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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
ゴダール諸島
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王宮

 オズマン・ブリューワが所有しているズミーヤ号が停泊した港から、グラックスの診療所とは反対の東に向かって石で舗装された道を登っていくと、白い石組みの家が道の両側に立ち並ぶ町に出る。

 ヴァンタレーという小さな町だ。

 サンヤット王家が直轄するゴダール島の大部分は、王家所有の神聖な領域とされていて人々が勝手に入ることは禁じられており、千人ほどの島民のほとんどはヴァンタレーというこの小さな町に住んでいる。建物の多くは王宮に関係する仕事に携わる者の住居だが、近海で獲れた魚を売る店、アレフォス島の穀物やルマン島の貴金属を扱う店や宿屋の看板が並び、海鮮料理の香ばしい匂いを漂わせている飲食店もあった。

 ヴァンタレーの町を抜けると、山の斜面に広がる広大な果樹園が見えてくる。ゴダール島の特産物であるガボアという柑橘類の畑である。

 そそり立つ白い岩肌ばかりが目立つゴダール島は、耕作に適した土地が少ないうえに塩分を含む痩せた土壌が多い。ところがこのガボアという植物は、穀物の育ちにくい土にしっかりと根を張り、厳しい冬の寒さや積雪にもよく耐えて、夏に橙色の小さな実をつける逞しい果実だ。

 酸味が強いガボアだが、栄養価が高く、魚やエビのすり身を揚げた、ニャームというゴダールの伝統料理にもよく合う。実を発酵させて作る酒や種を搾って採る油のほか、燻した葉でお茶を飲むこともできる、ゴダールにとっては恵みの多い植物の一つである。ゴダール島の人々は、何世代にも渡って自生していたガボアの実から苗を作って岩山の斜面に植樹しつづけ、白い岩山だけだった島の色彩に、ガボアの葉の濃い緑色が帯のように広がる美しい景観も作りだしたのだった。

 果樹園を過ぎ、大きな水路に架けられたアーチ形の美しい石橋を渡ってしばらく進むと、目の前に石で造られた高い城壁が現われる。

 卵形にくり抜かれた重厚な門をくぐって中に入ると、そこは石畳が敷き詰められたとても広い空間になっていて、はるか先の正面に見える、曲線が美しい不思議な建物がひと際目を引く。

 巨大な貝殻が口を開いたような構造物が左右対称に配置され、中央に空を衝くような高い塔が建つこの建物は、ゴダールの守護神である女神セリーンを祀る聖廟である。巨大な貝殻は後ろ側にも二つあり、塔の上に立って見下ろせば、大きな白い花びらが地上に開いているように見えるだろう。

 聖堂の両脇には石で丸く囲った大きな池があり、神の使いであるボッサム(クジラに似た大型の海洋生物)の巨大な彫像が池の中に横たわっている。池の石組みの一部は切り取られていて、そこから溢れだした水は石畳に格子状に設けられた溝を通り、心地よいせせらぎとなって広場の隅々にまで流れているのだった。

 広場の両側は、王家の親族や名家、高官たちの屋敷である石造りの立派な建物が、遥か先の聖堂の方までびっしりと立ち並んでいる。王家に連なる家柄である、ベリー家、ブリューワ家、ドラン家も、この街区の中に自分の屋敷を持っていた。


 オズマンとポトはライアンたちを見送った後、城壁内の街区にあるブリューワ家の屋敷に入り、下男を遣って王宮に登城の可否を尋ねさせている間に、蒸し風呂にゆっくりと入って旅の垢を落とした。

 夜になって帰ってきた下男が、直ちに登城せよ、という王宮からの知らせを持ってきたとき、オズマンは二本目のあごひげを三つ編みに編んでいる最中だった。

 正装である丈の長い貫胴衣を急いで身につけ、二人は灯りを手に屋敷を出て聖堂に向かった。

 月の光が広場の石畳を青白く照らし、灯りを持たなくても歩けるくらいに外は明るかった。

 セリーンの聖廟の正面入り口から中に入ると、天井の高い円形の広間が広がり、中心には三叉の矛を大地に突き立てて顔を上げ、彼方を見つめるセリーンの彫像が立っている。彫像の台座から湧き出た水が広間に放射線状に掘られた溝を流れ、目線をあげると神話ボッサム退治の各場面が彫刻された見事なレリーフが壁面にぐるりと飾られているのが見てとれる。

