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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
アレフォス島
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 下院から修学院へと続く石段を昇りながら、この果てのない石段を何度往復したことだろうか、と、つい昨日のことのように思える修学院での日々をミロイは思い出していた。


 修学院に入るとすぐに測定試験があり、それぞれの体力や能力に応じて組分けされる。

 教官でもあるコバックは、二人が小さい頃から山小屋での生活に必要なことを少しずつやらせるようにしてきた。薪拾いから山に自生する茸や野草の採取、少し大きくなると山道を駆けたり川を泳いだりと、兄弟は遊びながら体力と体幹が鍛えられていった。十歳を過ぎると、組み手や刃のない長柄(ながえ)槍を使った武術も教えられた二人は、修学院の組分けで、生徒たちから『微笑の悪魔』と恐れられていた盲目の武術士スラック教官の組に配属された。

 スラック組は日課として、早朝に下院の庭の掃き掃除と講堂の雑巾がけ、夕方に一の院の本堂の清掃と参拝がある。往復六千段の石段を毎日欠かさず、しかも走って昇り降りしなければならない。さらに半年後からは夕方の本堂参りの後に奥の院まで行くことが追加され、二年目からは石段の途中のどこかに潜んでいるスラック教官の襲撃を避けるという難事が足される。

 ミロイと同じほどの背丈で白髪まじりの短髪、長い顎ひげを蓄えた柔和な顔。いつも微笑みを絶やさないスラックは、生まれつき光のない世界を生きてきたのだが、感覚を研ぎ澄ます気の遠くなるほどの鍛錬の果てに、見えない(まなこ)の代わりに嗅覚と聴覚を超人的に発達させた。微かな匂いと音、少しの空気の揺れを感じることで、彼が言うには、目の見えない自分の方が目が見える者より鮮明に世界が見えている、のだそうだ。実際、暗闇の中で一本橋を全力疾走するとしても、彼には造作のないことだろう。

 そしてスラックは、相対する者の息遣い、鼓動、汗や体温の変化をみて、その者の心理状態を測り、相手が次にとる行動を予測することができるのだという。

 そんなスラック組は、入院当初に十人いた仲間のうち、最初の三ヶ月で三人が他の組へ転属となり、途中に増減があったものの、最終的にはミロイとクロウ、幼なじみのココの三人だけになってしまった。

 ちなみにライアンは最初の三ヶ月で脱落した一人なのだが、転属した組が、その美しい顔からは想像できない『闘魂の美獣』という二つ名を持つ格闘家、ジェシカ教官の組だったので、ライアンの方が大変な思いをしたのかもしれない。


「じゃあ、俺は寮に戻って寝るわ」

 いつの間にか寮のある所まで登ってきていたらしい。「がんばれよ」、と言ってライアンが雨の中を手を振りながら寮に向かって走り去るのを見送ると、ミロイは短いため息をついて再び始まる石段に向かって歩き出した。


 修学院からさらに千段の石段を上がったところに一の院がある。

 谷側を高い壁で囲った一の院は、中央に本堂、右手に二階建ての大きな寺務所、左手には同じく二階建ての宿舎と、その奥に導師や律師の住居が広がっている。年季の入った浅葱(あさぎ)色の銅瓦で()かれた本堂には、一番奥に開祖ムラジ大導師、その両脇に大導師と呼ばれた六人の石像が安置されている。

 エグサの制度を立案し定着させたポー大導師、アレフォス島に雲霞(うんか)のような飛び(いなご)の大群が押し寄せて島の農作物に壊滅的な被害が出たとき、毒息を吐いて害虫を駆除したというグロス大導師など、いずれも何百年以上も前の偉人たちが台座の上に座って目を閉じている。

