つかみかけた敵
立ち上がったグラントリーは、木々の間を男の方へ向かって歩きながら、かざした手袋に、ふうっ、と息を吹きかけた。すると、グラントリーの指先から青白く光る旋鋼爪が、しゅるしゅると回転しながら伸びはじめ、た。
距離が詰まり、相手の顔が分かるほどに近づくと、逞しい体には不釣り合いな童顔をしたナイが、禿げ頭をピシッと平手でたたいて大刀を構えた。
グラントリーがさらに距離を詰める。
走りながらグラントリーが両手を突き出すと、指の先で渦を巻いていた旋鋼爪が、意志を持った生き物のように恐ろしい速さでナイに向かっていった。
腰を落としたナイは脇に引いた大刀で目前に迫った旋鋼爪を逆袈裟に振り上げる。が、刀で払っても旋鋼爪は断ち切れず、そのまま刀に纏わりついていく。さらにそこから伸びた数本が、ナイの手や足、首に巻き付いて体の動きを封じていく。手や足を動かそうと力を入れるが、かえって旋鋼爪がきつく絡みついていく。
「この旋鋼爪からは逃れられん。おとなしく降参しろ」
ナイは顔を上げてグラントリーを睨むと、ふん、と嘲笑した。
「面白い術だが、殺傷力は無い。戦闘向きではないようだな」
「殺さぬようにしているだけだ。首をしめれば簡単にあの世に送ってやるぞ」
グラントリーが指の形を変えるとナイの首に巻きついた旋鋼爪が徐々に肌にめり込んでいき、ナイの口から「がふっ」という声が漏れ、次第に顔が紅潮していく。
「抵抗するな。ゆっくりと跪くんだ」
そう言うグラントリーの額から、大粒の汗が幾筋も滴り落ちた。
旋鋼爪はグラントリーの体力を激しく消耗させる。それ故、長い時間使い続けることはできない。
ここまでの移動にも旋鋼爪を使っていたから、こうして綱引きをしていられるのも後数分といったところか。懐にある本物の縄でナイを縛りあげることができなければ、形勢は逆転してしまうかもしれない。
『戦闘向きではない』、と言ったナイの言葉は、あながち的外れなものではなかったのである。
がつん、とグラントリーの手が前に引っ張られた。
前を向くと、首と両手両足に旋鋼爪が巻き付いたナイが、顔を真っ赤にしながらその旋鋼爪を力ずくで引き寄せようとしているのが見えた。
「なんて馬鹿力だ」
あの男の膂力も並外れているが、俺も体力を削られて旋鋼爪の威力が相当落ちている。
歯を食いしばって耐えるが、ナイが一歩下がるたびにグラントリーの身体ががくんと前に引きずり出されていく。ナイの後ろは岩場の端、崖の先端まで来てしまっていた。
このまま俺を道連れにして海に落ちるつもりか。くそっ、どうやって止めるか…。
そう考えた矢先、つむじ風がその役割を終えて空に掻き消えていくように、グラントリーの旋鋼爪がしゅるしゅるという音だけを残して消え去っていった。
「あ」
二人が同時に声をあげた。
ふいに繋いでいた手を離されたような形になったナイは、後ろに数歩蹈鞴を踏み、ぽかんと口を開けたまま崖の上から姿を消した。
グラントリーは急いで駆け寄って崖の下を覗いてみたが、夕闇が濃くなった遥か下の岩場には、繰り返し押し寄せる荒波が岩に打ちつける轟音が響くだけで、落ちていったナイの姿は見つけることはできなかった。
「という次第です」
三日後、グラントリーの姿はバーラの行政庁の一室にあった。
ミテルスの指示を受けてバーラに戻り、ミテルス、リュート、スラック、ジェシカの四人が集まった部屋で、ルナデアの者と思われる男と遭遇した顛末を報告したのだった。
話を聞き終えたミテルスが、「それで」と目を向ける。
「その男が死んだかどうかは分からんということだな」
