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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
ゴダール諸島
39/75

リュートとクロウ

 物語をアレフォス島が襲撃された日、ライアンが敵を追って森の奥へ消えていった後のロクト奥の院に戻そう。


 黒い空から落ちる雨足は幾分弱まっていたが、時折思い出したように風にあおられた雨粒が水溜りのできた地面に音を立てて降り注いでいる。

 リュート導師とクロウの体には青い光の膜がゆらゆらと揺らめいて纏わりつき、虫の羽音のような音をたてていた。ミロイを助けに行くと言って走り去ったライアンのあとを、二人は唖然としながら見送ったまま、いま何が起こっているのかを把握しようと懸命に頭を巡らせているのだった。

 ばきんっ、と大きな音がしてスダジイの幹が弾け、一抱えもある大きな木片がぬかるんだ地面に突き刺ささった。木片はみるみるうちに白い灰となり、雨粒に打たれて形を無くしていった。小山のような体躯のスダジイの幹の中央に空いた穴はさらに広がり、巨躯を支えきれなくなったのか左側に大きく傾いでしまっていた。

「クロウ。ここは危険だ。俺はまともに歩けそうにないが、自分の身は自分で守る。クロウは下院に行って、もしそこに人がいたら、バーラの行政庁まで一緒に避難してくれ」

 暗くて顔色まではよく見えないが、リュート導師の息は荒く、声の張りが無くなっていた。ゼルマン律師に成りすましていた敵から受けた足の傷はかなり深かったのかもしれない。このままリュート導師をここに置いてはいけない、とクロウは思った。

 リュート導師の腕をとり、脇の間に頭を入れると、クロウはリュート導師の脇腹を抱えて立ち上がるように促した。

「俺に構うな、クロウ」

 右足に力が入らないリュート導師は、クロウに寄りかかりながらなんとか立ち上がるとそう言った。

 がっちりとした体格のリュート導師はクロウよりも頭一つ分ほど背が高い。無言のまま、クロウはリュート導師を支えながら歩きだそうとした。左足を前に出し、右足で地面を踏み込んだ瞬間、二人の体が少しだけふわりと浮いた。

 ゆっくり地面に着地すると、リュート導師とクロウは顔を見合わせて目を(しばた)いた。

 二人を覆う青い光の膜がゆらゆらと揺れていた。

 リュート導師が、「驚いたな」と呟いて、自分の手のひらの青い光を見つめた。

「ライアンが俺たちに分けてくれたスダジイの力とは、物の重さを軽くすることができるのかもしれない」

 クロウは淡い光に包まれた自分の両手を目の前にかざしながら、ライアンもこの力を使っていたのかと思った。

 ただ軽くなるだけで、目にも止まらない速さで移動することが可能なのだろうか。

「どういう理屈かは分からんが…」と言いながら、リュート導師はクロウの肩を叩いた。

「だがこの力を使えば、俺も一緒に行けるかもしれない」

 リュート導師は「試してみよう」と言ってクロウの腕を引き、二人は身を寄せ合うようにした。

「クロウ。今度は同じタイミングで足を蹴りだそう」

 雨足はさらに弱まり、夜空を覆う雲の先の月が照らす薄雲が、そこだけぼんやりと明るく光っていた。

 遠くを見つめながら、リュート導師が「行くぞ」と言った。

「いち、に、さんっ」

 三のタイミングでリュート導師は左足で地面を強く蹴った。が、クロウが動かなかったので、少しだけ浮いたリュート導師は回転しながらゆっくりと目の前の水溜りに落ちていった。

 水溜りに座り、泥だらけになったリュート導師が「クロウ」と叫んだ。

「なんで動かないんだ」

「リュート導師が早かったから」

「三でジャンプだろ、普通」

「…」

 クロウの腕に掴まって立ち上がったリュート導師が、「次は三でジャンプだぞ、いいか」と言った。

 気を取り直してもう一度肩を組み、「行くぞ」とリュート導師が声をかけるとクロウも頷いた。

「いち、に、さんっ」

 今度はタイミングがあった二人は空に向かって跳ね上がり、二階建ての建物の屋根ほどの高さにまで上昇すると、やがて弧を描きながらゆるやかに地面に着地していった。

 ほんの短い間だったが、夜空を飛ぶ二人の姿は、青い光を放つ不思議な綿毛が風に飛ばされてふわふわと漂っているように見えた。

 降り立った足元を見ながら、リュート導師が「すごいな」と呟いて笑った。

 次の瞬間、木が擦れて砕け散る激しい音が辺りに響き渡った。

 スダジイが発する苦悶の声は徐々に大きくなり、根元が大きく砕けたことで支えきれなくなったスダジイの巨体はゆっくりと左に倒れていき、壮絶な地響きとともに地面に横倒しになった。

