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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
ゴダール諸島
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グラックスの力

「もう一度、ザレの力を使えるようになる…」

 グラックスの言葉で、信じられない速さで走り、高く飛んだ、あの感覚が少し蘇ってきたような気がした。先生の言うとおりにすれば、あれを再び手にすることができるのだろうか。

「どれくらいかかりますか、ザレの力をまた使えるようになるのに」

「アグーとザレ。性質の違う光石だから単純に比較することはできないが、私はベッドから起き上がるのに半年、人並みな生活ができるようになるまでにもう半年、アグーの涙の力を使えるようになるまでにそこからさらに一年かかった。だがライアン君は体にだるさがあるものの、すでに最低限の日常生活を送ることはできている。それを考えれば、ライアン君はザレの結晶に対して、驚くほど順応していると言える。三月もあれば、ザレの力を使えるようになるんじゃないかと私は思う。ライアン君は光石に適応できる、稀有な体質の持ち主だと言っていいのかもしれない」

「三月…、ですか…」

 三月も待てない、と顔に書いてあるライアンを見て、グラックスは微笑んだ。

「ライアン君の気持ちもわかるよ。ルナデアの者が、君の弟を連れて、いつアグーを奪いにここにやって来るかもしれない。だが、焦りは禁物だ。焦って心が揺れれば、せっかくパラレの修行をしても何も成果が得られなくなってしまう」

「そうだぞ」

 アイザックがそう言って、うな垂れているライアンの肩を、ぽんぽんと叩いた。

「ルナデアのことは我々ゴダールの者に任せろ。弟のミロイ君も必ず助ける。ライアンは自分の体のことだけを考えていればいい」

 俯いたまま、膝の間で両手を組んでいたライアンが顔を上げた。

「コーエン導師やコバック、立派なエグサが何人も殺されたんです。ルナデアの奴らは強いです。そんな敵と戦うときに、僕にはあの力が必要なんです」

「いいかい、ライアン」

 諭すような声で、グラックスはやさしくライアンの手を握った。

「君が持っているザレの力がもし発揮できれば、我々にとっても強力な戦力になるだろう。だが…」

 言葉を区切ったグラックスは、カップのパグナー茶を飲み干して、机の上に置いた。

「アイザックの話を聞いて考えてみたんだが…、敵は、襲う島の順番も考えているように思える。まず初めにルマン島を狙ったのは、あの島が町同士で常に抗争を繰り返していて、混乱に乗じて一番襲いやすい島だとみたんだろう。では次にどこを狙うか…。私の知る限りの情報で言えば、ゴダールの南西にあるダグダイズ島は岩と砂に覆われていて人が住むには厳しい環境だ、というくらいしか情報がない。アレフォス島は知ってのとおり、ロクトという寺院が島を良く統治していて、エグサという武力組織も備えている。マキシマ島はダグダイズ島とルマン島の間にあって、エホ族とマヒ族という二つの勢力が島の主権を昔から争っているらしい。軍事力としては、五島のうちで最も強いかもしれない。対して、ゴダールには王宮の近衛隊はいるが、とても戦力と呼べるほどのものではない。敵がそれらの情報を、ある程度か、それ以上に持っていたとしたら、普通に考えれば最も落としやすいと考えるのはゴダールだろう。だが敵はルマン島の次に間を置かずにアレフォス島を狙った。なぜか…。それは、アレフォス島のロクトが強いからだ、と私は思う。だから、戦う準備をさせないうちに奇襲を行ったんだ。そして、ライアン君には酷な話だが、その作戦は見事に成功してしまった」

 グラックスは足を組むと、短く咳払いをした。

「話が長くなったが、何が言いたかったかというと、我々には戦う準備をする時間があるということなんだ。情報は少ないが、おぼろげながら敵の姿は見えてきている。敵の襲来までどれくらいの時間が残されているか分からないが、ゴダールを守るという意思のある者に訓練を施すことはできる。おそらくオズマンも王宮でそのような話をしていることだろう。そして、ナブー女王には水光石アグーの力がある。敵がゴブルとザレを持っていたとしても、十分に勝機はある、と私は思っている。ライアンがその戦力のひとつになりたいと思っているなら、なおさら私の言うことを聞かなければいけない。これは医師である私の命令だよ」

 何かを言いかけて口をつぐんだライアンは、グラックスから視線を外してまた俯いてしまった。

「ナブー女王はアグーの力を使って、どんなことができるんですかねぇ」

 腕を組んだアイザックが訊いた。

「父から聞いた話では、ワナロア女王は女神セリーンから瞬時に水を氷に変える力を授かり、それ以後、王家の血筋の者はその力を使うことができるのだそうだ」

「神話の言い伝えじゃ、実際にナブー女王がその力を使えるかどうかは分からんということですな」

「そこはこれから敵を迎え撃つ準備をするなかで分かってくるだろう」

「グラックス先生」

 ライアンがまっすぐにグラックスを見つめる。

「では、先生が扱うことのできるアグーの涙の力とは、どんなものなんですか」

 グラックスは、「うむ」とひげに手をあてて考えこみ、ふいに立ち上がると窓の方へ歩いていった。

 ガラスが嵌められた格子窓の向こうには、明るい午後の青空が広がっている。

「そうだね。いままで誰にも話したことはないが、いいだろう」

 こちらを振り返って窓辺に寄りかかったグラックスは、にこりと微笑んだ。

「アグーの力は水を操ること。私の施術で体内の水の流れを良くして患者の治癒を助けることはその力の一つだ。もう一つは、私のこの左眼。視力は失われてしまっているが、アグーの涙の力で少し先の未来を見ることができるんだ」

 ライアンとアイザックは、ちょっと驚いたように目を見開いた。

「未来が見える、というとちょっと違うかな。未来に起こる可能性のある光景が見える、といった方が正しいかもしれない」

「必ず起こる未来が見える、って訳ではないってことですか」

「その通り。私が見る未来は刻々と変わっていくんだ。だからこそ、この力を使って患者を診たとき、未来の患者の状態が見えることで、実際は身体のどこに病気の原因があるのか、どこが悪くなっていくのかが分かる。腰や肩が痛いと言ってきた人が、実はお腹の臓器から出血していたり、瘤ができていたり、それが悪化した様子が、どれぐらい先かはわからないけど、イメージとして見ることができるんだ。病気の原因が分かれば、それに対する薬を処方することができる。私の所に来た時にはすでに相当悪化していて、助けられなかった場合もあるけどね」

「それは、えーと、常に未来かもしれない光景が見えているってことですか」

「常に見えていたら、さすがに私自身が病気になってしまうよ」

 アイザックの問いに、グラックスは笑顔で手を振った。

「すべてではないが、見ようと意識してイメージが見えるときと、全く関係なく、ふいにイメージが見えるときがある。実は一週間くらい前、アイザックが若い男の子を連れて、ここで話をする場面が見えてね。近々現れるんじゃないかなと思っていたところだったんだ」

「あらら、お見通しだったんですね」

「どこかで生れた息子を紹介されるのかと思ったら、まさか、こんな話を聞くとはね」

「さすがにこんな大きい子はいませんよ」

「お、じゃあ、小さい子はいるのかい」

「いませんよぉ、もぉ、先生も人が悪い」

「冗談だよ」

 二人が笑い合う間で、ライアンだけが押し黙っていた。


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