 オズマンたちは彫像の前で右(こぶし)を胸に当てて(ひざまず)いた。

 女神に祈りを捧げた後、急ぎ足で広間を横切り、二人は正面入り口とは反対側にある出入り口の扉に向かった。

 外に出ると、景色ががらりと変わる。

 広場からは見えないが、聖堂のすぐ傍まで崖になっていて、その先には月明かりに照らされた水面がキラキラと輝く、広い湖が目の前に広がっていた。

 湖には王宮まで続く一本の真っすぐな石橋が架けられている。

 橋の先に見える王宮は、背後に迫った白い岩山に寄り添うように建つ小さな建物だが、八本の円柱に支えられた横長の門が湖にせり出しているのが印象的で、まるで王宮が湖に浮かんでいるように見える。

 もともと王宮と聖堂の間には小さな川が流れていたのだが、大昔、ここから東の峡谷で崖が崩れて川を塞ぎ、行き場を失った川の水が溜まりつづけてこの湖ができたのだそうである。川を堰き止めた天然の堤防を越えた水は幅の広い滝となって流れ落ち、蛇行しながらグラックスの診療所の近くを通って海まで流れている。

 湖の上を吹き抜ける冷たい風にさらされながら橋を渡りきると、オズマンは門の前に立っていた近衛隊士に来意を告げ、重量感のある木製の扉を開けてもらって王宮の中に入った。

 オズマンたちは前庭を通り抜け、館の入り口に立っていた隊士に案内されて控えの間に通された。

 これから呼び出しがあって女王への謁見の間に行くまで、しばらく時間がかかるだろうと思ったオズマンは、案内役の隊士に何か温かい飲み物を持ってきてくれと頼んだ。橋の上を渡っている間に吹いていた風で体が冷えたようで、思わずぶるっと身震いする。アレフォス島よりかなり北に位置するゴダールでは、そろそろ初雪が降る季節だ。

「大丈夫ですか」

「ああ、大丈夫だ」

 ポトに笑顔で答えたオズマンは、壁際の一段高くなったところに腰かけて、ぐるりと部屋を見渡した。

 さほど広くはない控えの間は、座ることのできる段差が壁に沿って設けられているだけの、椅子や机もない殺風景な部屋だった。

 だが、燭台の灯に照らされた白い壁をよく見てみると、植物の葉が生い茂る様子が壁全体に彫刻され、天井には花びらが幾重にも重なったような図相を透かし彫りにした石板が嵌められていて、繊細で格調高い装飾が施されているのが分かる。

 ドラン商会があるインシュル島の熟練の石工職人の手によるものか、などと考えながら壁を眺めていたオズマンの後ろで、バタンと大きな音を立てて扉が開いた。

「オズマン、久しぶりだな」

「へ、陛下」

 お茶が来る前に、ナブー女王が自ら控えの間に現れたのに驚いたオズマンは慌てて立ち上がった。ポトは目を伏せたまま、壁まで後ずさって跪いた。

 女王が身に纏う白地の貫胴衣は足元まで丈のある長いもので、胸元には蔓草の葉と大輪の花が金糸で刺繍されている。金色の長い髪にジン王女と同じ灰色の瞳をもつナブーは、最近になって目元のしわが増えたとはいえ、気品あふれる美しい女王であった。

「堅苦しい挨拶はよい。気ままな旅行に行っていたお前が、急に帰ってくるなり私に逢いたいというではないか。これは急がねばならぬと思ってな」

 軽口に乗ってこないオズマンの硬い表情を見て、ナブー女王も顔を引き締めた。

「何があった」

 女王に座るように勧め、隣に座ったオズマンはアレフォス島で起こったことを語りはじめた。

 徐々にナブー女王の眉間のしわが深くなっていく。


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