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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
ゴダール諸島
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負荷

 スラック、ジェシカの両教官とクロウ、ココはゴダール島へ、リュート導師とグラントリー律師はルマン島に、それぞれが向かうための船の準備を進めている頃、ゴダール島にいるライアンを取り巻く環境は大きく変わっていた。

 アイザックの父、マックス・ドランが大将となって準備を進めている海軍に、十隻の商船と四隻の漁船、そして王宮の船二隻が集められ、来るべき海戦に向けて三百人を超える乗組員が日々訓練を行っているのだが、当初宿舎としていたヴァンタレーの町の宿屋や聖堂広場の両側に並ぶ屋敷が乗組員たちで溢れかえってしまい、グラックスの診療所も宿舎として割り当てられ、乗組員が寝泊まりすることになったのだ。

 本来は入院患者のための部屋は、急患用にひと部屋を除いたほかの五部屋をすべて乗組員に開放したため、ライアンは一階に住み込みで働いているチノンばあちゃんと同じ部屋に移ることになった。チノンばあちゃんがどんな対応をするか少し心配したけれど、相部屋になったと聞いて「ふうん」と言っただけで、特に何も反応は示さなかった。

 いきなり三十人分の料理と洗濯に掃除と、様々な雑務をこなさなければならなくなり、さすがにチノンばあちゃん一人では無理だということでメイベルさんの知り合い三人が昼間は手伝いに来てくれることになったのだが、ライアンのことを気にかける余裕がないほどチノンばあちゃんは忙しくなっていたのである。

 夜も朝も早いチノンばあちゃんはほとんど部屋におらず、ライアンも特に気を使うことがなくて済んだのだが、厄介なのはチノンばあちゃんの(いびき)だった。チノンばあちゃんの口から発せられているとは思えない、雷のような爆音が一晩中続くのにはさすがに閉口した。だがそれも、修行で身体を酷使するようになると夜は泥のように眠ってしまうため、チノンばあちゃんの鼾が部屋の壁をどんなに震わせていたとしても気にもしないうちに眠ることになったのだが。

 新たに診療所の住人となった三十人の海の男たちは体もがっしりしていて声も大きい。

 鳥のさえずりや虫の声が響いていた静かな診療所は乗組員たちの怒号や下卑た笑い声が飛び交うことになり、訓練で怪我をする人も頻繁に担ぎ込まれるようになるとグラックス先生と助手のシャルロも忙しくなった。

 そんな喧騒に包まれることになったライアンだったが、日課となっているパラレの基礎運動を飽かずに()まずに続けていた。

 アレフォス島からかなり北に位置するゴダール島では、そろそろ本格的な冬が始まる時期に入っている。

 朝食を摂ったあと、昨日降った雪がうっすらと固まった地面を踏みしめながらいつもの広場に向かい、かじかむ手に白い息を吹きかけて片足立ちになると、頭を空っぽにして基礎運動を始める。そうしていると、どこからともなく微かな音が聞こえてくる。

 何かが流れているようなその音が、自分の身体の中を流れるものの音だということにライアンは最近になってようやく気がついた。

 それは血流や様々な体液とは違う、目に見えないほどの砂粒が何らかの意思を持って流れているように思えるものだった。

 スムーズに身体を動かせているときには、さらさらさら、という音が。体勢を崩したり無理に動かしたりしているときは、ずずず、とくぐもった音が聞こえてくる。

 その音を意識するようになってから、『無駄な体の動きがなくなってパラレの型になってきたね』と、毎日やってくる小さな師匠のイゲルとマイトラが褒めてくれるようになった。

