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ライアンも修学院で何度か挨拶をし、ナルッサの時には導師たちが並んでいたのでもちろん顔は知っているが、彼らの力を実際に目の当たりにしたことはまだない。
銀髪を後ろで束ね、好々爺にしか見えないコーエン導師は、極限まで鍛え上げた鋼の肉体が齢を重ねても衰えを知らず、体術を極めたその身から放たれた拳は雷の打撃を相手に与えられる、『雷撃拳』と呼ばれる恐ろしい術を持っているという。
腰までかかる少し波打つ赤毛の長い髪に、優し気な眼差しのミテルス導師は、木々の声を聴き分けることができ、弱った草木の生命力を吸い取って新たな芽吹きに与えることで思いのままに成長を促すことができるのだそうだ。どうみても三十代にしか見えないミテルスは、コーエンとそれほど変わらない年齢の老女らしいのだが、その吸い取った生命力を自身の若さを保つことにも使っているらしい、と修学院の生徒の間では噂されていた。
もう一人、コーエン、ミテルスよりはかなり若くして導師となったリュート導師は、恵まれた体格に鍛え上げられた筋肉を持ち、自ら考案し、彼しか操ることができない『薙輪刀』という、投げると必ず手元に戻ってくる円盤状の武器を使う導師である。薙輪刀は二つのパーツに分けると接近戦で刀のように使うことができるそうなのだが、作ったリュートにしか扱い方が分からない、彼独自の武器である。職人の家で生まれ育った彼は幼い頃からモノ作りに興味があり、武器だけでなく、農機具から土木工事用の機械まで、色々な道具を作り出す発明家でもあった。
生徒たちの面白半分の噂話としても、導師たちは人智を超えた何かしらのパワーを持っているのだろう。ザレの力を得た導師の能力を、一度は見てみたいとライアンは思った。
「どうしたライアン。あんまり食欲ないのか」
リルの実を発酵させて作った酒を飲みながら、コバックが聞いた。
「そんなことないよ。いっぱい食べてるよ。それより、コバックも今夜はサージェンでしょ。酒なんか飲んで大丈夫なの」
「一杯だけだよ。問題ない」
確かにコバックは酒が強いのだろう。彼が酔っぱらっているところをライアンは見たことがなかった。
「教官がそんなことでいいのかなぁ。そうだ。ねえ、コバック。僕たちがエグサになったらコバックの鎌鼬の術を見せてくれるって約束、忘れてないよね」
「ライアン、よく覚えてたな。僕忘れてたよ。いつ見せてくれるの、コバック」
ライアンとミロイが目をキラキラさせて見つめると、コバックは小さく、チッと漏らした。
「いいか、お前たち。術ってのは見せびらかすために身につけるものじゃない。この島に暮らす人々が安んじて暮らせるよう、必要な時に使うものだ。あれはお前たちにやる気を出させるために言ったことだ、忘れろ」
「ずるいや、コバック」
「そうだよ、そんなにもったいぶって、本当は鎌鼬の術なんてできないんじゃないの」
ミロイがそう言うと、コバックは大笑いした。
「そんな安い挑発をしたってだめだ。授業でも言ったが、ザレとの対話で力を授かることはとても名誉でありがたいことだ。だけど、術が使えなくともこの島のために働くことはできる。俺が若いころに配属されたバーラの行政庁にも優秀な人は何人もいたし、実際、教官や律師の人でも術を使えない人はいるからな」
「うーん、そんな難しい話をしてるんじゃないんだけどなぁ」
ライアンが口をとがらせると、コバックはくすっと笑った。
「そうだな、スゲラージでお前らが最後の五人に残ったとき、もし俺が試験官としていたら、その時には存分に俺の術を見せてやるよ」
スゲラージとは、原則としてすべてのエグサの参加が義務付けられているもので、三年に一度、その年の初めに奥の院で五日間に渡って行われる特別な儀式である。
五組に分かれて、舞と組手の演舞をザレに捧げ、そのあとに律師や教官ではない無官の者を対象にしたトーナメント式での武術披露が行われる。
