船旅
翌日になっても体のだるさが取れず、ベッドに横になっている時間が多いライアンだったが、次の日になると起き上がって動き回ることができるようになっていた。ちゃんと食事をしたことと、やはり若い体の回復力が高かったからかもしれない。
しかし、動き回れるようになったからといって、何をするかといえば、することがない。
オズマンとポトは地図を広げて話し合ったり、忙しそうに船内のあちこちを行ったり来たりしているので声をかけるのも憚られ、ライアンは船首に立ってずっと海を眺めていた。
広がる海原を見渡しても島影は見えず、海の青と空の青を隔てる水平線がどこまでも一直線に伸びている。流れる白い雲が幾筋か空にあるだけで、突き抜ける青空からは痛いほどの日差しが降り注いでいた。
何日も船に揺られているのは初めての経験だったが、性に合っていたのか船酔いすることもなかった。船が波を切り裂いて乗り越えるたびに舳先から吹き上がる塩水がかかるのが心地よくて、ライアンは飽きずに海と空を見ながら、吹き抜ける風を感じ続けていた。
午後になり、暇を持て余しているように見えるライアンを気遣ってくれたのか、ポトが船のなかを案内してくれた。
船上中央にある操舵室の舵を切る舵輪と船尾にある二つの水車を回すための足踏み式のペダル、操舵室の両脇に取り付けられた荷積み用のクレーンなど、船べりに取り付けた櫂を漕いで操業する小さな漁船しか知らないライアンは、ズミーヤ号の見たこともない構造に興味をそそられた。
甲板の下は二重構造になっていて、最下層は格子状に仕切られた天井の低い部屋に、船の安定を保つために水などが入った重たい樽が部屋ごとに置かれていた。その上、甲板のすぐ下の階層は、ライアンも寝ていた寝室からみて、船首側には倉庫、船尾側には水車を回す滑車と歯車が配置された部屋があった。
「操舵室のペダルを踏むと滑車に繋がれたワイヤーがこの歯車を回していって、その力が後ろに見える水車を回すことで船が進むことができるんだ」
船尾の中央に上だけ顔を出している水車を指しながらポトが教えてくれた。下半分は海に浸かっているのだろう。海上のうねりが船体に当たる低い音が、暗くて狭い空間に絶え間なく反響していた。
「ペダルを踏むだけで、あんなに大きな水車が回るんですか」
「うん。仕組みはよく分からないけど、この装置で何倍もの力にすることができるらしいよ」
「すごいですね」
見ただけではどうやったらそんなことができるのかライアンにもさっぱり分からなかったが、歯車と滑車とワイヤーが複雑に交差する、水車を回すこの装置の機能的な美しさに思わず見惚れてしまっていた。
リュート導師もいろいろな機械を作るのが好きらしいから、これをみたらきっと喜ぶに違いない。と、リュート導師の顔が浮かぶと、あのときリュート導師とクロウは無事に避難することができただろうか、島の人たちは今どうなっているのだろうか、という思いがライアンの頭に広がっていった。
オズマンの言うとおり、手紙を書こう。
自分の無事を知らせ、同時にアレフォス島の状況も知りたい。ゴダールのオズマン宛てに返信してもらうとして、さて誰に手紙を書くべきだろうか。クロウが無事だったとして、クロウからは返事が来ない気がする。来ても、それは恐ろしく素っ気ないものだろう。ソニアにはコバックのことを書きにくい。やはり、毒舌で苦手な相手ではあるけれども、一番しっかりして頼りになる、ココにあてて手紙を書くしかないか。
その夜、ライアンはココに宛てて、これまでのことを綴った手紙を書き、返事にはアレフォス島の状況を書いてほしいと最後につけ足した。
ただし、この手紙を託すのがチュベキ島という島に行ってからなので、返信はいつになるのか分からないのが難点だが、仕方のないことだと思うしかなかった。
翌日からライアンはポトのあとをついて回り、頼まれることを何でもやり始めた。
ご飯の支度や洗い物に船内の掃除、汗だくになってペダルを漕いだりと、見習い船乗りになったつもりで働き続けた。何をしていいか分からず暇だったせいもあるが、体を動かしているうちはあれこれ考えないで済むと気が紛れた。
雑用がこなせるようになると、舵を切って船を進ませる方法や風を見ながら広げたり閉じたりする帆の張り方を教わり、昼は太陽、夜は月や星々の位置と方位磁石、そして海図を見ながら船が今どこにいるかを見極める作業を手伝わせてもらった。
初めて知る操船に関わる作業は面白かった。