 リュート導師とクロウの周りの地面に無数の亀裂が地を這う蛇のように走りはじめる。

「これはまずい。クロウ、先に行け」

 クロウはリュート導師を掴んでいる手に力を入れ、「いち、に」と数えはじめた。

「さんっ」

 掛け声とともに大地を強く蹴りだすと、二人は雲に覆われた空に高々と舞い上がり、やがてゆっくりと麓に向かって滑空していった。

 陽の光があれば上空から見える景色はどんなにか素晴らしい眺めだったろう。薄雲の向こうに隠れた月の朧な光には宵闇を照らす力は無く、眼下に広がる闇は深くて暗く、陸地と海の境も見分けがつかなかった。

 その暗闇にそこだけ大きな篝火が燃え盛っているように明々と浮き上がって見える場所があった。一の院の辺りだ。燃え残った建物からまだ火が出ているようだった。

 一の院の火を見つめながら、二人は木の葉のように風に巻かれて徐々に右へ流されていく。クロウは落下しながら手ごろな木の枝に上手く体をひねって足を乗せると、そのまま強く蹴りだした。二人は再び上昇し、風に乗って滑空していく。

 落ちていく先の木の枝に足をついて蹴り上げることを何度か繰り返すうちに、息が合ってきた二人は、風の向きと強さ、そして落下するスピードを考慮して体の向きを調節することで麓に向かって上手く飛ぶことができるようになってきた。

 しかし、かなり西の方角に流されてしまっているとクロウは思った。

 途中でアドリラ川を越え、何度目かのジャンプをすると森が途切れ、眼下に低木が規則正しく植えられた一帯が通り過ぎていった。先の方に目をやると、落ちていく先に緩やかに傾斜する広大な草地が見えてきた。

 トンフの放牧場だ。

 やはり、バーラの町からかなり西にずれてしまって飛んでいたのは確かだった。

 クロウがバランスをとりながら、「草原に降りる」と言うと、リュート導師は「わかった」と答えた。

 トンフが好む牧草が生い茂っていれば、着地の時にクッションとなって衝撃を和らげてくれるかもしれない。

 あともうちょっとだ。

 そうクロウが思ったとき、虫の羽音のような音がふっと消えて辺りが静かになり、二人を包んでいた青い光の膜がすうっと消えていくと、同時に地面に吸い寄せられるように落下していった。

 クロウがリュート導師をかばいつつ、足をばたつかせながら草むらに飛び込むと、二人は抱き合いながらごろごろと転がっていった。

 草地の上に大の字に横たわる二人の周りで虫が鳴いていた。

 二人が身を起こすと、転がってきたところの草がなぎ倒されているのが見えた。

 雲間から顔を出した月の光が、雨に濡れた草の上の露をきらきらと輝かせていた。

「大丈夫か、クロウ」

「問題ない」

 クロウが立ち上がり、リュート導師の顔の前に手を突き出した。

 ふっ、と笑ってリュート導師はクロウの右手を掴んで片足で立ちあがった。

「膝が笑ってやがる」

「違う」

「え、何が違うって」

「地面が揺れている」

 クロウの言葉で改めて辺りに気を配ると、確かに小刻みに地面が縦に揺れているのが分かった。

 ぐぉぐぉぐぉぐぉ、という低い音が山の方から聞こえる。

 巨大な生物が喉を鳴らしているようなその音はだんだん強く、そして早くなっていく。腹に響く轟音が立てつづけに起こり、大地が大きく揺れた。

 クロウはリュート導師を無理やり立たせて背に負うと、さっと辺りを見渡し、小高い丘をめがけて全力で駆けだした。ふた回りは大きい体のリュート導師を背負いながら走るクロウの足取りは乱れなかった。クロウの背で後ろを振り返ったリュート導師が驚きの声をあげ、「山が、山が」と叫んだ。クロウは振り返らずに走って行く。

 キーリャム山脈の最高峰、ガイル山の中腹、ロクトの奥の院のある辺りから横一直線に青白い裂け目が広がり、山に棲む巨大な生き物が大きな口を開けていくように四方にみるみる広がっていった。

 遠目に見ても、覆っている樹木と一緒に山肌が崩れていっているのがわかった。

 雷鳴のような轟音とともに土煙をあげて一気に麓まで崩れた山は、木々と土砂を喰らいながら巨大な波となって麓を駆け下り、その一部は大蛇がのたうつように牧草地の間際まで押し寄せ、クロウとリュート導師が草原に着地した場所の手前でようやく勢いを止めて動かなくなった。

 土砂や大小さまざまな岩と木々が混ざっているであろう堆積物が広範囲に渡って横たわり、暗く霞んだ先に土砂がどこまで続いているのか、見通すことはできなかった。


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