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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
ゴダール諸島
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空腹

 目を覚ましたライアンの眼に、丸い窓から差し込んだ淡い光が部屋のなかを青く浮かびあがらせている光景が映しだされた。月明かりの光なのだろう。いつの間にか夜になっていた。ひょっとしたら、また何日も寝てしまっていたのかもしれない。そもそも今日がいつなのかも分からなかった。

 寝起きというのに頭はすっきりとしていた。そしてとても空腹を感じていた。お腹が空いて目が覚めたといってもいい。少し前にスープとパンを食べさせてもらった気がするが、それを思いだすと余計に空腹感が増した。そしてその空腹感が、ライアンの心を握りつぶして息を苦しくさせた。

 自分は生きていて、当たり前のように食べ物を欲している。

 まるで何事も無かったように自分の胃袋が空腹を訴えていることが、なにかとても恥知らずなような、情けないような気がしていたのだった。だがそれと同時に、冴えた頭がこれから自分が何をすべきかという目的をはっきりと捉えはじめていた。

 ミロイを助けに行く。

 ミロイは必ず生きている。生きて、どこかでライアンの助けをずっと待っている。そうライアンは確信していた。

 アレフォス島を襲った奴らに捕まって、独りでどんなに心細い思いをしているだろう。怪我はしていないだろうか。痛いことをされていないだろうか。

 ミロイのいまを考えると、罪悪感と焦燥感で胸の奥に苦いものが溜まり、心が張り裂けそうになる。

 俺が囚われの身となればよかったのに。

 ミロイはしっかり者で、何もかもちゃんとやっていて、セデラック学院の先生になりたいなんて将来のことも真面目に考えていた。俺は兄ちゃんなのに、今まで兄ちゃんらしいことは何ひとつやれていない。だから、俺がどうなろうとも、ミロイを助けに行かなければいけない。

 助けに行きたいけれど、どこに行けばいいのか、どうすればいいのか、分からない。スダジイの力も残っていないようだ。左手のひらにはクモの巣のような痣が残っているが、鈍い痛みがあるだけで、体じゅうを見渡しても青白い光はどこにも見えなかった。

 ライアンには、いまの自分には戦う術が何もないのだ、ということが十分すぎるほどわかっていた。

 長く編み込んだ二本のあごひげを蓄えたオズマンと名乗る男は、ゴダールの商人だと言っていた。ゴダールとはアレフォス島の遥か北にある島々で、医薬品などを扱う商人たちがアレフォス島に船で来ていることは、ライアンもそれとなくは知っていた。

 オズマンもそのような商人だったのかもしれない。彼は島から島へ旅をしている、とも言っていた。そうだとしたら、海のこと、ほかの島のことなど、俺の知らない幅広い知見を持っているに違いない。そして何より、人は良さそうだ。そもそも漂流している自分を助けてくれた命の恩人らしいし、親身に相談にも乗ってくれそうである。オズマンに救出されて、自分は幸運だったのだろう。もしかしたら、スダジイが導いてくれたのかもしれない。

 オズマンにアレフォス島で起こったことを話し、これからのこと、ミロイを救出する手助けをお願いしようと思い、ライアンは立ち上がった。まだ足に力が入らない。壁に手を添えながら歩かないと倒れてしまいそうだった。ドアを開けようと手を伸ばすと、そのドアが開いてポトが入ってきた。

「おっ、起き上がれたんだね」

 目の前にライアンが居て少しびっくりしたポトだったが、すぐにライアンの腕をとると、「そろそろ夕飯にしようと思って様子を見に来たんだ。お腹が空いただろ」と言って上を指さした。

「階段、上がれるかい」

「はい。大丈夫です」

 ポトが後ろで腰を支えながら、ゆっくりと狭い階段を上がっていくと、いい匂いがしてきた。ライアンのお腹がぐるぐるぐると鳴った。

「夕飯といっても、昼と同じスープとパンだよ」

 ポトの言葉を聞きながら、寝ていたのは半日だったのかとライアンは思った。

 ポトに促されて階段を上がったところの部屋に入ると、四人掛けの年季の入ったテーブルの奥にオズマンが座っていた。小さな調理場があるので、狭いながらもダイニングキッチンといったところだろうか。

