器
「これがアレフォス島の者が崇めるザレだ。わかるかな、ミロイ」
ブレスレットをぼんやりと眺めたまま、ミロイの表情は変わらなかった。
クレスはミロイの左腕をとってブレスレットを嵌めると、後ろに立っていた男を振り返った。
「ガンズ。体は動かせるのか」
「もちろんだ」
そう言ってガンズは胸を張ったが、奥の院でコーエンの攻撃で折れたあばらが、まだしくしくと痛んでいた。
「アルゴも使えるかどうか分らんからな」
ガンズの横にいたもう一人の男、ルマン島エルドファ一族のアルゴをあごで指してクレスはそう言った。
アレフォス島襲撃では火光石ゴブルが埋め込まれたブレスレットを右腕につけ、炎の力を使ってスダジイの体を焼き貫いたアルゴだったが、その際に現れた赤紫色の発疹は消えずにそのまま残っていた。
ゴブルが紅く輝くブレスレットを右腕に嵌めたアルゴは、無表情に岩の壁を見つめているだけで、発疹による痛みがあるのかどうかは見てとれない。
「それより、こんな子どもがザレを扱えるのか。前に試した奴は、すぐに失神したじゃないか」
「確かにな。コーエン導師の愛弟子のエグサと聞いていたんだが、少々期待はずれだった。だが、このミロイは鏡心の術に耐えるほどの精神力を持っている。エグサに選ばれた者はもともとザレとの結びつきが強いはずだが、ミロイにはそれ以上の何かを感じる」
ガンズは、「ふーん」、と言って頭をかいた。
「で、俺はミロイと戦えばいいんだな」
「そうだ。ミロイがザレを扱う資格のある者かを見極めさせろ。真の資格者であれば、極限の状況の中で、その真価が発揮されるはずだ」
少し考えてから、ガンズは背中に差してある細身の刀を、すっ、と抜き、それとは別の腰の短剣を鞘ごとミロイの足元に投げた。
「別にいいけどさ。だけど、戦うからには殺しちゃうかもしれないぜ」
「構わん。それだけの器だったということだ」
ふっ、と鼻を鳴らすと、ガンズはミロイから数歩下がって間合いを取った。クレスたちも下がって二人から距離をとる。
ぼおっと立っているだけのミロイを見ながら、ガンズは少し嫌気がさしてきた。わざわざこんなところまで来て、戦う意思のない相手を斬ったところで面白くもない。
「ミロイ。その短剣を取れ。左腕のザレを意識しろ。そして目の前のガンズを倒せ」
クレスの言葉でミロイは落ちていた短剣を拾い上げて目の高さまで持ち上げ、左腕に嵌められたブレスレットを見つめる。
すると、少し間をおいて、ブレスレットに収められたザレから淡い青緑色の靄のような揺らめきが滲み出した。
揺らめく靄はミロイの腕を這うように伝っていき、みるみるうちに全身が薄い青緑色の靄に包まれる。すると、ブレスレットから放射線状に赤黒い染みがミロイの腕を這いはじめ、あっという間に腕から肩へと広がっていった。
短剣が手から落ち、右手で左腕を掴むと、ミロイは苦悶の声をあげながら膝をついた。
「おいおい、俺がやる前に、その光る石にやられちゃうんじゃないのか」
「ミロイ。ザレの力に抗うな。身を任し、同調するのだ」
膝をついて祈るような体勢から、食いしばった歯の隙間から呻き声を漏らしてゆっくりとミロイは立ち上がった。
体から立ち昇る青い揺らめきが、ミロイの全身を覆って焼き尽くしてしまうように見える。赤黒い染みが濃くなっていく左腕を右手で掴んで顔の前にあげたまま、目を瞑ったミロイは獣のような低い唸り声をあげつづけた。
「おい、クレス。大丈夫か、こいつ、やばそうだぜ」
「焦るなガンズ。黙って見ていろ」
ミロイは全身を駆け巡る痛みに耐えている自分を、まるで夢でも見ているかのように捉えていた。
現実味の無い痛みはかえって心地よく、このまま何もかも委ねてしまえば途方もない快楽を得られそうな気がしていた。だがその一方で、体の奥底にある何かが、その愉楽に必死に抵抗している自分にも気がついていた。
ふいに、どこからか微かに声が聞こえてくる。
必死にその声に耳を澄ますのだが聞きとることができない。誰かと誰かが、ひそひそと話をしているようにも聞こえる。
『…取り戻せ』
そう聞こえた瞬間、青緑色の思念が奔流のように体に流れ込んできた。
この感じ…。
思い出した。
ナルッサでスダジイに触れ、淡い青い光に包まれたときに感じたものと同じだ。
言い尽くせない悲しみ、怒り、そして執着…。
『我の力を…戻せ』
「え…。僕に、何を、どうしろっていうの」
『取り戻せ…』
小さな声に意識を集中しようとすると、すっ、と青緑色の思念が消え、次の瞬間、雷に打たれたような激痛が全身を走りぬけた。
ミロイは膝をついて、頭を抱えた。
『俺のものになれ』
いままで聞こえていた声とは違う、恐ろしく禍々しい声がミロイの身体に広がり、蛇のように絡みついていく。
ミロイは絶叫をあげた。
「やっぱり、失敗じゃねえか」
ガンズの言葉に答えず、クレスはミロイを凝視している。
その様子を見て、クレスからミロイに視線を移したガンズは、目を見開いた。
いつの間にか呼吸が整い、立ち上がったミロイがゆっくりと瞼を開ける。その瞳は黄色く縁どられ、妖しく光っている。
身体を覆っていた青緑色の靄が風に飛ばされるように掻き消えていくと、両腕を垂らし、無造作に立っているミロイの目が、まっすぐにガンズを捉えていた。
なんだか知らねえけど、嫌な感じだぜ。雰囲気ががらりと変わりやがった…。
ガンズは襟を緩めて胸をさらけ出した。左右の胸に、記号や文字のような図相が浮かび上がっている。
怪我が回復していないこの身体じゃぁ、ウラウの力を使うのはちょっと厳しいな。セオン爺さんで行くか。剣の達人だったからな。
ガンズは手にした細身の剣の切っ先を右胸の図相に当てて薄く切り裂くと、切っ先についた血をすっと舐めとった。タトゥーのような図相の血を啜ることで、そこに封じられた能力を一時的に発揮することができるガンズの一族のごく限られた者だけが使える術である。
刀の切っ先を斜め下に下げた下段の構えをとりながら、ガンズは徐々にミロイとの間合いを詰めていく。
「おい。刀を拾わなくていいのかよ」
落とした足元の短刀を拾う様子もなく、ミロイは相変わらず無防備に立っている。
得体のしれない威圧感をその身に纏っているような気がして、ガンズは攻めあぐねた。




