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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
ゴダール諸島
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オグロー川の小屋

「昼間のあの道。アドリラ川を越えて行った道は、崖が崩れて先には行けなくなっていた」

「ああ、そうだったな」

「あの先に、秋の猟でよく使う小屋があるんだ」

「…、ピノが猟に出かけて、その小屋にいた可能性があるということか」

 クロウが小さく頷く。

 ミテルスは、ふうっ、と大きく息を吐き、「なるほど」と、上を見上げた。

「あのピノが簡単にくたばるとは思えんが、無事であることを祈ろう」

 二人は両手の力を抜いて、目を閉じた。木の爆ぜる音だけが洞窟の中に響いている。

 目を開いたクロウがミテルスに顔を向けた。ミテルスはまだ目を閉じていた。

「ミテルス導師」

 ミテルスがゆっくりと目を開いた。

「ザレが無くなったら、この島は、滅んでしまうのか」

 しばらく間をおいて、ミテルスはバフ茶を少し口に入れた。

「ザレが無くなってもアレフォス島が滅びることはないと思うが、この後いったい何が起きるのか、私にも分からん。そもそもザレとはどういうものなのか、まるでわかっておらんのだ。ただ…」

 少し言い淀んだミテルスだったが、言葉を続けた。

「ムラジ大導師が残したものに、『(ことわり)の書』というものがある。代々、導師にのみ、その存在が伝えられてきたのだが、今は非常事態だ。お前が知っていても良かろう。ムラジ大導師は導師に向けて、『ザレの存在が脅かされるような事態が起こったとき、「理の書」の封を解き、対処すべし』と言われたと伝わっている。その理の書は、一の院本堂にあるムラジ大導師の石像の台座に奉納されていたんだが、おそらく今回の山崩れで土砂の下敷きになってしまっている。理の書を読むことができれば、ザレが何なのか、ザレを失ったいま何をすればいいのか分かるのかもしれんが、現状ではそれは難しいだろう」

「理の書…」

「だが、これからやるべきことは明白だ。ルナデアの者たちの所業は許されるものではない。奪われたものは取り返す。ザレも、ミロイも、そして、ライアンも。今はそれだけ考えればいい」

 勢いの衰えた火にクロウが薪をくべると、ばちっ、という音がして赤い火の粉が天井の方まで舞い上がっていった。

「明日、明るくなったら出発する。早めに体を休めておけ」

 そう言うと、ミテルスは布を敷いて火に背を向けて横になった。大きくなったり小さくなったりする炎の揺らめきを、クロウはいつまでもじっと見つめていた。


 翌朝、空が白む前に朝食をとり、二人は洞窟を出た。

 尾根を越えて南東に山を下り、再び森の中に入っていくと、辺りはまだ薄暗かった。昨夜降った雨はあがっていたが、濡れた斜面は滑りやすく、転ばぬように気をつけながら歩いていくと水が流れる音が聞こえてきた。

「オグロー川か」

 ミテルスが問いかけると、クロウが振り向いて頷いた。

 先に進むと水の音が大きくなり、ふいに森が途切れて、ごつごつとした岩が転がる河原に出た。見下ろす二人のすぐそばまで川の水が流れて来ている。

 向こう岸までそれほど距離はないが、オグロー川の川幅は普段の倍ちかく水かさが増していて、いたるところで岩に当たった水がしぶきをあげて轟音を立てていた。上流から流れてきた大量の流木が岩の間に挟まって川の様相を変えてしまっていた。

「水量がかなり多いな」

 クロウが足場を探しながら慎重に岩の上を歩いていく。その背中に、ミテルスは川の音に負けないように大声で言った。

「ライアンが奥の院から敵を追って東にずっと進んだとすれば、どこかでオグロー川を渡ったはずだ。何か気がついたことがあったら、すぐに言ってくれ」

 降りつづいた雨と増水した川は、たとえライアンが何かを残していたとしても、すべて押し流してしまっているように思えた。

 川岸を岩伝いにしばらく歩いていくと、立ち止まったクロウが「ミテルス導師」と低く呼んだ。

「あそこに見える小屋」

 クロウが指さす対岸の少し高くなった崖の上に、平屋の小屋が建っているのが見えた。遠目に見て、木造の小屋は特に変わった様子は見られなかった。

「オグロー川沿いを歩いたのは久しぶりだが、あんなところに小屋があった記憶は無いな。最近建てられたものかもしれんが、あの小屋がいったい何だというんだ」

「気のせいかもしれない」

 再び歩きだそうとしたクロウを手で制し、ミテルスは目を細めた。

「何か違和感があるんだな。念のためだ、調べてみよう。油断するなよ」

 二人は向こう岸に渡ることができそうな場所を探して少し下流に歩き、岩の間に折り重なって挟まっている流木の上を歩いて対岸に渡った。

 突き出た岩肌の崖をよじ登り、藪をかき分けて進むと細い道に突き当たった。さっき見えた小屋まで道は続いているようだった。ミテルスが目顔で合図して歩き出すと、クロウが辺りを警戒しながらその後に続いて歩いていく。

 小屋が見えてきた。小屋の手前に小舟が二艘、陸揚げされて舟底を見せている。増水した川を見て引き上げたのだろう。舟があるということは、ここは舟で川を行き来して人や物資を運搬するための舟宿といったところか。確かに、オグロー川を下っていけばアドリラ川に合流してバーラの町や港に行くことができる。

 近づくと、小屋は横に長い造りになっていて、中央に出入り口の扉があった。

「私が合図するまで手を出すなよ、クロウ」

 ミテルスは無造作に扉を開けると中に入っていった。クロウは腰に差してある拝領小刀の柄を握ったまま、ミテルスの後に続いた。

 カウンターの前にいた男は突然扉を開けて人が入ってきたことに驚いて、わっ、と声をあげた。小さな顔の中で目ばかりがぎょろりと大きい、背の低い男だった。

「驚かせてすまん。山を歩いていたら足を(くじ)いてしまって、バーラまで行きたいのだが、舟を出してもらうことはできないだろうか。ここは舟宿だろう」

 来訪者が客だと分かって安心したのか、小男は手の甲で目をごしごしと(こす)りながら、「ああ、びっくりした」、と言って笑った。

「お客さん、川の様子を知らんようだね。オグロー川は鉄砲水があって、とても舟を出せるような状態じゃないよ。悪いが他を当たってくれ」

 小男の話を聞きながら、ミテルスはゆっくりと首を右左に振った。

 右にある部屋は扉が閉まっている。左にある部屋は扉が開いていて、工具や荷物が雑然と詰まれているのが見える。

 扉の横に、手足のひょろりと長い、無精ひげを生やした男が立ってこちらを見ていた。クロウは入ってきた扉を開けたまま、両手を下げて立っている。

「その恰好、あんたらエグサかね」

「ああ、そうだ」

「一昨日の晩、何度も地震があったが、いったい何が起こっているんだい」

「そうなのだ。私らはスーザにいたんだが、経験したことがないような地震があったので、何があったのか、山を調査しながらバーラに向かう途中だったのだ」

 『スーザ』という単語に、小男の顔がほんの少しだけ引きつったのをミテルスは見逃さなかった。


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