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「おう、ご苦労さん」
薪の束を麻縄で縛っていたライアンが振り返ると、大きな籠を両手で抱えたコバックが微笑んでいた。
「お帰り」
ライアンが覗き込むと、籠には沢山の野菜が詰まっていた。
「今夜から初めてのサージェンに就くミロイのために、ごちそうしてやろうと思ってな。少し買いすぎちまった」
えらの張った大きな顔に、もみあげから顎までみっしりとひげを生やした大柄なコバックから見下ろされると、かなりの威圧感がある。だがその身体に似合わず、小さい頃からコバックが怒ったり、声を荒げたりするところを見た記憶がない。
「やったぁ。今日はコバックの野菜スープか。でもあんまり食べ過ぎて、夜中に寝ちゃったら困るしなぁ」
コバックの手から籠を受け取りながら、ミロイが嬉しそうに言った。
無骨なコバックだが、なぜか料理が美味い。近くで採ったきのこを出汁に、大きめに切った野菜をじっくり煮込んで、歯が折れそうなほど固いパンと少し苦みのある山菜を最後に加えた野菜スープは絶品だった。
「昨日、ガーゴイ爺さんが猟で獲ったヨック(鹿に似た動物)のもも肉の塩漬けをもらったから、それもスープに入れるか。いや、炭火で焙った方が美味いかもしれんな」
聞いているだけで、ライアンは唾が滲んできた。
バーラの町に暮らす人々と違い、キーリャム山脈の山懐に暮らすライアンたちの生活は倹しいものだった。急峻な斜面を風のように走るヨックを弓矢で仕留めるのはとても難しく、熟練のガーゴイ爺さんでも年に数頭獲れるかどうかという獲物で、そのもも肉なんてきたら最高のごちそうだった。
「さてと。確かにミロイがサージェン初日に居眠りなんぞしちまったら、俺が怒られそうだな。少し早めに夕飯にするか」
コバックがエプロンの紐を結びながらそう言うと、手伝うよ、とミロイが籠から食材をテーブルに並べ始めた。
ミロイは小さい頃から人懐っこい性格で誰とでもすぐに打ち解けることができ、人が喜びそうなことをさりげなくできる、自分とは真逆の、いわゆる気が利くタイプだとライアンは思っている。多分、頭の回転が速いのだろう、ロクト修学院の成績もミロイは常に一番だった。
ロクト修学院。そこは、ロクトが管理する島民のうち十三歳になった者が必ず入らなければならない施設で、二年に渡って寮生活を送りながら、ロクトの戒律を覚え、行動規範に従って規則正しい生活を送り、島の歴史や数学、武術などを学ぶところである。そして二年間の修行の最後に、修学生の中からエグサに足ると認める者を選ぶ、ナルッサと呼ばれる最終試験がある。
青の風光石ザレは、ロクト奥の院にある御神木、千年以上もそこに立ち続けている巨木スダジイの幹の奥深くに内包されている。スダジイの幹回りは大人二十人が手を繋いて回しても一周できないほどの大きさで、木というよりは巨大な建造物のようで、樹上に茂る枝葉はそれだけで小山のような風情がある。だから、スダジイの中心に抱かれているというザレそのものを見た者はもちろんいない。だが修学院の生徒がナルッサという儀式で巨大な壁にしか見えないスダジイの節くれだった樹皮に触れると、ザレに選ばれた者だけは、樹皮の無数の襞の内側からにじみ出る柔らかな瑠璃色の光が見えてくるのだ。
ナルッサでライアンとミロイがその幻想的な輝きを手と瞳に焼き付け、エグサとなることの重みと誇りをその胸に刻んだのは、ほんのひと月ほど前のことである。
ライアンは、まるで天を衝く岩のようなスダジイの堂々たる体躯から、儚げで暖かい、だけど何かしらの意志を持ったような淡い瑠璃色の光が、自分の右手を透けて通り抜けていく光景を思い出していた。
成績もそれほど良くはなかった自分が、どうしてザレに選ばれたのだろう。
もう何回も考えたことをまた同じようにぼんやりと考えながら、そこら中に脱ぎ散らかしたコバックとミロイの服を集めているうちに、今更のようにうんざりした。コバックとミロイはまったくと言っていいほど片付けができない。脱いだ服は脱ぎっぱなし。使ったものはあちこちに置くので、その度にあれはどこに行った、これはどうした、などと探し回ることになる。ライアンは散らかっているのをそのままにしておけない性分だった。損な性格だとも思うが、叔父の家に厄介になっている以上、片付けが役割分担だと割り切ることにしていた。
これからコバック一人になったらどれだけ家の中が散らかるのだろう、とライアンは溜め息をついた。
エグサとなって最初の三年間は、再び寮生活を送りながら様々な仕事に携わることになる。いわゆる研修期間だ。ミロイが今夜から一週間就くことになるサージェンと呼ばれる任務も、エグサの中から選ばれた二十四人と警護士として働く島民四十名ほどが昼夜二交代で、奥の院、つまり風光石ザレをお守りするもので、その年の新人エグサが過分の人員として配置されるのだった。ライアンは来週からサージェンに就くことになっている。
食卓にはスープの優しい香りと、焦げた肉の香ばしい匂いが満ちていた。
ライアンが椅子に座ると、コバックが姿勢を正して両手をだらりと下げ、目を瞑った。ライアンとミロイもそれに倣う。
「我らの守護、風を導くザレよ、今日も恙なく過ごすことができました。願わくは、今日の糧を明日の命に繋げたまえ」
しばらく瞑想した後、コバックの目配せでライアンとミロイはスプーンを手に取った。
「いまさらだけど、サージェンってザレをお守りする儀式でしょ。敵に襲われるわけでもないのに、昼夜を問わず、どうして何百年もエグサたちが片時も離れずに守っているのかな」
大きなジャガイモを口いっぱいに頬張りながら、ミロイがコバックに聞いた。
「おいおい、主席のミロイがそんなこと言っているんじゃ、教官の俺の立場がないじゃないか」
「いや、修学院で習ったことを忘れたわけじゃないよ。ロクトを創設したムラジ大導師が定めたサージェンの務めは、ザレと同調して精神を高めること、だったよね、コバック先生。それならずっとザレをお守りする必要があるのかなって思って。サージェンには何か別の目的があるような気がするんだけど」
コバックはヨックの肉をごくりと飲み込んで、咳払いをした。
「俺たちエグサは、ザレとの結びつきが強い者、あるいはザレの意志を感じることができる者だ。ナルッサでザレに選ばれたとき、お前たちもちょっとは感じただろ。サージェンは警護という名目だが、その務めは己と対話しながら、ザレの力を体得することができるようにすることだ。知識を増やし、経験を積み、鍛錬することで、ザレは力を分け与えてくれる。お前たちも修行を怠らずに力をつければ、いずれ導師と呼ばれ、雷導師コーエン様や樹導師ミテルス様、犀導師リュート様のようになれるだろう。って、何でこんなまじめな話になったんだ。せっかくの料理が冷めちまうぞ、食え食え」
エグサの中でもコバックのような教官職にある者、その上の階級である律師と呼ばれる者は、ほとんどが何かしらの術を使いこなすことができるのだそうだ。さらに彼らの上、エグサの最高位である導師と呼ばれる三人は、ザレから与えられた力を開眼してその能力を具現化できる者で、ロクトの意思決定機関でもある。
雷導師コーエン、樹導師ミテルス、犀導師リュートは異次元の能力を持っているという。