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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
ゴダール諸島
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手合わせ

『これは訓練じゃない。相手の息の根を止める覚悟がないと、死ぬのは自分だ』

 と、アレフォス島が襲撃されたあの夜、クロウは静かにそう言ったんだ。

 スダジイからザレの力をもらった俺は、ミロイを追っていくなかで敵と遭遇した。

 隆々とした二の腕の筋肉に力を込め、見たこともない大きな刀を振り回していたその男は、明らかに実戦経験を積んだ強敵だった。あのときはミロイを救うことで頭がいっぱいで考えてもみなかったが、もう一度やり合ったら、俺は果たして勝てるだろうか。…いや、勝てないだろう。

 勝つ…。

 それは、相手を殺すことになるかもしれない。クロウの言うように、殺す覚悟がなければ、自分が殺されるのだ。

 島の人達を何人も殺した敵、ルナデアの者を、決して許すわけにはいかない。

 だけど、生身の人である敵を、自分は本当に殺すことができるだろうか。

 敵がこのゴダールに押し寄せ、アグーを奪いに来たら、双方に犠牲が出るだろう。

 目の前で拳を握っているイゲルが、本当に人と人が殺し合う場を目にするとしたら、それはとても悲しいことだと思った。

「人が大勢死ぬかもしれないんだ。お前はそんなことに加わらなくていい」

「でも、攻めてくるんだぜ。アレフォス島でも、人がいっぱい殺されたんだろ。何もしなくても、殺されちゃうかもしれないじゃないか」

「どこか、安全なところに隠れてろよ」

「なんだよ。兄ちゃんまで子ども扱いして」

 口をとがらせて立ち上がると、「また明日な」と言ってイゲルは帰って行った。その後姿を見送った後、自分の手を見つめたまま、ライアンはしばらくその場に座りつづけていた。


 次の日、小雪がちらつく肌寒い空気が肌を刺すような朝、ライアンがいつもの場所に行くと、イゲルがマイトラという少年と二人で先に体を動かしていた。

 マイトラはライアンがジン王女にぶたれた日にイゲルと一緒にいた少年で、ヴァンタレーの町で宿屋を営む家の一人息子である。マイトラの宿屋は海軍や王宮警護の兵士に応募してきた他の島の人の仮宿舎に充てられ、人がいっぱいで身の置き所のないマイトラをイゲルが誘って連れてきたのだそうだ。マイトラはイゲルよりも頭一つ分小さいが、細面の賢そうな顔つきをした子で、どことなくミロイに似ているな、とライアンは思った。

 ジン王女やシャルロとともに、ここでパラレの練習をしていた子どもはイゲルとマイトラのほかに四人いたのだが、いつルナデアの民が襲来してくるかもしれないと、親から外に出ないように言われているので来れなくなってしまった、とマイトラが教えてくれた。