飲み込みが早い、とポトに褒められることもうれしいことだったし、汗だくになって働き、朝と夜にきちんと食事をして夜にぐっすり眠ることができて、一週間も経つとライアンの体調はすっかり回復した。
夕食が終わると決まって三人は小さなテーブルを囲み、オズマンとポトはバフ茶のガボア酒割り、ライアンはストレートバフ茶を飲みながら、色々なことを語り合った。
ライアンの心情を考えてか、修学院での生活を尋ねたぐらいでライアンの身の上話はあまり話題に上らず、話の中身はほぼオズマンがしゃべるだけの語り合いの場ではあったのだが。それでもオズマンとポトが語る話はライアンがこれまで見聞きしたことのないことばかりで、時間が経つのも忘れて夜がふけるまで聞き入ってしまうことも度々だった。
ある夜、「ゴダール諸島は」と、オズマンが語りだす。
わしらが暮らすゴダール諸島には百以上の島があって、表情の違う大小さまざまな島が折り重なるように海に浮かぶ光景は言葉では言い表せないほど美しいところだよ。百の島があると言っても、ほとんどの島は小さかったり、岩山で平地が無かったりと、人が住んでいる島は五つだけだ。人が飲める湧水が出る島かどうかも重要だからね。
一番大きなゴダール島は、そうだね…、アレフォス島のざっと十分の一くらいの大きさで、サンヤット王家の宮殿があって王家にかかわる人が住んでいる。ライアンに会わせたいと言っていた医師のグラックスもゴダール島にいるんだよ。宮廷の医官だからね。
その次に大きいのが、わしが生まれ育ったテキラニア島だ。ゴダール島のすぐ東隣にある。
大昔はゴダール島と陸続きだったらしいが、波に削られて別の島になってしまったらしい。島の東側は砂浜がずっと広がっていて、そこの塩田から採れる塩はブリューワ家が交易で一番多く取引する商品だ。島の西側は岩場が多く、色々な海藻がよく採れる。その海藻や海の生き物を使って作る医薬品も大事な商品の一つになっているんだ。
カモシーやルグランといった薬を聞いたことはないかね。
…そうそう、カモシーは胃腸が弱ったとき、ルグランは熱冷ましの薬だ。ほかにも、動悸を抑える薬や、虫や蛇に噛まれたときの解毒剤なんかもあるぞ。
…ほう、なるほどね。アレフォス島には薬草を研究しているエグサがいるのかい。
わしらの島では外傷性の傷に対する薬の良いものがあまりなくてね。アレフォス島の傷薬や湿布薬などはぜひ調べてみたいと思っていたところだったんだが…、まあそれはよしとして、ゴダールの続きを話そう。
テキラニアの次に大きな島がインシュル島だ。
テキラニアから北東に半日ほどのところにあるドラン家が持つこの島は、わしらの島と同じように塩も作っているのだが、特に有名なのが、入り組んだ海岸線に棲む七色に光る貝の殻を使った工芸品だ。貝の殻を紙くらいに薄く削って木のテーブルや箱などに張り付けるんだ。虹色に光る様々な模様が織りなす精緻な調度品は、それは美しいものだけど、こちらはどちらかというとルマン島への交易を中心としているから、アレフォス島ではあまり見ないかもしれないね。
大きな島はこの三つで、ほとんどの人がこれらの島で暮らしている。グラックスのベリー家、わしのブリューワ家、ドラン家、この三つの家は先祖を辿ると王家のサンヤット一族に繋がる家柄でね。王家に何かあればお助けするという使命があるのだが、実際に今回そんな立場になるとはね…。まあ、これからどうなるかは分からないが、ベリー家は医術で、ブリューワ家とドラン家は交易で、それぞれサンヤット王家にお仕えしてきたというわけだ。
うむ…、サンヤット王家は何をしているか、かい。随分ストレートな質問だが、確かにほかの島の人からしてみれば、王家といってもピンと来ないかもしれないね。
サンヤット王家は確かにゴダール諸島を統治しているんだが、どちらかといえば島々に暮らす人たちの象徴的な存在だと言っていい。王は代々女王と決まっていて、島の守護石である水光石アグーをお守りする巫女のようなもので、アレフォス島のザレをお守りするロクトに近いものだと思う。
島の民は王家に税を治め、王家は島の治安と安全を確保し、医療を提供する責務を負うんだ。さっき話したベリー家は、宮廷医師であると同時に全島民に対する医療も行っているんだ。各島に王立の病院があって、ベリー家が医師を派遣しているんだよ。そしてなにより、ベリー家では昔から新しい薬を研究し、開発してきたんだ。
それからしばらくベリー家が開発してきた様々な薬の話になり、内容が難しすぎてよく分からず、ライアンは急に眠気を催して最後の方はほとんど聞いていなかった。




