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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
ゴダール諸島
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獣道

 翌朝、次第に空が白みはじめるころ、ミテルスとクロウはサリュー街道を西に向かって歩いていた。

 三十分ほど歩いて街道から右に伸びる脇道に入り、ぬかるんだ坂道を上がっていった先にピノとクロウの家があった。石組みの壁に木で屋根を()いた小さな家だ。

 クロウは外にミテルスを待たせて家の中に入ると、ゼンガの矢を補充して(なた)を腰に差し、ロープや傷薬などを背負い袋に入れた。

「ピノはいないのか」

 外に出るとミテルスが訊いた。

「たぶん、猟に出ているんだと思う」

 冬を前にしたこの時期、干し肉用の獲物を獲るために数日に渡って猟に出ることは珍しくなかった。

「あのひげ面に、もう何年も会っていないな。達者か」

 クロウは頷くと、小屋の裏手の方へ歩いていった。ミテルスも続いていく。

 小屋の裏から緩く登っていく斜面を進んでいくと、すぐに濃い森の中に入った。伸びた枝や垂れてきた蔓草が進路をふさぐとクロウはそれを鉈で払っていく。高い木の枝葉に陽の光が遮られて下草は少ないが、長く降りつづいた雨を吸ってぬかるんだ地面は滑りやすい。

 上ったり下ったりを繰り返し、樹木に遮られて視界が利かない、人が踏みならした後もない木々の間の獣道を、クロウはためらうことなく足を運んでいった。

 クロウにとってここは慣れ親しんだ庭も同然であり、猟師しか知らない何かの目印もあるのだろう。

 ほとんど後ろを振り返らないクロウだったが、ミテルスとは一定の間隔を保って登っていく。足場が悪そうなところでは立ち止まり、手を差し出してミテルスが登るのを手助けする。

 超がつくほど不愛想な子だが、ちゃんと私のことを気にかけてくれている、可愛いやつじゃないか、とミテルスは心のうちで微笑んでいた。

 一時間ほど進んだところで視界が開けて水が流れる音が聞こえると、その先に谷が見えてきた。アドリラ川の上流である。少し下ったところに吊り橋があるのが見える。

「こんなところに吊り橋があるとは知らなかった」

「猟師や杣人(そまびと)たちが使う吊り橋だ。ほかにもある」

 手頃な岩を見つけて腰かけると、ミテルスは腰につけた水筒を取り出して中の水を飲んだ。水筒を持ち上げてあごでクロウを促すと、クロウも同じように腰の水筒を手に取って水を飲む。

 飛び降りるには無理のある深さの谷の底は、ごうごうと音を立てて川が流れている。川が削った岩が両岸に様々な表情を創りだし、川の中にあるひと際大きな岩に当たった水が流れを変えて渦を巻いていた。