「ジン王女も、外に出られないのかなぁ」

 イゲルの問いかけに、マイトラは少し呆れた顔をしながら、「それはそうだよ」と言った。

「王女様に、もし何かあったら大変じゃないか」

「でも、ジン王女は強いぜ。ブリンガに出たら、優勝間違いなしだよ」

「来年のブリンガは、インシュル島のプスカさんがダグ・ブリンガになるだろう、って町の人は言ってるよ。今年の大会は全試合で圧勝したからね」

「それは、ジン王女が出てなかったからだよ」

 二人のやり取りを聞きながら、ライアンは体を動かしはじめた。答えの出ない言い争いはまだ続いていたが、二人とも体を動かすことは止めず、しかも動きは滑らかである。

 パラレの基本動作は、体重の軽い子どもの方が有利なのではないか、などと考えていると、後ろから、「ねえ」、と女の声がした。

 振り返ると、ジン王女が白い息を吐きながら立っていた。王女の後ろには、背が高くて手足の長い女が控えている。

「ジン王女だ」

 イゲルとマイトラが嬉しそうにジン王女の所へ駆け寄っていくと、後ろに控えていた長身の女がすっと前に出て、二人を無表情に見下ろした。

「いいのよ、カイラ」

 ジン王女はカイラを下がらせ、二人の子どもの頭を撫でながらライアンに視線を向けた。

「あなたが、ライアンね」

 ジン王女の吐く息が、きらきらと宙に舞っていった。

「そうです」

「後から、聞きました。あなたがアレフォス島でどんな経験をしたのか。そして、これからやってくるかもしれないルナデアという民を相手に、我らと一緒に戦ってくれると」

 ジン王女は歩み寄り、しゃがんでいるライアンと目線を合わせるように腰をかがめた。

「ごめんなさい。そもそも、あなたが大事にしている刀で、イゲルがふざけて遊んだことが原因だってことを知らずにぶってしまって…、痛かったでしょ」

 はい、と言うべきか、いいえ、と言うべきか迷っていたが、出てきた言葉は、「別に」、というぶっきらぼうな返事だった。

「あらぁ。私、結構、思いっきりひっぱたいたのよ」

「俺、鍛えてますから」

 ジン王女は眉毛を、ぴくっ、と上げ、「あら、そう」と言って立ち上がった。

「少し見させてもらったけど、あなた、パラレの基本動作は、もうかなりできていたわ。アレフォス島での修練で培ったものもあるから、飲み込みも早いのかもしれないわね」

 いきなり褒められると思っていなかったライアンは、少し面喰いながらジン王女を見上げた。

「では、私と手合わせしなさい」

「姫様、それはいけません」

 カイラが歩み寄ってジン王女を諫めた。

「せっかく久しぶりに外に出たんだもの。少しくらい、体を動かしてもいいでしょ、カイラ」

「ですが、ジン様が、もし怪我でもされたら、私が咎められます」

「大丈夫よ。パラレを教えてくれたカイラなら、私の実力は知っているでしょ」

「それはそうですけど…」

「もちろん、ほんの手合わせよ。それに私、アレフォス島という知らない島で、終生、鍛錬を重ねる定めだと聞いたエグサというものの実力を見てみたいの」

「聞いたところでは、彼はエグサになりたての、まだ子どものようですよ」

「それでも、エグサには違いないでしょ」

 そう言うと、ジン王女はライアンに向き直った。

「基本動作の次は実戦あるのみ、というのがパラレなの。私が今のあなたの力量を見てあげるわ」

 ライアンは少し間を置くと、頭をかきながら、「でも」と言った。

「アイザックさんは、基本動作ができたら次の宿題を出すって言ってましたけど、いきなり手合わせしてもいいんですか」

「それは基本動作の負荷を上げていくってことね。基本動作と実戦形式の組手は並行して行うものなの」

 王女様の命令だ。断るわけにはいかない。

 それに、基本動作を毎日くり返すことに、少々飽きてしまっていたというのが正直なところだった。

「わかりました」

 ライアンとジン王女が適当な距離を取って向かい合うと、イゲルが「ジン王女」と呼びかけた。

「兄ちゃんは初心者だから、ちょっと手加減してあげてよ」

「もちろん」

 ジン王女は優しく微笑んだ。

「手合わせといっても、どちらかが相手に触れば勝ち、ということにしましょう」

 なにか馬鹿にされたようで少し腹が立ったが、イゲルたちがしていた会話からすると、ジン王女は相当強いのだろう。異論をはさむ余地はない。

 王女を心配していたカイラが真ん中に立ち、「では三本勝負です」と言った。どうやら彼女が審判をしてくれるらしい。なんだかんだ言いつつ、この手合わせを楽しんでいるようにも見える。

「始め」

 カイラの号令で、二人は片足を上げ、手を胸の前で合わせた。

 相対すると、ジン王女の印象はがらりと変わった。真っすぐにライアンを捉える眼は鋭く、一歩踏み出せば敏捷な身のこなしで、あっという間に詰め寄ってくるような気がする。

「どうしたの。来ないのなら、こっちから行くわよ」

 言い終わらないうちに、ジン王女が猛然と駆けだした。

 このまま正面から来るのか、と身構えるライアンの手前で、ジン王女は左足で地面を蹴って右に大きく跳んだ。

 後ろに回り込むつもりか。

 と思った瞬間、違う、とライアンは感じた。

 地に着いたジン王女の右足。ふくらはぎから太ももに向かって徐々に力が伝わり、伏せた上半身を起こすように背筋が盛り上がっていくと、それと同時に体の向きを変えるために腰の筋肉が縮んでいく。見えないはずの光景が、ひどくゆっくりとした映像となってライアンの眼に映し出されたように思えた。

 ジン王女の(まと)っている空気が体の動きに合わせて動きはじめると、彼女の手がそのまま伸びてくるような気がして、ライアンは反射的に仰け反った。

 伸ばした手が空を切ったことに少し驚いた顔をしたジン王女は、すぐに後ろに跳んで距離を取った。後ろ手をついて反転したライアンも、体勢を入れ替えて後ろに跳んでいる。


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