 毎朝三千段の石段を昇り、居並ぶ大導師たちを参拝する敬虔な島民も多い。

 なかでも触れただけで病を治したというフラナ大導師は唯一女性の大導師で、身体の不調を覚える島民は必ずここに来てフラナ大導師の座像の前に供物を捧げるのだった。


 自分がエグサとなって、島のために何ができるのだろうか、と、石段を上りながらミロイは考えている。

 何をやってもそこそこ出来てしまうミロイは、周りの人から褒められたり羨ましがられたりするたびに、突出した何かを持っていない自分がどんどん小さくなっていくような気がして気が滅入り、そんな自分がさらに卑屈な人間に思えて落ち込んでしまうことがよくある。人に聞けば、それは贅沢な悩みだというだろう。だけどミロイは、自分が何者で、どこに向かっていけばいいのか分からないでいるのだった。


 本堂の板の間に整然と並ぶ(いにしえ)の大導師たちは、確固たる自分を持ち、強い信念でアレフォス島に住まう人々の安寧を守ってきた。

 コバックは、これからエグサとしてさらに鍛錬を積み、ザレの力を授かって、ミロイもいずれ何者かになれる日が必ず来る、と言うのだろう。

 だけど、とミロイは思ってしまう。

 ナルッサでスダジイから溢れ出る淡い青い光に包まれたとき、ミロイの心を満たしたのは、感動的な高揚感ではなく、恨みや怒りに近い深い悲しみが一気に流れ込んできて、体中に蜘蛛の巣のようにべったりと貼りついて絡みつくような感覚だった。

 あのときザレは本当に僕を選んだのだろうか。

 そもそも風光石ザレとは何なのだろう。

 自らが認めた人間に力を与え、島を守る役割を果たしている存在。果たしてそれは本当なのだろうか。


 開祖ムラジ大導師がこの島で己を高め鍛え上げるために修行をしていたとき、天まで届くような竜巻が幾日も消えることなく渦巻いている場所を見つけた。周りの木々や岩は空高く巻き上げられて近づくことすらできない。ムラジ大導師に天の声が聞こえた。

『この風を治めてみよ』

 ムラジ大導師は指先に力を()め、気合とともに手刀を切ると、竜巻は二つに裂かれ、やがて空に吸われるように掻き消えてしまった。ふと見ると、竜巻の中心があった場所に青く輝く小さな石が、スダジイの若木の根元に寄り添うように置かれていた。

『我の名は、ザレ。そなたに風の力を授けよう』

 天の声を聞いたムラジ大導師の左腕には、渦巻き状のあざが手首から肩先まで浮き上がっていた。その左腕を上に突き上げると、轟音とともに大気を切り裂くような風が天に向かって駆け上がり、渦を巻いた風はやがて雲を呼んで空を覆いつくすと、海が落ちてきたような雨が島に降り注いだという。

 風の力を得たムラジ大導師は、雨雲を操り、アレフォス島を緑あふれる島にして豊かな作物をこの島にもたらしてくれた。


 というのが、修学院で教わるアレフォス島創世記の冒頭部分だが、ムラジ大導師の伝説的な脚色はまあ良いとして、ザレという青く光る石があったのは間違いないのだろう。

 ザレは元々そこにあったのだろうか。もしくはムラジ導師が持ってきたか、それとも彼自ら創りだしたのか。

 ミロイは行ったことはないが、この世界にはアレフォス島のような島がほかに四つあるのだそうだ。アレフォス島から南西に船で二十日ほど行ったところにあるルマン島は刃物や食器などの加工業の盛んな島で、アレフォス島から北西にひと月の距離にあるゴダール諸島は塩と医薬品で有名である。バーラの港にルマン島やゴダールの商人の人も多く来ているのでその存在は知っていたが、ほかの二つの島はあまり交流もないのか、ミロイもよく知りはしない。

 ルマン島やゴダール諸島にもザレと同じような守護石があり、同じような効力を発揮して、それぞれの島を守っているのだろうか。そんな疑問がふと頭をよぎり、すぐに消えていった。


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