ダグ・ブリンガ
「僕には、僕の未来には、何が見えたんですか」
顔を上げたライアンがそう訊くと、笑顔だった顔を引き締めたグラックスが後ろ手を組んでゆっくりとライアンに近づいていった。
「私には二つの未来が見えたよ」
「二つ」
「そう…。一つは、ちゃんと食事をとって薬を飲み、パラレをマスターして、広がった痣が小さくなった君がザレの力を使って高く飛び上がっている姿が。もう一つは、薬を飲まず、パラレもいい加減にやった結果君の痣がさらに広がり、ベッドに横になっている姿が」
見つめるライアンにグラックスは優しく微笑んだ。
「未来を決めるのは、君次第だよ、ライアン君」
しばらく考えて、「わかりました」とライアンが短く言った。
「よし。では、しばらくはここに住みながら療養するといい。二階の病棟には、いまは誰も居ないからね」
そう言いながら、グラックスは大きな机の方に歩いていき、壁に這わせたパイプの先端で鈴を鳴らした。
「ところで先生、パラレは誰が教えるんです。まさかジン王女って訳にはいかないですよね」
アイザックが背伸びをしながら尋ねると、グラックスが、ぱん、と手を打った。
「ありがとう。やってくれると思っていたよ」
「え。いや、なにも俺がやるとは言ってないっすよ」
「何を言っているんだい。ダグ・ブリンガであるアイザックがやらなきゃ誰がやるんだい」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そうだ、あのシャルロって青年、いい先生になりますよ」
「シャルロは私の助手でね。いまは医術の勉強が本業だ。ちなみにシャルロのお母さんは、君の師匠のクレアだよ」
「なんと、クレア師匠のご子息でしたか。どうりで筋がいいわけだ。クレア師匠は確か、先生の従姉ですよね。お元気ですか」
「ああ、今もインシュル島でパラレを教えているよ。そのクレアから、立派な医者にしてくれって預かっているのがシャルロなんだ」
「なるほど…」
ライアンに向き直ったグラックスは、アイザックを横目で見ながら、にやりとした。
「ライアン、このアイザックはねぇ、若干二十歳でダグ・ブリンガになったパラレの逸材なんだよ」
「ええっと…、ダグ・ブリンガ、って何のことですか」
「そうか、ライアンは知らないから分からないよね、ごめんごめん」
グラックスは頭をかきながら、ゴダールの格闘技であるパラレにまつわる話をしてくれた。
パラレは何百年も昔、アイザックの故郷であるインシュル島の船乗りの遊びから始まった格闘技だと言われているものなんだ。
向き合った二人が揺れる船の上で片足立って跳ねながら相手を蹴り、甲板の上に倒した方が勝ちというもので、喧嘩っ早い船乗りたちに業を煮やした船長がルールを定めて戦わせたとか、パラレという名の背の低い青年が意地の悪い大男をこのルールで倒したのが始まりだとか、色々な説があるんだけどね。
次第に他の島にもパラレが伝わって多くの人がこの格闘技をするようになると、それを聞いた女王が興味を持ち、それぞれの島で一番強い者を王宮に招いて天覧試合を行った。
パラレの基本動作を見た女王は、その動きに体内の水の流れを整えて体調を維持改善させる効果があることを即座に見抜いたと言われ、以後ゴダール諸島全土でパラレが奨励されることになった。
そして毎年各島の代表による天覧試合を開催されることになり、これがブリンガ、つまり女王の前で行うパラレの競技大会になったんだ。
現在も男性と女性の部に分かれて、ゴダール諸島のうちで人が住んでいる五島での予選を勝ち上がった代表と前年の優勝者がトーナメント方式で試合を行っているんだよ。
ブリンガで行われるパラレの試合は、片足、もしくは片手以外の部位を地面につい方が負けになる。
尻もちをついたり、腹ばいになればもちろんのこと、両手、両足、片手と片足を同時に地面につけた場合も負けとなってしまうっていう競技だ。
ブリンガに出場する者は片足立ちで相対して足を止めたまま殴打や蹴りを打ち合ったり、がっぷり組み合って足技で投げ飛ばしたり、距離を取りながら走り回って飛び蹴りを喰らわせたり、戦い方も様々だよ。
アイザックが二十歳でなったダグ・ブリンガというのは、前年優勝者がもう一度優勝する、つまり二年連続で優勝した者に贈られる称号なんだ。
ブリンガに十九歳で初出場して優勝し、翌年も優勝して、二十歳という若さでダグ・ブリンガになったのはアイザックが史上初めてだと言われている。
因みに、ダグ・ブリンガになった者はそれ以降のブリンガには出場しないというのが慣例になっているから、アイザックがブリンガに出たのは二回しかない。もっとも、飽きっぽいアイザックはダグ・ブリンガになったあとはパラレに興味が無くなってしまっただろうから、頼まれてもブリンガには二度と出場しなかっただろうけどね。
「だろ。アイザック」
「まあ、そうなんですけど、正面切って飽きっぽいと言われると、認めたくなくなりますねぇ」
「では、次のステージに移った、とでもしておこうか」
「そうっすね。それでお願いします」
「で、どうなんだ。ライアンの指導をするかどうか」
アイザックは両手を組んで上にあげ、「うーん」と伸びをした。
「分かりましたよ。ライアンが動けるようになったら、俺がパラレを教えますよ」
「最初から素直にそう言えばいいのに」
グラックスが笑っていると、コンコン、とドアが叩かれた。アイザックが扉を開けると、メイベルが目を輝かせて中に入ってきた。
「お呼びですか」
「いやいや俺じゃない、グラックス先生だよ、呼んだのは」
アイザックの前に立ち、目を瞬いたメイベルは、少し肩を落としてグラックスに向き直った。心なしか化粧が濃くなっている。
「ライアン君を二階の病室に案内してくれ。そうだな…、東の端の部屋がいい。しばらく逗留することになるから、食事と投薬と健康管理を頼むよ」
「承知しました。ではライアンさん、こちらへ」
ちらちらアイザックに視線を送るメイベルに促されてライアンは部屋を出ていった。
閉まった扉を見つめているグラックスの隣にアイザックが並んで立った。
「さっきの話、本当ですか」
「ん」
「ライアンに、二つの未来が見えたって、話」
「嘘だよ。残念ながら何も見えなかった」
「やっぱり先生は人が悪い」
「お前に言われたくはないなぁ」
アイザックが口を膨らませてグラックスの肩を軽く小突いた。
「でも、彼は何かとても暖かいものに守られているような感じがしたよ。それが、スダジイのザレの結晶によるものなのかどうかは分からんがね」
「暖かいもの、ねぇ」
アイザックが、うーん、と伸びをした。
「ルナデアは襲ってきますかね」
「私が敵なら、次に狙うのはゴダールのアグーだね」
アイザックはちらっとグラックスを見て、「そうっすか」と、ため息まじりに呟いた。




