チュベキ島
冷気がぴんと張る早朝、高い岩の崖が周囲を取り囲むチュベキ島の小さな湾の中にズミーヤ号はゆっくりと入っていった。
静かな海はうっすらと靄がかかっている。
ぐるりと周りを囲う岩肌は黒と灰色が混ざった縞模様をしていて、巨大な檻の中に入ったような感がある。崖が風を防いでくれているので湾のなかは穏やかで、波も静かだった。
崖のかなり高いところに白い塗料をぶちまけたような跡がある。おそらく海鳥の営巣地になっているのだろう。いくつもの甲高い鳥の鳴き声が岩肌に当たって響き渡り、人間の侵入を拒んでいるかのような薄気味悪さを感じさせていた。
湾の奥まったところに伸びた桟橋にオズマンの船よりも大きな三艘の船が舫っていて、その先の崖を少し登ったところに丸太組みの大きな建物が建っていた。白と黒の殺風景な岩肌ばかりの景色にそこだけ浮かび上がっているように見える建物の木の色合いは、誰かがぽつんと置いたおもちゃの家のような頼りなさを感じさせていた。
桟橋に船をつけて係留し、オズマンとポトは陸に上がって建物に向かった。昨日から高熱を出して寝込んだライアンは、まだ目覚めていなかった。
建てられてからかなり経っていそうな丸太組みの建物は油を塗った丸太の表面が照り輝いていて、丹念に手入れしながら管理しているようである。
ポトが入り口のドアを開けようとして手を伸ばすと中からドアが開き、入れ違いにポトより少し背の低い痩せた男が出てきた。男はポトの顔を見て、あっ、というような顔をして立ち止まり、ポトの顔を食い入るように見つめている。
「あの…、何か」
「あ、いえ、すいません。ぶつかりそうになったんで、大丈夫かなと」
「ああ、大丈夫です」
視線を外した男は両手で抱えていた荷物を持ち直すと、何も言わずに外に出ていった。ポトはちょっと首を傾げたままドアを開き、オズマンが先に建物の中に入っていった。
建物に入ると中は丸テーブルが五つある食堂になっていて、両端のテーブルに座った四、五人の体格のいい男たちが食事をしながら何か熱心に話し込んでいた。
「ポト」
右側のカウンターの方から声が聞こえ、ポトが目を向けると、色黒で目鼻立ちのくっきりした男がにっこり笑いながらこちらを見ているのに気がついた。
「アイザック」
ポトがと親しみを込めた声をあげてカウンターに近寄り、アイザックと呼ばれた男とカウンター越しに叩きつけるような握手のあと、肩を寄せ合うような仕草をした。ゴダール流の挨拶のスタイルである。
「あらら、オズマンのおやっさんも一緒か。そうか、二人は一緒に旅をしていたんだったっけ」
アイザックがポトと手を握り合いながらオズマンに顔を向けると、オズマンは眉間に皺を寄せてポトの横に並んだ。
「どうしてお前がここにいる。それにお前、ひげを伸ばしとらんのか」
「ちゃんとデニスの指示でここで働いているんですよ。それにねぇ、おやっさん。ひげを伸ばして三つ編みにするなんてのは、もう古いんですよ。若いもんは、こう、ちゃんときれいにひげを剃るってのが流行ってるんです」
「誰が若者だ。お前もいいおっさんだろうが。おっさんのくせに若者ぶる方がよっぽどみっともないぞ」
「へいへい」
「へい、ではなく、『はい』、だ。そして、『はい』は一回だ」
「はーい。ったく、相変わらず、おこりんぼうなおやっさんだぜ」
「なんだと」
オズマンの頭から立ち昇る湯気を振り払うようにポトが「まあまあ」と言って二人の間を遮った。
ようやくポトの手を放したアイザックの手は分厚くごつごつとしていて、青や黄色のカラフルな横縞模様が目を引く貫頭衣の肩口から伸びる太い二の腕は、鞣革のように日焼けしていた。
「しかしお前、うちなんかで働いていていいのか。商売は弟に任せっきりで、いつまでもふらふらしおって。親父のマックスが嘆いておるぞ。早くドラン商会に戻って後を継いだらどうなんだ」
「それがねぇ。商売の才能は弟の方が長けてるし、今更もう俺が戻る場所はないでしょ。それにほら、俺には釣りの方の才能があるんで」
「なにが釣りの才能だ」