 耳を澄ますと川の流れの音に交じって鳥のさえずりも聞こえてくる。

 雲が優勢の空だが、ところどころ薄くなった雲の合間が白く輝き、ずっと見ていると眩しいと感じるほどで、こんなに明るい空は何日ぶりだろうとミテルスは思っていた。

 大災害が起こったことが嘘のように、森の時間がいつものように流れていた。

「行こう」

 クロウがそう言って歩きだし、ミテルスも水筒を腰ひもに挟みながら続いていった。

 人ひとりがやっと通ることができる頑丈なつくりの吊り橋を渡って対岸にでると、これまでと同じような森の中を二人は黙々と歩いていった。

 しばらくして、ふいにクロウが足を止めた。

「ちょっと先を見てくる」

 そう言ってクロウは立ち並ぶ木の間をするすると分け入っていき、すぐに見えなくなった。

 ミテルスは腰に手を当てて辺りを見渡すが、鳥のさえずりと虫の鳴き声が木々の間に響くだけで、ここがどこだか見当もつかない。

 感覚的には、奥の院にもうかなり近い所まで来ているような気がしているのだが、実際はまだ半分くらいだろうか。

 微かに水が流れる音も聞こえてくる。

 え…、水の音。

 そう思い返したミテルスは首を傾げた。

 このあたりに川は流れていなかったはずだが。

 クロウが戻ってきて、「だめだ」と首を振った。

「この先は崩れていて、崖から滝のように水が流れているから先に進めない。少し戻って違う道を行くしかない」

「わかった」

 二人はアドリラ川を越えてきた道を半分ほど戻り、大きな岩の手前で右に向きを変えて少し急な斜面を上っていく。そこからしばらく上り坂がつづいて次第に背の高い木がまばらになっていき、枝葉の隙間から空が見えるようになると、膝まである草が増えて歩きづらくなってきた。

 尾根を一つ越えるとさらに景色が変わる。

 尖った葉をつけた低い木が多くなり、赤茶色の地面の所々に小さな花をつけた草が固まりになって咲いている。

 キーリャム山脈の最高峰であるガイル山は、灰色の雲に閉ざされて姿が見えなかった。

「このずっと下が、奥の院のあたりだ」

 歩きながら右側に見える尾根の下を指して、クロウが言った。

 ミテルスはクロウが指した方にちらっと視線を向けたが、尾根に阻まれて下の様子は見えなかった。

 雲が厚くなり、夕暮れが近いせいか辺りは暗くなりはじめていた。西の方で遠く雷の音もしている。

「雨が降りそうだ。今日はこの辺にして、どこか横になれる場所を探そう」

「少し上に登ったところにケールの洞窟がある」

「なるほど。ここはケールの近くだったか」

 そこから三十分ほど斜面を登っていくと、大きな岩の間に斜めに口を開けた洞窟があり、二人は中に入っていった。

 クロウがカンテラに火を灯し、石が転がる通路を少し行くと、広い空間に出た。

 床は平らに(なら)され、周囲には溝が掘られて水が流れている。高い天井にあるいくつかの隙間から差し込む薄い明かりとカンテラの火に照らされて、壁に描かれた数種類の動物や何かの図相が浮かびあがっていた。

 遥か古代に、このケール洞窟に人が住んでいた痕跡である。

 奥に二つの細い割れ目があるが、どちらも一度入ったら戻って来られないと言われているため、その先に何があるのかは分からない。

 いまは、猟師たちが狩猟の合間に簡易的に休息する場所にこの洞窟はなっていた。

 中央にある石を組んだ台に、クロウは端に積まれていた薪をくべて火を点けると、湯を沸かしてバフ茶を入れた。

 火を囲んで座り、バフ茶と持ってきたパンを前にして、二人は手を下げて目を瞑った。

「いつもならザレに感謝を伝えるところだが、肝心のザレが無くなってしまったら、何を言っていいかわからんな」

 自嘲気味に笑うミテルスに視線を合わせることもなく、クロウは下を向いて黙っていた。

 固いパンをかじりながら、ミテルスが口を開いた。

「どうした、クロウ。ライアンのことが心配か」

 押し黙ったまま、クロウもパンをかじった。

「ライアンのことも心配だが、ピノのことも気にかかるか」

 クロウが少しだけ目を見開いた。

「ミテルス導師は、人の心が読めるのか」

 ミテルスは、くすっと笑った。

「あいにく、人の心は読めない。が、人の表情の変化は分かる。常に顔色を変えないお前でも、心のうちの変化は必ず顔や仕草に現れる。これは術というより、長年人を見てきた経験によるものだがな」

 バフ茶をひとくち啜り、ミテルスは続ける。

「人は、なかなか本心を語らないものだ。思っていることと違うことを言ってしまったり、平気で噓をついたり。だが、嘘をつけば動作に現れる。動揺すれば、必ず何かしら顔に現れるものだ」

「必ず、か」

「必ず、だ。稀に顔に出ない奴がいるが、これは裏表のない奴だ。リュートやライアンがその口かな。言葉を変えれば、ただのバカだがな。奴らは嘘がつけないから、私の説は間違っていないことになる」

 クロウが、ふっと笑って下を向いて話しはじめた。


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