一対一で行うこの武術披露は、急所を狙ったり、相手に深い傷を負わせたりしなければ、どのような武器を使うことも認められていて、一方が降参するか、試験管が勝負がついたと判断すると勝敗が決まる。勝ち上がっていって最後の五人になると、相手は教官の中から選ばれた試験官が努めることになり、その対戦で教官を相手に見事な武術を披露した者は、優秀な成績であると判断されて教官への昇任が約束されるのである。そして武術披露の式典の最後は、導師三人による演舞がザレに奉納されて厳かに締めくくられて終わる。
心技体の調和こそエグサの基本だと考えるロクトにおいて、武術披露は重要な式典であると同時に、昇任試験の場でもあるのだった。
ちなみに、武術披露は二十五歳以上が参加する条件になっているので、ライアンとミロイにとってはまだまだ遠い先の話である。
「うへぇー、どんだけ先の話だよ。っていうか、最後の五人に残るなんて絶対無理だし」
「おいおいおい、情けないこと言うなよライアン。身内びいきを差し引いても、今年のナルッサでエグサに選ばれた三人はずば抜けて優秀だと俺は思っているんだぞ」
「確かに、ミロイとクロウは優秀だけどさ」
「ああ、クロウはかなり寡黙な奴だけど、身体能力でいったらお前たちよりも数段上だし、あいつは強いぞ」
長く伸びた黒髪に切れ長の目、薄い褐色の肌にしなやかな四肢を持つクロウに、ライアンとミロイは武術の授業で一度も勝ったことがない。詳しい経緯は知らないが、孤児だったクロウはガーゴイ爺さんの遠縁にあたる猟師のピノに引き取られ、小さいころからピノと猟を共にし、森の中をヨックのように駆け回って成長したらしい。
「そうだった。ライアンとミロイにプレゼントがあるんだ」
そう言うとコバックは奥の部屋に行き、手に持った紐のようなものを見せびらかせながら戻ってきた。
「二人ともエグサの任命式でコーエン導師から小刀を拝領しただろ。これはその柄尻に結ぶ縛り紐だ。これを手に結んでおけば刀を落とす心配がない。この紐はヨックの足の腱を撚って俺が編み込んだんだ。丈夫で伸縮性があるし、染色もしたから綺麗だろ。えーと、こっちがライアン、こっちがミロイ」
ライアンは緋色の、ミロイは瑠璃色の縛り紐をもらった。手に取ってみると少し光沢のある紐状のものが複雑に編み込まれてあり、二人は改めてコバックの手先の器用さに驚いていた。
「ありがとう。大切に使うよ」
二人から礼を言われ、おう、と少し照れたようにコバックは微笑んでいた。
「ねえ、コバックはエグサに選ばれなかったら、何になりたかったの」
ミロイにそう訊かれると、「うーん、そうだなぁ」と言ってコバックは首をひねった。
「俺のオヤジは、あ、お前らのおじいさんな。前にも話したかもしれんが、オヤジは漁師だったから息子の俺も漁師にしたかったみたいで、小さい頃からよく船に乗せて一緒に漁に連れていってくれてな。船の上で、エグサになんかなるもんでないってよく言っていたのを覚えてるよ。だけど、俺が十歳のとき、三日間の予定で漁にでて、時化に遭って漁から帰らないまま、いまも行方不明だ。どこかで船が沈んでしまったんだろうな。一緒に行った仲間の船も全部戻ってこなかったそうだ。だから、おふくろは命の危険がある漁師になるより、俺がエグサに選ばれたことで随分喜んでいたよ」
「コバックはどうだったの。エグサになりたかったの」
ライアンの問いに、コバックは「いや」と言って微笑んだ。
「乗せてもらったオヤジの船で、獲れたての魚を船の上でさばいて、そのまま塩焼きにして食べたのがすごく旨くてな。獲ったばかりの新鮮な魚だったからかもしれんが、塩を振って焼いただけなのに、あの味は一生忘れられん。そこから料理が好きになってな。将来はバーラの町で、食い物屋の店を開くっていうのが俺の小さい頃の夢だったよ」
「うんうん、コバックが料理屋をやったらきっと繁盛するよ。ねえ、ライアン」
「そうだな。魚料理より肉料理がいいかな。それか、麺料理もいいな」
「おいおい、小さい頃の夢だぞ、小さい頃の」
「でも、エグサを退任してからでもお店を出せばいいじゃん。コバックの料理を僕たちだけしか知らないのは、アレフォス島にとって最大の損失だと思うよ」
ミロイに肩を叩かれ、「そんな大げさな」と言いつつ、コバックはまんざらでもなさそうな顔をしている。