 褒めてくれた人がもう一人いる。

「うん、いいね。勘がいいんだな、ライアンは。エグサの学校で、体術の基礎がしっかりできているからかもしれないけど」

 父親とともに俄か造りの海軍の準備に忙しいはずのアイザックが、久しぶりに姿を見せてライアンの基礎運動の様子を検分すると、そう言って頬を緩めた。

「では一気に負荷を上げるとするか」

 ニコニコ笑いながら、アイザックはライアンの両手首と両足に赤ん坊の頭くらいの大きさの布袋を巻き付けた。ズシリと重い。

「この布袋の中には濡れた砂が詰まっている。風呂に入るとき以外はこれを外しちゃ駄目だよ」

「え、寝るときもですか」

「もちろん。いい夢が見られそうだろ」

 露骨に嫌な顔をしたら、腕を思いっきり叩かれた。

「これを付けた状態で基礎運動を綺麗にこなせるようになったら、筋力とバランス感覚が格段にアップするよ」

「ゴダールの人はみんなこれをやるんですか」

「ここまでやる人はいないかな」

「そんな無茶な」

「はじめから無茶と言っていたら何もできないぜ。それに、俺は無茶だとは思ってない。ライアンならできると思っているからやらせるんだよ」

 しゅん、としていたら、今度は頭をぽかりと叩かれた。

「そういえば、アイザックさん」

「ん、どうした」

「アイザックさんも、砂が流れるような音、聞こえますか」

「砂が流れる」

 基礎運動をしているうちに、身体の中を極小の砂粒が流れているような音が聞こえることを話すと、アイザックは首を傾げた。

「俺は聞こえたことないな。パラレの猛者の人のなかには、水が流れる音が聞こえたり、体を覆う(もや)のようなものが動くのが見えるって人もいるけど、聞こえたり見えたりするものが他人には理解しがたいから、ライアンに起きている現象も根っこは同じなのかもしれないな」

「アイザックさんには、何が見えたり聞こえたりしているんですか」

「俺にはそんなものはないなぁ。勘でやっているからね」

「え、…勘」

「あ、いま馬鹿にしているだろ」

「そんなことはないですけど…、グラックス先生から達人だっていわれたアイザックさんなら、何かもっと、こう、特別な何かがあるんじゃないかと思って」

「ひと口に『勘』って言うと、いい加減な感じがするけど、刹那の間に全身の細胞をフル回転させて最善の道を選ぶのが『勘』だと俺は思っている。実際、俺は自分の勘を信じて行動して、いろんな修羅場をくぐり抜けてきた」

「なるほど」

 深く頷くと、また頭をぽかりと叩かれた。 

「冗談だよ。俺は勘で生きているいい加減な男さ。だから人にものを教えるなんて柄じゃないのに、ライアンもいい迷惑だよな」

「迷惑だなんて」

「まあ、いいや。俺はそろそろ行かなきゃならない。手を抜かずにちゃんと修行するんだぞ」

「はい」

 歩きだそうとしたアイザックが振り向いた。

「ジン王女もライアンの修行に付き合っているんだって」

「ええ。やられてばっかりですけど」

「はは。そりゃあいい。俺がいなくても大丈夫そうだな、うん」

 背中で手を振るアイザックを見送ると、負荷をかけた厳しい修行が始まった。

 おもりを付けた両手と片足を上げてしゃがむと、その体勢を維持するだけで上げている腕と太ももがプルプルと震えてくる。歯を食いしばってゆっくりと一回転すると、休まずに足を入れ替えて逆方向にもう一回転する。

 堪えていた息を吐きだして大の字に倒れると、冷たい空気に向かって全身から湯気が吸い込まれていった。

 いつの間にか傍らに来ていたイゲルとマイトラが、腕に結んである重りを持ち上げて、「重てぇー」とか、「無理だよライアン」などと言っている。

 その声を無視してよろよろと立ち上がり、また最初から基礎運動を始める。

 次の日、鉛のように重い体を動かすと激しい筋肉痛が襲ってきたけど、ライアンは修行をやめなかった。

 半ば自暴自棄になりかけているのかもしれない。

 ゴダール島にやってきて一ヶ月余り。

「ライアンの中にあるザレの力を引き出したい」

 その言葉どおり、ジン王女は、毎日のように午後になると護衛のカイラと一緒にやって来てライアンと手合わせしてくれている。


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