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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
ゴダール諸島
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グラントリー律師

 ミテルスとリュートがグラントリーの話をしていた、ちょうどその頃。

 グラントリーはスーザの港町から北東にある山あいを目指してマナフを走らせていた。

 先を急ぐグラントリーの耳に、今しがた聞いた男の話が蘇ってきた。

 スーザで八百屋を営むその男は、「知り合いのキノコ農家に見知らぬ男がいた」と、グラントリーたちに通報してきたのだ。

 山の中の谷地で良質のキノコを栽培している爺さんは、孫娘と二人きりで暮らしている。一週間ほど前、八百屋が今年のキノコの生育状況を聞くために爺さんの家を訪ねたときに、丸坊主で分厚い胸板と太い二の腕を露わにした見知らぬ男が家の前に立っている姿が目に付いた。

「見かけない顔だねぇ、あの人は誰だい」

 と爺さんに訊くと、

「オグロー川の鉄砲水に流されて河原で倒れたまま気を失っているところを、たまたま通りかかった孫が見つけて、二人で家に運んで介抱したんだ」

 と答えたという。

 ナイという名のその男は、ルマン島の材木を扱う商人で、アレフォス島には買い付けのために来ていて運悪く災害に遭ってしまったらしい、と爺さんは言っていた。足を怪我しているようで、男は左足を少し引きずっているように八百屋には見えたそうである。

 似たような話がスーザに来てから三件あったが、調べてみるとどれも身元が確認できたので、今回も同じ結果だろうとは思いながらグラントリーはマナフの背に揺られていたのだった。

 ミテルス導師からルナデアの残党狩りを命じられてからバーラの町を徹底的に調べたが、怪しい者が出入りしていたとの情報があった骨董屋にすでに人影はなく、証拠となりそうな物も何ひとつ残されていなかった。場所をスーザに移して捜索を続けても目立った成果はなく、今日は行動を共にしている他の二人のエグサには休みを取らせている。

 オグロー川の小屋のように、もしかしたらアレフォス島の深い森のどこかに敵の拠点が隠れている可能性もあるが、たった三人で島中を虱潰(しらみつぶ)しに調べるのは不可能だ。戦闘や山崩れに巻き込まれずに生き残った敵は、すでに島外に出ているとみていいのではないだろうか。

 キノコ農家の見知らぬ男が不発に終わったら、ミテルス導師に捜査の打ち切りを進言してみよう、とグラントリーは考えていた。


 グラントリーは人一倍、身だしなみに気を使っている男である。

 綺麗に後ろに撫でつけられた前髪から一筋の髪が垂れているのに気づき、指でつまんで丁寧に元に戻すと、八百屋が言っていたキノコ農家と(おぼ)しき家が見えてきた。板を張り合わせただけの粗末な家である。

 昼にはまだ間がある時刻だというのに、木々に囲まれた谷は薄暗い。

 少し手前でマナフを降りたグラントリーは手頃な枝に手綱を結び付けると、様子を伺いながらゆっくりと家に近づいて行った。

 グラントリーが戸を叩こうと手を伸ばしたそのとき、ふいに扉が開いて若い娘が表に出てきた。目の前に人がいたことに驚いた娘は、「あっ」と言って後ずさり、グラントリーの足元から顔へ舐めるように視線を動かすと、急いで扉を閉めようとした。

 すかさずグラントリーが扉の隙間に足先を挟み込む。家の中で人が動く気配がした。

「逃げてー」

 娘が叫びながらグラントリーにしがみついてきた。同時に家の奥で大きな物音がする。

「ちょっとお前、何をやっているんだ」

 娘を引きはがそうとするが、抱きつく娘はなかなか離れない。

「いい加減にしろ」

 足を掴んでいる手を引き千切るようにして荒っぽく娘を突き飛ばすと、軽く舌打ちして、グラントリーは家の裏手へ回って行った。用心しながらゆっくりと辺りを見回す。人影は無かったが、下草が新しく踏みつけられているところがあり、それは森の奥に向かって点々と続いていた。農家の家から飛び出していった者が付けていった跡とみて間違いないだろう。