「だいぶ顔色は良くなったようだな」

 隣の椅子を引きながらオズマンが言った。

「助けていただいて、ありがとうございました」

 オズマンは笑いながら手を振った。

「礼には及ばんよ。ゴダールには海で遭難した者を助けると、女神セリーンの恩恵にあずかれるという言い伝えがあってな。ゴダールの船乗りとして当たり前のことをしたまでだ。ライアンとの出会いはセリーンが巡りあわせてくれたものだよ。それより…」

 オズマンはライアンの左手に視線を向けた。

「君の左手のひらにある痣。もしかしたら、君のその手のそれは、アレフォス島の風光石ザレの力と関係があるのではないかね」

 ライアンは驚いて目を瞠った。

「どうして、それを…」

 オスマンは、ふー、と大きく息を吐いてライアンを見つめた。

「同じ傷を持つ男を…、わしは知っているんだ」

 ライアンは、「えっ」と言ってさらに大きく目を見開いた。

「そいつはゴダール島で医師をしている男でね。ちょっと変わり者だが、いい奴だ。あいつに会うことが、きっと君のためになるのではないかとわしは考えているんだが…、その前に、君の身の上に何が起こったのか、話してもらえんだろうか」

 ライアンは大きく息を吐いて、「はい」と答えた。

「あの夜、アレフォス島はルナデアという東にある島から来た者たちの襲撃を受け、ザレを奪われました」

「なんだと…」

「あいつらはコバックを殺し、大勢の島の人達を殺して、ミロイを連れて行ってしまった」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、一回落ち着こう。コバックというのは誰なんだい」

「叔父です」

「そうか…。叔父さんが殺され、さらに弟のミロイ君を連れ去られたということか…。ご両親は無事だったのかい」

「両親は十年前のアドリラ川の氾濫で洪水に巻き込まれて行方不明のままです。それから、俺とミロイはコバックに引き取られて、ずっと三人で暮らしてきました」

 眉間にしわを寄せて、オズマンは「そうか、それは辛かったね」と言ってため息をついた。

「君はエグサだろ。あの夜、君はエグサとして何か務めを果たしていたのかい」

 いつの間にか腰かけていたポトが尋ねた。

「あの日はミロイの初めてのサージェンで、コバックの家で三人で食事をして、コバックもサージェンだから、俺は寮に帰って休んでいました。俺がサージェンに就くのは来週からだったから」

「サージェンというのは何なのかな」

「選ばれたエグサが昼夜交代で奥の院のザレをお守りする務めです」

「なるほど。そうすると、叔父さんのコバックさんも、弟のミロイ君も、三人ともエグサだったんだね」

「はい。俺とミロイは今年のナルッサでエグサに選ばれました」

「ああ、ナルッサというのは聞いたことがありますね」

「二年間の修学院の最後に、ザレがエグサを選ぶ儀式だったな」

 ポトに相槌を打ったオズマンが身を乗り出した。

「それで、寮に帰って休んでいた君に、何があったんだい」

 それからライアンは、訥々(とつとつ)と話しはじめた。

 夜中に異変を感じて外に出て、クロウと一緒に一の院に行くと建物全部が燃えて人が倒れているのが見えたこと。その先でリュート導師に会って奥の院に向かい、そこでも櫓が燃え、多くの人が傷ついて倒れたまま息をしていなかったこと。その中に、コバックもいたこと。そのあと、スダジイのなかに吸い込まれ、ルナデアから来た敵がザレを奪ってミロイを連れ去ったことを教えられ、スダジイの力を得てミロイを追っていくうちに河原で敵と遭遇して戦闘になり、敵が何かを投げて周囲が煙に包まれたところで記憶が途切れてしまっているところまで、言葉に詰まるとオズマンとポトが分からないことを問い直して軌道修正し、つっかえながらもなんとかライアンは話し続けた。


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