藪
緑豊かな草地だった場所が一瞬にして黒い土砂に覆いつくされ、変わり果てていく光景を、そこだけこんもりと高くなった丘の頂上に座ったまま,、二人は無言で見ていることしかできなかった。
奥の院、一の院、修学院に下院、導師や律師の家、そして今夜の惨劇で命を落とした人たちの遺体。それらはすべてあの土砂の塊りに吞み込まれてしまったに違いない。
バーラの町まで被害が及んでなければいいのだが…。と、リュートは顔を曇らせた。
かつて経験したことがない恐ろしいほどの山崩れは、1か月以上も続く長雨だけによるものではなく、ザレが奪われたことでスダジイの命が尽き、支えを失った森が根こそぎ崩れたものだということを二人とも分かっていた。ライアンがスダジイから聞いたという話が本当であるならば、すべてはルナデアという島の民が起こしたことであり、そのために多くの島民が巻き込まれて犠牲になってしまったのだ。
「なんてことだ」
リュートは拳を地面に振り下ろして奥の院があったであろう場所をしばらく睨みつけていた。
「命があっただけ、スダジイに感謝しなければならんということか」
リュートは溜め息まじりにそう呟いた。
「山崩れは収まったようだし、クロウはバーラに様子を見に行ってくれ」
「リュート導師は」
「だいぶ西に流されちまったから、バーラまでかなり距離がある。さっきみたいに俺を負ぶっては行けないだろう。多分、ここは酪農家のイニアスのトンフ牧場だ。少し下れば彼の家があるはずだから、俺はそこで少し休ませてもらうよ」
「バーラに行くのは無理だ」
「え、どうしてだ」
「水が流れてくる」
クロウの視線の先をリュートが追うと、溜まった土砂の端が月明かりを浴びてきらきらと光っているのが見え、目を凝らすとあちこちの草の隙間も同じように光を放っていることに気づいた。
やがて光の帯は草の高さを超えて明らかに水の流れとなって現れ、右に左に蛇行しながらどんどん太くなっていくと、さっきまで二人がいたあたりの草が水没して見えなくなっていった。牧草地はあっという間に湿地帯のように水浸しになり、場所によっては膝上まで水深があるように見えた。
「山崩れの土砂でアドリラ川が堰き止められて、川の水が行き場を失って流路が変わっちまったのか。これじゃぁ、イニアスの家に行くのも難しいな。無事だといいんだが」
リュートは右足をかばいながら立ち上がり、「さてどうするか」と言いながら後ろを振り返った。
クロウたちがいる丘から水面まではかなりの高さがあるので水に浸かる心配はなさそうに思えるが、ゆるやかに昇っていく北側の斜面は、細くて固い茎を持つ背の高い草が群生して薮になって行く手を阻んでいるので、二人は湖に突き出た島にぽつんと取り残されてしまったような状態になっていた。
「アドリラ川がこの有様じゃ、島の中央は壊滅的な被害がでているかもしれん。バーラにも少なからず被害が出ていることを考えて、我々は西の森林監督庁を目指すことにしよう。あそこにはミテルス導師がいるはずだ」
クロウは頷くと、腰の拝領小刀を抜き、背後の藪を小刀で刈りはじめた。
「俺もその案に賛成だ。この草、なんて言ったっけ、名前は分からんけど、こいつを刈りながらまっすぐ進めばいつかサリュー街道に出られるはずだ。しかし、もうちょっと言葉で表せんのかね、クロウ」
サリュー街道とはバーラと森林監督庁を繋ぐ、島を東西に走る街道である。アドリラ川の上中流域で伐採された木材は川筋にある集積場に集められた後は筏にして川を下らせて町の加工場の近くまで運ぶのだがが、島の西側のより森が深いところで伐採された木材はこのサリュー街道をマナフが引く車で途中にある集積場や町の加工場まで運ぶので、道幅もそれなりにあり、森林監督庁まで石畳で舗装された道が続いている。
ただ、この草の藪をどれほど進めば街道に出られるのか、リュートの倍はあろうかというほど高く生い茂る草藪で先が見通せないので、二人とも見当はつかなかった。
「クロウ、ちょっと脇に避けてくれ」
リュートはそう言うと、背負っていた薙輪刀を手に取った。
大きな鍋の蓋のような形をした薙輪刀をカチャカチャと操作すると、円盤の外周に沿って八枚の刃が出てきた。回転しながら当たることで目標物を切り刻むのである。
クロウが藪から出て後ろに回ると、リュート導師は痛めている右足を引いて腰を落とし、薙輪刀を抱えた右手を背中側に大きく引いて短い掛け声とともに薙輪刀を回し投げた。
高速で回転する薙輪刀は薄緑色の光を放ちながら地を這うようにクロウが刈りはじめた藪の先に突っ込んでいき、ばちばちと音を立てて固い草藪を切り裂いて遥か先まで進んでいくと、回転速度を落とさないまま同じ道を舞い戻って吸い寄せられるようにリュート導師の右手にすっと収まった。視線の先には根元を同じ高さに刈り取られてなぎ倒された草の道がまっすぐに伸びていた。
「草刈りは俺の最も得意な技だ」
どうだ、と言わんばかりのリュートの顔をクロウは無言で見つめている。
軽く咳払いしてクロウから視線を外すと、「先を急ごう」と言って、リュートは人ひとりが通れる狭い草の道に分け入って行った。
薙輪刀を回し投げては草を刈ってできた道を進んでいく。
そんな作業を数回繰り返していると、頭上を覆う草の隙間に見える空が仄かに明るくなってきた。足の傷からの出血でかなり体力を消耗しているはずのリュートだったが、休むことなく薙輪刀を投げつづけ、肌寒い秋の朝の冷気の中で体から湯気が立ち昇っていた。
がちんっ、という音がして薙輪刀が戻ってこなくなった。薙輪刀が草藪を刈りとった道を辿っていくと、ふいに藪が途切れてかなりの高さのある崖が現れた。薙輪刀は崖の固い岩に食い込んで止まっていた。両側は崖際まで背の高い草藪が広がって視界がきかないので、どこまでこの崖が続いているのか見当はつかない。
さてどうしたものか、と、リュートはため息まじりに考えた。
街道に出るために真っすぐ北に進むにはこの崖を登っていくのが一番早いが、足に傷を負ったまま動き続けている俺に崖を登る力は残っておらず、クロウが背負って登るのはさすがに無理だ。かといって、崖沿いを左右どちらかに草を刈りながら進むのにも限界がある。
「まいったな。どこだ、ここは。クロウ、わかるか」
岩肌に挟まった薙輪刀をなんとか引き抜いてリュートが訊いた。
クロウは岩肌に手をかけるとわずかな出っ張りに足を乗せ、そのままするすると岩の崖をよじ登っていく。崖の上に身を乗り上げると、クロウの姿はすぐに見えなくなった。
リュートはしばらく崖の上を見つめていたが、しばらくすると崖の斜面にもたれかかり、斜めになりながらその場にへたり込んでしまった。
口の中がからからに乾き、頭がぼうっとして目の前の草むらは霞んで見えている。さすがに体力を消耗しきってしまったらしい。
でもまあ、クロウに任せておけば大丈夫だろう。きっと誰かを見つけて救援を寄こしてくれるはずだ。
あ…。
あいつ、この状況をうまく説明できるかな。ぶっきらぼうに説明して、相手を怒らせたりするんじゃないだろうか。
などと考えているうちに、リュート導師は目を閉じ、そのまま引きずり込まれるように眠ってしまった。