 グラントリーは乱れてしまった髪を直しながら考えた。

 八百屋の言っていたことは、どうやら正しかったようだ。娘が私のことを見て、「逃げて」と叫んだのは、私の装束を見てエグサだと分かったからだろう。娘が残党狩りのことを知っていたとすれば、エグサから逃がした者は当然ルナデアの者ということになる。休みを与えたあいつらを呼んでいる暇はない。やはり、私独りで追うしかないが、さてどうしたものか。

「エグサの御方。あの人を見逃してやってください」

 振り返ると、グラントリーにしがみついてきた娘が(こうべ)を垂れ、後ろで娘の手を引く老爺が、「よさないか、メノウ」と言っている。

「娘。お前は、何を言っているのか分かっているのか。やつらは一の院や奥の院を襲い、ザレを奪った。やつらのせいで島民の多くが犠牲になったんだぞ。その敵を逃がせ、とお前は本気で言っているのか」

「あの人が敵の一味なのは分かっています。でもやったのは、仲間の人かもしれません。あの人は悪い人じゃありません。鉄砲水に巻き込まれて、足を大怪我しているんです。自分たちがやったことで怪我するなんて、おかしいじゃありませんか」

 老爺が娘を庇うように前に出て、「申し訳ありません」と言いながらグラントリーに一礼した。

「あの男を家まで運び、気がつくとメノウを盾に取ってマナフを用意しろと脅されました。どこかに逃げるつもりだったんでしょうが、足の傷が深くてすぐに気を失ってしまいました。この子も怖い思いをしただろうに、足の傷が化膿して生死の境をさまよっていた男を親身になって看病していました。そのときは、あの男とその仲間がこの島を襲ったやつらだとは思いもしませんでしたから」

 老爺は「それに」と言って、孫娘を振り返った。

「三年前に、この子の父親は病気で亡くなりましてね。きっと、父親を看病しているような気になっていたのかもしれません」

「事情は分かった。が、敵を(かくま)っていたとなれば、それなりの罰は受けてもらわなければならないだろう。この件は上に報告させてもらう」

 何か言いかけた娘を老爺が手で制し、二人は深々と頭を下げて家に戻っていった。

 グラントリーはつけていた手袋を外し、ポケットから洗いたての手袋を取りだして指に通していく。頭のなかを整理するときの彼の癖だった。

 逃げた男は足を怪我している。八百屋が見た時にも足を引きずっていたというから、今も完治はしていないのだろう。下草を踏み荒らして逃げた後が分かるような真似をしたのも、足を怪我しているからだと考えれば納得がいく。とすれば、まだ遠くには行っていない可能性が高い。

 しかし。

 そもそも動けるようになってもまだ、この家に潜伏していたのはなぜだろうか。私が敵ならば、最初のときのように老爺にマナフを調達させ、島の中にいる仲間のもとへ逃げることを第一に考えるはずだ。

 その男にも同じ年頃の娘がいて、献身的に尽くしてくれるあの娘に(ほだ)されたとでもいうのか。

 いやいや…。

 逃げる場所がないのだ。

 すでに仲間はアジトを撤収して、この島を後にしている。男に残されている道は、捜査の目をかいくぐって足の傷を癒し、できればどこかで船を奪って島を脱出すること。これしかないだろう。

 ぶるぶるっ、と、グラントリーは首を振った。

 いかん、いかん。

『そうやって、あれこれ考えて、いつも後手に回ってしまう。それがお前の悪い所だ』と、ミテルス導師にも言われたではないか。

『もっとも、そこがお前の長所でもあるのだがな』と、フォローを忘れないのも、お優しいミテルス導師の魅力だ。

 敵が逃げた跡がある。あとは、それを追って捕まえるだけなのだ。余計なことを考えるな。

 ちらっと空を仰ぐと、グラントリーは森の中に分け入っていった。


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