「はい。朝になって明るくなるまで待ってから崖下に降りて探してみたんですが、死体も、何かの痕跡も、何も見つけることはできませんでした」
「あの辺りは潮の流れが速く、しかも海が急に深くなっていますからね。海に落ちたのならば、助からずに海の深いところに引きずり込まれて死体も出てこんでしょう」
腕組みをしてそう言うリュートを見て、グラントリーは軽く頭を下げた。
「すみません。貴重な情報源を捕らえ損ねました」
「何を謝る必要がある。君はよくやってくれたよ」
一つ間をおいて、グラントリーはミテルスに顔を向けた。
「ところで。ライアンが生きていたんですね」
「ああ、聞いたか」
「ジェシカから手紙を見せてもらいました。ルナデアの民がアレフォス島を襲い、ザレを奪ったのは確実のようですが、どうなさるおつもりですか」
「そのことを話そうと思って皆に集まってもらったのだ」
テーブルを囲む面々をゆっくりと見回して、ミテルスは軽く微笑んだ。
「ここにいる者にキース庁官とルーベン院長を加えたら現在のロクトの教官職以上の者になるのだが、それぞれ重要な役職にある二人はこの場には呼んでいない。ここに集まってもらった皆で、今後のことを話し合いたいと思っている」
キースは行政庁の庁官、ルーベンは修学院の院長で、襲撃事件の当日はバーラにいて難を逃れていた。
「島は今、未曽有の困難に直面している。十年、いや、もっとかかるかもしれない島の復興が我々の最優先事項であることは明白だ。だがその復興も、平和が維持されてこその復興だ」
そこで言葉を区切ったミテルスは、すっ、と目を閉じた。
「我々はルナデアの者にザレを奪われた。彼らが次の標的に向かっているとして、我らがザレを取り戻すことをあきらめれば、それでもうアレフォス島とは関係の無い話になるだろうか。私はそうはならないと思うのだ。この世界にあと三つあるという光石を、やつらは手に入れようとしている。五つの光石を手に入れる、その目的は何か。おそらくそれは、この世界を支配することだろう」
誰かが、ごくり、とつばを呑みこむ音が部屋に響いた。
「せっかく島の復興を進めても、ルナデアの民が支配する世界になった後では、成し遂げた復興も意味をなさなくなる可能性が高いと私は思う」
「ルナデアの民が支配する世界。いったい、どんなものになるんでしょう」
隣にいたジェシカの問いかけに頷いたミテルスは、椅子に深く座り直した。
「分からない。だが、我々が千年かけて築き上げた世界とはまるで違うものになるだろう」
「まるで違うとは、…俺にはちょっと、想像ができない」
「いや、リュート。想像してみるんだ。アレフォス島はロクトが島を統治してきた。ロクトに仕えるエグサが様々な事柄を定め、島民を導いてきた。ロクトは島を統治してきたが、支配はしていない。支配される。それも絶大な力を背景に支配されるということは、自由が完全に無くなる、ということだ」
皆がそれぞれの想いの中に佇み、重く静かな時間が部屋の中に流れた。
その沈黙を破ったのは、それまで黙っていたスラックだった。
「ミテルス導師の声を聴いていると、もうすでに決意は固まっているようですね。あとは我々がどう考えるか、です。私は、ザレを、ミロイを取り戻し、彼らの野望を阻止すべく行動を起こすべきだと思います」
「私もスラック教官の意見に賛成です。ミテルス導師は島に残って復興を指揮してもらい、我々四人はゴダールに行って、ライアンとともに敵と戦いましょう」
ジェシカの言葉にリュートが大きく頷いた。
「グラントリー。お前はどう思う」
組んだ足の上に両手を置き、テーブルの一点を見つめたまま一人黙っていたグラントリーは、ミテルスに水を向けられてゆっくりと顔を上げた。




