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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
ゴダール諸島
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グラックス・ベリー

 白い建物の前で立ち止まったアイザックは、「歩けるかい」、とライアンに訊いた。

「歩けます」

 ライアンを背中から降ろすと、「ここに入るのは、毎回緊張するんだよなぁ」と(ひと)()ちながら、建物の中央にある扉を押した。

 ベリー診療所と呼ばれる白い建物の中は廊下や壁もすべて白い石材で造られていて、中庭から入る陽の光を照り返してとても明るい。

 二人は廊下を右に進み、奥の部屋の扉をノックしたアイザックは、「グラックス先生」と呼びながら扉を開けて部屋の中に入っていった。

「久しぶりだね、アイザック」

 左奥の大きな机の上に乱雑に積み上げられた何冊もの本の隙間から、赤みのある金髪を束ねた男が顔をあげていた。

 男の顔は左目から頬までが布で覆われている。あごにはオズマンの半分ほどの長さのひげを三つ編みにしたものが三本伸びていた。

 容貌からして、この男がグラックス・ベリー先生だろう。

 顔は半分しか見えないけど、上品なヨックだな、とライアンは思った。

 ライアンに壁際のベッドへ座るように促して、アイザックは立ち上がったグラックスのもとへ行き、派手な音を立てて手を組むと互いの肩を触れさせる仕草をした。

「そろそろ来る頃だと思っていたよ」

「まぁた、グラックス先生はそんな調子のいいことを言う」

「相変わらず派手な格好だな」

「いま流行ってるんですよ、この縞々(しましま)が」

 ゴダール島から南西に少し行った島に自生するオオマという植物を袋状に編み込んだものを、首と肩口の部分に穴を開けたこの貫胴衣は、ゴダールの誰もが着る一般的な服装である。

 鮮やかな青と黄色の糸を横縞模様に編み込んだアイザックの貫胴衣に比べ、グラックスのそれは淡い茶色をした地味な色合いに見えるが、目を凝らして良く見ると白く光る糸で草の模様が刺繍された上品なものだということが分かる。医術を行うベリー家特有の衣装であった。

 最近釣った魚の話をしているアイザックの背中をぼんやり見つめながら、清潔な白いシーツが敷かれたベッドに腰かけたライアンは部屋をぐるりと見まわした。

 入口に近い壁際の棚には何かが入れられた沢山の瓶が並んでいる。反対側の壁に取り付けられた書架にはぎっしりと分厚い本が並んでいるのが見える。ここは患者を診る診察室とグラックスが勉強するための研究室を兼ねた部屋といった所だろうか。

「ところで、そろそろ彼を紹介してもらえないかな」

 ライアンに目をやったグラックスに尋ねられたアイザックは、端にあった椅子を持ってくるとグラックスの反対側に座り、「実は」と言ってこれまでのことを語った。

 ルマン島やアレフォス島で起こったこと、オズマンから聞いた、ルナデアという島の者たちが今度はアグーを狙っているかもしれないこと。そしてライアンがアレフォス島の風光石ザレの結晶らしきものを体に取り込んでいることなどを、多少の誇張と想像を交えてアイザックが話す間、グラックスは頬杖をつきながら、たまに「うんうん」と相槌を入れるほかは終始無言で表情を変えずに聞いていた。

「なるほど」

 話を聞き終えたグラックスは机の上にあった小さな鈴を手に取り、椅子を回して後ろの壁に垂直に取り付けられた金属製の管の先で、ちりんちりん、と鈴を鳴らした。管の先は花びらを逆さまにしたような形で口を開いている。

「お茶でも飲もう」

 グラックスはあごひげをつまみながら、何か考えごとをしているのかじっと動かない。ベッドに腰かけていたライアンは、いつの間にか横になって寝てしまっていた。

 しばらくして扉が叩かれ、大柄な女性が入ってきた。

「お呼びですか、先生」

「メイベルさん、すまんがお茶を二つ、いや三つ淹れて来てくれないかね」

「承知しました」

 軽く会釈をして後ずさったメイベルが、「あら」と声をあげた。

「誰かと思ったら、アイザックじゃない」

「ああ、メイベルさん、お久しぶ…」

 立ち上がりかけたアイザックの顔を、メイベルの巨大な胸の谷間と丸太のような腕が羽交い絞めにしていた。アイザックのうめき声が漏れだしている。

「もういやだぁ、帰ってくるなら連絡してちょうだいよ。もう、お茶、すぐに入れてきますね」

 野獣のような高笑いを残してメイベルは部屋を出ていった。

「はあぁ、毎回こうなるから見つかりたくなかったんだよな」

 首をさすりながら座り直すアイザックの目に涙が溜まっている。

「さすがだな、色男」

「俺は世の中のすべての女性から愛されていますからね。…って、勘弁してくださいよ」

 くすくす、と笑いながら立ち上がったグラックスは、「さてさて、風光石ザレなるものをその身に取り込んだ青年を診てみるとするか」、と言って、寝ているライアンのもとへ歩いていき、横を向いて寝ている頭の側へ腰かけた。

 グラックスに左腕の袖をまくり上げられたとき、ライアンは、はっと目を覚まして起きあがろうとした。

「ごめん、起こして済まないね」

 体を起こしたライアンは、しきりに目をこすっている。

「私はグラックス・ベリー。聞いていると思うが、医術をかじっている者でね。起きたのならちょうどいい、ちょっと体を診させてもらっていいかな」

「はい」

 グラックスは様子を見ているアイザックに手伝わせて、ポトから借りていた少し大きめの貫胴衣を脱がせると、下着姿になったライアンを仰向けに寝かせ、口を開けさせて中を覗きこんだ。

 目と舌の状態を確認して声を出させた後、聴診器を首から胸、お腹、脇腹、足と当てていき、次に同じ順番を手で触ったり、押したり、軽く叩いたりした。

 ひと通り診終わると、今度はうつ伏せにさせて、首から背中、足と、同じ動作が続いていく。

 時折、「痛くないかい」、「ここはどうだい」と訊くグラックスの声は耳触りのいい低音で、ライアンは触診を受けながら、また眠りに引きずり込まれそうになっていた。


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