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BOUNDARY ~境界線~  作者: 八木 康
ゴダール諸島
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船出

 テキラニア島のあるゴダール諸島まではひと月の船旅になる。

 オズマンたちはバーラの東にあるスーザという町に立ち寄って、水と食料を調達することにした。

 スーザはバーラの町から歩いて半日、船なら二時間ほどで行くことのできる小さな漁港である。そそり立った崖が周囲を囲んで風を防いでくれるおかげで、スーザの港は規模は小さいけれども天然の良港になっていた。

 雨は降っていなかったが分厚い雲が空を覆い、強い西風が吹いていたので帆が張れず、半日以上もポトがずっとペダルを漕ぎつづけることになった。

 スーザの港は特に混乱した様子はなく、人々はいつもと変わらぬ様子で、時化(しけ)で漁を休んでいるのか、数十艘の漁船が桟橋に繋がれていている。船着き場の空いている場所に接岸すると、オズマンは船に残って少年を見守ることにして、ポトが物資の調達のために船を降りていった。

 熱が上がり、荒い息をしている少年の額に乗せたタオルを取り換えながら、ここでこの少年を知っている人を探しだして彼を預けていった方がいいのではないか、ゴダールに連れていくことが少年の運命を大きく変えてしまうのではないかと、オズマンは迷いはじめていた。

 だがしかし、とオズマンは考える。

 アグーとは別の、ほかの島の光石についての記憶を失わせる力が弱まってきた矢先、アレフォス島で島の形を変えるほどの大災害が起こり、そしてアレフォス島の光石と何かしらの関りがあると思われる少年を偶然救出した。これらの出来ごとは、自分達の知らないところで何かとんでもないことが起こりはじめていることの現れなのではないか、という考えがオズマンの頭を満たしていた。

 目の前で眠る、まだあどけなさが残る少年を見つめるうちに、彼と関わってしまったことで後戻りできない運命の歯車を回してしまったように思えてきて、形のない恐怖がさざ波のようにオズマンの胸に広がっていく。その一方で、いま起こりはじめていることの真相を追求したいという、抑えることのできない欲求が頭をもたげてくるのも感じている。隠居の身となり、体のあちこちにガタが来はじめているが、オズマンの心はまだまだ若いのである。

 干し芋や干し肉、干物に乾パンなどを詰め込んだ籠を背負ったポトが帰ってくると、オズマンを見て首を振った。

「ここにいる人たちは昨日の災害について何も知らないようです。ただ、深夜に続いた大きな地震は気になっていたようで、海から見えた山の崩落を店の人に伝えたら、この漁村を管理している長のところに報告に行ってくれました」

「そうか、誰か人をやって確認するだろう。バーラまでマナフに乗って行けば半日もかからんだろう。道が無事ならいいがな」

「どの程度の被害が出ているのか、バーラに行く人が帰ってくるのを待っていれば詳細がわかるかもしれませんね」

「ああ。だが実態が分かればここも混乱するだろう。家族や知り合いもいるだろうしな。やはり、我々はテキラニアに帰ろう」

 ポトが食料を買った雑貨屋の青年が荷車で樽詰めの水を運んできてポトと一緒に船尾の倉庫に運び入れると、オズマンたちは船体回りを確認してスーザの港を離れた。

 風は少し収まったが、相変わらず低い雲が空を占領していた。

 オズマンたちはルマン島やアレフォス島からゴダールに向かう際にいつも寄港するチュベキ島という島を目指し、陽が落ちかけて暗くなりはじめた海を北北西に進路をとって進んでいった。マストに張った帆は半分だけ降して風を受けている。

 チュベキ島はアレフォス島とゴダール諸島の航路の少しゴダール寄りにあり、半日もあれば一周できるほどの小さな島だが、海辺から中央の小高い丘のてっぺんまで、風化した大小さまざまな岩に覆われた岩島である。草木もほとんど生えない無人島だが、この島には人が飲むことができる水が湧く場所がいくつかあった。ブリューワ家はサンヤット王家が所有するこの島を借り受け、岩礁の一部を削って船が着岸できるような港を整備し、交代で人が詰める小さな事務所を設けている。ブリューワ家はチュベキ島を航海の途中での水と物資補給の中継島として、他の商人たちにも広く開放していた。チュベキ島までは約二十日の船旅である。

 もうすぐ夜が明ける頃になり、ベッドに寝ていた少年は、うっすらと目を開けて辺りを見渡した。

「ここは…」

 少年の声に気づいたオズマンがベッドに腰かけ、優しく微笑んで少年の額に手をやった。

「熱が少し下がったようだな。安心しなさい。ここはわしの船のなかだ。まだ熱があるからもう少し休むといい」

 まだ意識が朦朧とするのか、少年はぼんやりとオズマンを見つめていたが、突然かっと目を見開き、オズマンの胸ぐらを掴んで頭をつけると、そのまま起き上がってオズマンの体ごと壁に体当たりした。

「ミロイをどこに連れて行ったぁ」

 絶叫し、オズマンを睨みつける少年の目は血走り、喰いしばった口から獣のような荒い息をオズマンの顔に浴びせかけた。

 物音を聞きつけて部屋に入ったポトが少年に壁に押しつけられて呻き声を漏らしているオズマンを見つけると、無造作に少年に近寄って手首を掴み、(ねじ)りながら膝の裏側を足で突き、手を首に回して手前に引くと、あっという間に少年は床に倒れこんだ。関節を極められて身動きができなくなった少年はじたばたと暴れていたが、しばらくすると動かなくなった。

「まさか、殺しちゃったんじゃないだろうな」

 絞められていた首をさすりながらオズマンが訊くと、「大丈夫ですよ」と言って、ポトがぐったりとした少年を抱きかかえてベッドに寝かしつけた。

「目が覚めて、見知らぬ我々にびっくりしたんでしょうか。それとも何か、夢うつつだったんでしょうか」

「ミロイはどこだ、と叫んでいたよ、彼は」

「ミロイ…。誰なんでしょう」

「きっと、彼にとって大事な人なんだろう」

 襲いかかったときとは別人のような顔をして、少年は再び深い眠りについたようだ。暴れたせいか、熱が上がったのか、少年の顔は紅潮していた。

「まあ、暴れるだけの元気があるっていうのは、いいことだ」

「とんだ災難でしたね」

「取っ組み合いは何十年ぶりかな。だいぶ筋力が落ちたみたいだ」

「オズマン様も取っ組み合いの喧嘩をしたことがあるんですか」

「何を笑ってるんだ、ポト。これでも昔はルマン島の船乗りと喧嘩ばかりしとったんだぞ」

 ポトはへえぇと微笑みながら、「次に目が覚めたときにパグナーの薬湯を飲ませましょう」、と言って立ち上がった。

「あ、なんだ、その顔は信じてないな」

 オズマンの声を背中で受けながらポトは部屋を出ていった。

 パグナーとはテキラニア島の浅瀬で摂れる海藻で、滋養に富んでいるため、病気で身体が弱ったりしたときに良く飲まれている栄養食品である。乾燥させたパグナーを粉末状にしてお湯に溶かして飲むことが多いが、そのまま料理に入れて出汁をとることもできる。ただ、テキラニア島のごく限られた浅瀬にしか自生していないので値が張り、薬として扱われるのが一般的だった。

 部屋を出るときにちらっと振り向いたポトの横顔が寂しげに見えたことがオズマンは気にかかり、彼を呼び戻そうと一瞬思ったが、声を出そうとした口を閉じて溜め息をつくと、しばらく眉間をごりごりと揉んでいた。


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