引きだす力
ライアンとジン王女の、一瞬の攻防を見ていたイゲルたちから、「おおぉ」という声が漏れた。
ライアンって意外にやるじゃないか、なのか、ジン王女が外すなんて今日は調子が悪いのかな、なのか。いずれにしても、ライアンが相当低く見られているのは確かである。
ジン王女が、ふっと軽く息を吐き、姿勢を低くして再びライアンに向かって走り出した。
軸足に体重を乗せて腰を落としたライアンの目の前で、ジン王女は右に跳んだ。
着地した右足に力が入り、ふくらはぎから太ももに伝わって、腰が回転していく。
ジン王女の周りの空気が回転しはじめると、さっきと同じようにそのまま手が伸びてくるような気がしたライアンが思わず仰け反ると、ジン王女は出した右手で振り子のように反動をつけてその場でくるりと体を回転させ、遅れて回ってきた左足が、がら空きになったライアンの腹の真ん中をえぐるように蹴り飛ばした。
ライアンの体が、くの字に曲がった棒切れのように吹っ飛んでいく。
うわーっ、という歓声が沸き、「俺、ジン王女の回し蹴り、初めて見たぁ」とイゲルが興奮気味に言うのが聞こえてくると、ジン王女は頭に手をやって、「あー、やっちゃった」と呟いた。
「ごめんなさい。寸止め気味に、軽く蹴るつもりだったんだけど」
そう言って倒れているライアンに近づいていきながら、ジン王女は釈然としない違和感を感じていた。
初手をライアンに上手く躱されて、つい、むきになって回し蹴りを使ってしまった。でも、私の蹴りは、確実にヒットしたはず。なのに、蹴り上げた左足の感触はとても軽いものだった。仰け反りながら、次に回し蹴りが来るのを察知して、自分から後ろに跳んで私の蹴りの威力を減らしたとでもいうのかしら…。だとしたら、彼の動体視力と判断力は、すでにかなりの上級者レベルだ。
確かめてみるか…。
顔を歪めてお腹を押さえるライアンの手を取って、「大丈夫」とジン王女は問いかけた。
「だ、大丈夫です」
無意識に体が反応して、咄嗟に後ろに跳んでジン王女の蹴りを軽減していたことを全く自覚していないライアンは、ジン王女の強さに改めて舌を巻いていた。
スピードと技の切れ、どれも一枚も二枚も上手だ。
だけど、パラレの基本動作をやり続けていた成果か、アイザックの言っていた、体を流れる息や血液、取り巻く空気の変化が少し分かってきたような気がする。
せっかく実戦形式の練習ができるんだ。本気でぶつかっていこう。
「まだ、あと二本ありますよね」
「え、うん」
「じゃあ、お願いします」
立ち上がったライアンの目を見たジン王女は、軽く頷いて、後ずさっていった。
二人が距離を取ったことを確認して、カイラが「二本目、始め」と大きな声で号令すると、走り出したのはライアンの方だった。
一直線に猛然と突っ込んでくるライアンを見て、ジン王女が腰を低くして身構える。
速く、速く動け、俺の体。
走りながらそう念じると、ライアンの左手が、ふっ、と琥珀色に淡く輝いた。
すると、ライアンの体は瞬間移動したかのようにジン王女の目前に迫り、ライアンはそのまま大きく踏み込んで、地面すれすれまで体勢を低くした。
向かってきていたライアンの姿が一瞬の間に視界から消えたことに驚いたジン王女は、反射的に宙返りをして距離を取ろうと、軸足に力を入れて目いっぱい踏み込んだ。
跳び上がろうとするライアンと、宙返りをしようとするジン王女が交錯する。
伸びきった体勢のライアンのあごに、ジン王女の蹴り上げた左足の膝が見事に命中した。蹴り上げられたライアンは直立した姿勢のまま、信じられないくらいの高さまで飛び上がり、やがて木の葉が舞い落ちるようにひらひらと揺れながらゆっくりと地面に落ちてきた。
宙返りして着地したジン王女は、身構えたまま、空から落ちてきたライアンのもとにイゲルたちが駆け寄っていく姿を見て、はっ、と我に返った。
何かが膝に当たった気はしたけど、私がライアンを蹴り上げたってことなのかしら。それにしては、今度も、感触はとても軽いものだった。蹴り上げた感じは無かったと言っていい。だけど、ライアンは空高くから落ちてきた。いったい、何が起こったっていうの…。