オズマンは吐き捨てるようにそう言って手を振った。
「悪いが急いでゴダールに戻らねばならんのだ。水と食料、至急船に運んでくれ」
へいへい、と言ったアイザックが急に真顔になって、「そう言えば」と言って声を落とした。
「おやっさんたちはアレフォス島で気ままなぶらり旅をしている途中だったんじゃなかったですか。それが急に帰ることにしたってのは、やっぱりルマン島の騒ぎが原因ですかい」
オズマンがアイザックの顔を覗き込み、「どういうことだ」と訊くと、アイザックは身を乗り出してちらっと後ろを見やった。
「奥の窓際のテーブルに座っている五人組。スガイの商船の乗組員だそうで、あいつらに聞いたんですけど、いまルマン島は大変なことになっているらしいんです」
アイザックは言葉を切ってオズマンの顔を上目遣いに覗き見た。反応を楽しんでいるようである。
「だから、どういうことなんだ。もったいぶらずに早く言え」
アイザックが、くすっと笑った。
「ルマン島には、夏至の日を祝うお祭りがあるのは知ってますか」
「ソルセルカの祭りじゃな。ルマン島を治めるメヒア一族は太陽神ソルセルカを崇めておるからな」
「さすが、よくご存じで。その祭りには宗家であるジャン家のところに三つの分家も集まることになっているんです。それがですよ、今年はそこで、ヤンロン家とオーズ家が共謀してバリ家当主のルボンドを殺害するという事件が起こったっていうんですよ。当主を殺されたと知ったバリ家の親衛隊とヤンロン家とオーズ家の護衛隊との間で交戦となって、なんとヤンロン家とオーズ家の当主も戦闘に巻き込まれて死んじまったらしいんです。さらにはですよ、バリ家親衛隊はジャン家のガルーア守備隊にも戦闘を仕掛け、ジャン家の当主リオは行方不明になっちまったそうなんです」
オズマンとポトは、口を半開きにしたまま聞いている。
「不意を衝かれる格好になったジャン家のガルーア守備隊は壊滅状態で、隊員の多くが捕虜になって、隊長のグランは処刑、バリ家親衛隊の隊長バンドゥーはさらに街に火を放ったので街の大部分が焼けちまったらしいですね」
「バリ家の領地はレッジオをはじめとして漁業が盛んな土地柄から、ほとんどが船乗りでみな気性が荒く、喧嘩の合間に魚を獲ってるような輩が多いからの」
「実際、隊長のバンドゥーはガルーアの港にたまたま停泊していたレッジオの漁船の船員を丘にあげて、みんな戦闘員に組み入れちまったんだとか」
「ジャン家の海軍はどうしたんだ。ルマン島では唯一宗家のジャン家だけが海軍を持っているはずだが」
「それなんですよ。その、ジャン家海軍のグルーガーっていう軍団長は、ガルーアの港にいた船を片っ端から押さえて、大型の商船は自軍に取り込んで、レッジオの漁船なんかはみんな沖の海に沈めちゃったらしいんです。そのうえでグルーガーはガルーアの港を捨てて、逆にバリ家の本拠地レッジオやヤンロン家の本拠地スガイに船を何十隻も出して海上を封鎖しちまったそうなんですって。何を考えているのか分からんですよねぇ。海を封鎖しちまっているんでルマン島への船の行き来ができなくなっているそうなんです。こんなことは百年前の内戦のとき以来だ、ってやつら言ってましたよ」
「そうか、そんなことが…。夏至の頃というと、三月ほど前のことだな」
「ええ。この話をしてくれたルマン島のやつらは何隻かでジャン家の警戒を突破してアレフォス島に避難しようとしたらしいんですけど、ずっと続いている悪天候で海が荒れて、ほかの船はみんな沈んでしまったそうです。あいつらの船もマストが折れて遭難しかかったけれど、風に流されてチュベキ島に運良くたどり着くことができたんだとか」
ポトがオズマンに向かって「オズマン様」と言った。
「ソルジ船長の船はスガイの商船です。ずっと海が荒れていて船が出せず、ひと月以上もアレフォス島に軟禁状態だとぼやいてました。ルマン島への行き来が途絶えていたことで、アレフォス島には情報が来ていなかったんですね」
オズマンはあご髭に手を当て、「うーむ」と唸った。




