体の奥に眠るもの
「千年前、という言葉には、昔々、というほどの意味しかないかもしれない。なにせ、記録も何も無い時代だからな。だが、千年前の同じ時期、何らかの方法で光石を手にし、その光石の力を扱うことのできる者たちが五つの島に散らばっていった、ということがあったのなら、実に興味深いことだな、ポト」
それまで黙っていたピガンダが、軽く咳払いをした。
「陛下の話を聞き、さらにオズマン様の考察を聞いて、私の懸念は確実になりました」
「なんだ、懸念というのは」
ナブー女王に問われたピガンダが、女王を真っ直ぐに見返した。
「先ほども申し上げましたが、敵はアグーを奪うとともに、それを扱える者も必要とするはず。敵が何らかの方法で光石を扱う術をすでに手に入れていれば話は別ですが、そうでなければ、一番手っ取り早い方法は、陛下か、あるいはジン王女をアグーと一緒に連れ去る可能性が高いと言えます。これは、オズマン様もおそらく同意見かと」
オズマンは目を閉じ、ゆっくりと深く頷いた。
「確かにな」
頬杖をつきながら、ナブー女王はそう言った。
「しかし、敵はゴブルとザレ、二つの光石を持っておるのだろう。その力に対抗するには、私がアグーの力を使わねばなるまい」
「危険すぎます」
「ピガンダ。ゴダールの民が死力を尽くしている裏で、こそこそ隠れていられるものか。国の支柱であるアグーが奪われるのをただ指をくわえて見ているだけならば、私は何のための王か。歴代の女王たちにも顔向けできん」
ナブー女王の勢いに、ピガンダも口を噤むしかなかった。
「ジン王女はどうだったのですかな、その、なんだ、アグーを扱う資質があるかどうかを見極める儀式というのをやったのでしょう、王宮に入る際に」
「ジンは生まれたばかりの頃にやったわよ」
即座に答えたナブー女王に、オズマンは怪訝そうな顔を向けた。
「その儀式というのは五歳の時にやるもの、と言っておられたと思うが。実の子のハンナ王女もいたのに、我が子でもない、妹の娘の儀式を、生まれたばかりでやったのかい」
「それは、あれよ。念のためということで、急いでやったのよ。ほら、私ったら、せっかちだから」
ナブー女王が、慌てているような、少しいらついているような微妙な表情をしている。
「まあいいや。それで、ジン王女には何かあったのかい」
「何もでなかったのよ、ジンには」
「痣も何も」
「そう」
「それは…、アグーと共鳴する力が、サラ女王並みに強いということか…」
ナブー女王がオズマンを見つめる。
「それを知っている者は」
「その儀式は女王である私と二人きりで行うものだから、知っている者は他には居ないはず」
「なるほど。だが、それで安心という訳にはいかんか。王女であれば、アグーを扱うことの資質をそれなりに備えていると、敵の誰もが考えるであろうしな」
大きく息を吐いて背もたれに寄りかかったオズマンは、「ところで」と言ってナブー女王を見た。
「アグーの資質を備えているかをみる、女王と二人だけの儀式。過去にはやはり、痣が広範囲に広がって、身体に変調をきたす、女王候補の娘もいたのかね」
「私の母は…、先代の女王は、『大きな痣が広がって、具合が悪くなった王女は過去に一人もいない』、と言っていた。私を怖がらせないように嘘を言ったのかもしれないが、おそらく、先代の女王も、その母の女王からそう聞いていただけなのだろうと思う。儀式が終わった後に、さっき皆に話した話を母が私に聞かせてくれて、わたしは恐ろしさでひと月はあまりよく眠れなくなってしまったわよ」
「ふーむ。サラ女王も、大きな重荷を残したものだ」
「これ、私の先祖を悪く言うものではない」
「これは失礼をいたしました」
三人はしばらく押し黙ったまま、それぞれの思考の中に沈んでいた。ナブー女王の顔には疲労の色が広がっている。
「とりあえず、ピガンダには王宮守備隊の構築と、ナブー女王とジン王女の警護を厳重にすることをやってもらうしかないな」
「了解しました、オズマン様」
