夫ですか?」

 

「おい!」


 わたしが声を掛けた時には既に多田の姿はなく、閉まりかけたドアがわずかな隙間を閉ざそうとしていた――。


<了>

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