「兄ちゃん、気絶してるけど、大丈夫だ。生きてる」
イゲルがジン王女にそう言って手を振ると、「勝負あり」というカイラの声が辺りに響き渡った。
話し声が聞こえてライアンが目を覚ますと、目の前にイゲルの顔があった。
「あ、兄ちゃん、起きたよ」
どうやら気を失ったまま、診療所の自分の部屋に誰かが運んで来てくれたらしい。記憶にあるのは、もう少しで伸ばした手がジン王女の顔に手が届くところまで。どうなったのかは分からないが、やはり、ジン王女に打ち負かされてしまったのだろう。
「ああ、気がついてよかった」
イゲルの横で顔を見せたジン王女はそう言うと、「シャルロを呼んできて」とイゲルに促した。
シャルロが来るのを待つ間、ジン王女から「気分は悪くないか」とか、「頭は痛くないか」などと訊かれたが、体を起こしてみても、特にどこも痛い所は無いように思えた。
「あの…」
ジン王女が、恐る恐る、といった感じでライアンの目を覗き込む。
「あのとき、あなた、急に動きが速くなったような気がしたんだけど、何をやったの」
そう言われても、ライアンには全く覚えがなかった。ただ、ジン王女が感じたことが本当だとしたら、考えられることは一つ。ザレの力が、一瞬にしろ、蘇ったのかもしれない。だけど、パラレの基本動作を練習しているときには意識的にザレのことを考えていたが、ジン王女と相対したときにはザレのことなどきれいさっぱりどこかに行ってしまっていたし、ザレの力を使ったような覚えもなかった。
そのことを話すと、「なるほど…」と言って、ジン王女はあごに人差し指を当てて何かを考えこんでいた。
「そんなに引っ張るなよ」
「シャルロ先生、連れてきたぜ」
イゲルに手を引かれて部屋に入ってきたシャルロは、憮然とした表情で長い前髪をかき上げると、視線が合ったジン王女に軽く頷いた。王女と場所を入れ替えると、シャルロはライアンの脈をとり、目を覗き込んで首のあたりをしきりに触った。
「うん、問題ない。軽い脳震盪だ。しばらく安静にしていたら、明日は普通に動いていい」
なんだ、ぼそぼそした話し方だけど、普通にしゃべれるんじゃないか。それとも、やはり王女様の前だと違うのかな。
初めてシャルロが人と普通に話すのを聞いたライアンは、よく見ると面差しがやはりグラックス先生に似ているな、と思った。シャルロはあごひげを生やしていなかったが、グラックス先生が上品なヨックなら、シャルロはあごひげの生えきらない若くてつんつんしたヨックに見えた。
「それより、…ジン王女。外に出て、よ、よろしかったんですか」
ジン王女が立ち上がったシャルロを見上げ、「ああ」と言った。
「ナブー女王の命で、安全のために外出禁止になった、と聞きましたが…」
「ええ。でも今日は、カイラを護衛兼お目付け役にしてもらうことで、なんとか外に出ることができたの。ひどいと思わない。いつまでかかるか分からないのに、若い娘を軟禁状態に置いておくなんて」
「それは、い、致し方ないかと。…もし、お暇なら、私が…」
シャルロの言葉を遮って、「それより」と言って、ジン王女はライアンの顔を覗き込んだ。
「私、しばらくライアンのパラレの修行の手伝いをしようと思っているの」
「姫様それは…」
「分かってるわ、カイラ。もちろん、カイラが同行できるときに限って、ということで、ちゃんとお母さまの了解を得るわ」
ジン王女はいったん目を伏せ、ゆっくりと顔を上げてライアンの目を見た。
「手合わせをしたあの時、一瞬だけど、ライアンはそのザレという光石の力を使えたと思うの。これからやってくる敵は、すでにゴブルとザレを手に入れているとういうじゃない。だとしたら、ライアンがザレの力を使えるようになることは、私たちにとっても大きな戦力になるはず。そして私なら、ライアンの中で眠っているザレの力を引き出せそうな気がするの」
熱く語るジン王女を、シャルロの目が冷ややかに見下ろしていた。