「オズマン。お前の先祖のオリバーだが、ルナデアについて何かもっと情報を書き記していないか、少し調べてみてくれ」
「承知しました」
オズマンとポト、ピガンダが立ち上がって部屋を出ていくと、ナブー女王は窓の外に目を移し、雲の影に身を隠しながらもその輝きで存在を誇示する月の在り様を、しばらく眺めていた。
翌朝、ベリー診療所の二階の角部屋で目が覚めたライアンは、白い石と木の柱や梁を組み合わせた造りの部屋を見回して、ここがどこか思い出すまでに少し時間がかかった。
久しぶりに揺れないベッドに寝ることができたからか、グラックスの施術と薬が効いたのか、ぐっすりと眠ることができた体はとてもすっきりしている。左手の痣の大きさは変わらないが、鈍い痛みも軽くなっているように感じた。
体を起こすとベッドの端に腰かけ、窓の外を眺めた。窓に嵌められたガラスがうっすらと曇っているのは、外の空気の清々しい冷たさに触れているからだろう。
細長い雲が朝日を受けて桃色に染まり、木立の隙間から海に張りだした岬の手前を、朝の漁に行くのだろうか、二艘の船がゆったりと並走して沖に向かっているのが見える。ゴダール島のいつもの朝が、いつもと変わらず訪れているように見えた。
前髪をくるくると巻きつけていた指を解き、ライアンは目を閉じると、大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。
あの日を境に、何もかも変わってしまった。
思えば、目的も、目標も、やる気もなく、日々の喜怒哀楽のままに生きてきた自分は、なんと子どもだったのだろうか。
ロクト修学院に入り、ミロイやクロウと同じ、『微笑の悪魔』こと盲目のスラック先生の組に配属されたライアンは、わずか三月でスラック組を追い出された。
エグサになる気など、さらさら無かったライアンは何をするにしても身が入っていなかったのだが、悪魔と恐れられるスラック先生は怖かったので、早朝の下院の掃除と講堂の雑巾がけ、昼間の講義と武術指導、夕方は一の院の清掃など、どれも自分なりに真面目にやってきたつもりだった。
ある日のこと。スラック先生に呼び出されたライアンは、先生の白濁した眼でじっと真っ直ぐに見つめられて、さて何をやらかしたのだろうか、と内心びくびくしていた。
『ライアン。君の体の奥に、計り知れない熱量を持った芯があるのを感じます。ですがそれは、今は眠っています。それを起こした方がいいのかどうか、私には分かりません。だが、私が君を指導していくと、それを起こしてしまいそうな気がします。いや、私は起こさずにはいられなくなってしまうでしょう。なので、君は私の組とは違う組に移った方がいいと考えます。どうか理解してください』
柔和な眼差しだが、凛とした声音でそう言うと、スラック先生はライアンの頭を優しく撫でた。
あのときは、能力の低い自分のことが先生は嫌いなのだろう、自分を傷つけないように柔らかい物言いをしてくれただけだと思っていた。
だけど、今はスラック先生は本当にそう感じたのではないかと思っている。
体の奥深くに、なにか、熱い塊があるのを感じる。
スラック先生の言っていたように、身体の奥深くにある熱量を持った芯が眠りから目を覚ましたのだと思わずにはいられない。
ライアンはベッドわきの机の上に置かれた拝領小刀を手に取り、柄に結ばれた緋色の縛り紐を愛しむように触れた。コバックが手ずから編んでくれた紐は、付いた泥が乾いて少し色褪せてしまっている。
コバックを殺し、ミロイを奪っていった奴らを絶対に許しはしない。敵を倒し、ミロイを助けてアレフォス島に帰り、一からやり直すんだ。
そのためには、スダジイがくれたザレの力を何としても取り戻さなければならない。敵がこのゴダールにやって来るまでに、一日でも早く、あの力を使いこなせるようにしなければ。
拒絶しているザレの力に順応する体を作る、というグラックス先生の言葉を、今は信じるしかない。




